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レオナルド









レオナルドダビンチの全作品を集めた大型本。厚さ8センチ。


雑誌25ansは立ち読みができないことで有名だ(った)が、この本はテーブルに置いて読むのさえ辛い。
だからウチでは書斎の、空いているイーゼルに置いてあって、電話中にページをめくるのが好きだ。


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以下、moet's nonsense。


ハンブルグに出張中の夫とスカイプで長い会話をしながら、レオナルドの作品の全体と細部の拡大を交互に見ていたら、

記述するということは、まさに「現実」に分節を入れたり、切れ目を入れることであるのだ、と、(頭では分かっていたことが)突然すとんと入って来た。どこに入って来たのかは分からないけれど、わたしのおでこの斜め前くらいに。


そして、神を記述してはならないという掟があるのは、つまり神を包括概念たる「全」にとどめるためであり、

また、神には切れ目/分節を入れることができないとするから、なるほど「語ることができない」とされているのだ、

と思った。


芸術とは、語ることができない「全」を、語ることができる分節に区切って語ることである。だから人間は「全」に至ることはできない。例えレオナルドのような神業使いであったとしても。
このことが自ずから芸術とは何か、という問題に対して一つの回答になると思う。*

世界を説明するためにレオナルドの作品があるのであり、レオナルドの作品を説明するために世界があるのではないと言いかえてもよい。


ああ、すっきりした。これから着替えてブラッセルへ行く。王立美術館に立ち寄ろうかなと思う。


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*芸術とは芸術家それぞれが「全」に向かい、それぞれのやり方で「全」を満たそうとするその「不完全さ」である...とか、どうでしょう。
「不完全」とは、神的「全」への対語であって、ネガティブな意味は込めていないので悪しからず。


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