シェイクスピア生誕の地であり、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの本拠地のストラッドフォード・アポン・エイヴォンで、4月23日から1年間にわたって開催される「コンプリート・ワークス・フェスティバル」で上演されるシェイクスピア全作品の中の1本として招待され、5月に渡英するプレ公演である。
ブロードウェイ・ミュージカル『ライオン・キング』の美術・演出を担当したジュリー・テイモアの初監督映画『タイタス』は、リアルなスプラッターであったが、お得意の土着性を持ち込んで、血の感触が濃厚な湿った感じの出来上がりだったような気がする。
一方、今回の蜷川演出のステージはもっと乾いた感触で、ピーター・ブルック演出によるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『真夏の夜の夢』の装置同様、三方を囲む壁と床は真っ白である。
衣装も白が基調となっていて、そこに噴出する血は、文楽風に赤い糸で表現され、周囲の白を背景にことさら強調され、様式美を獲得している。
ローマ帝国の象徴として置かれた巨大な「カピトリーノの雌狼像」も勿論真っ白で、想像力をかき立てるのに十大きな存在力を発揮している。
正直言ってビジュアル先行の感は否めないが、演出がストレートである分、とても解り易いのも確かである。
壮絶な憎悪をぶつけ合うローマの将軍タイタス(吉田鋼太郎)と、ゴートの女王タモーラ(麻実れい)が絡む場面はさすがに締まる。共に再演でもあり堂々たる貫禄であるが、麻実にはもう少し女の色気が欲しい。
ムーア人の黒い大悪人であり、タモーラの愛人でもあるエアロン役の小栗旬は、前述二人に比べると、舞台俳優としての声の魅力には乏しいが、タモーラが産み落とした褐色の肌の赤ん坊に対し、全世界を敵に回してでも守ろうとする父親の情をシッカリと見せていた。
それにしても、エアロンは凄い役である。同じムーア人のオセロと、謀略の罠にオセロを嵌めるイアーゴの二人は、このエアロンから分化したかのように思えてしまう。
復讐の連鎖が留まるところを知らない現代の世界状況を、真っ白なキャンバスに描けば真っ赤に染まってしまうことだろう。増幅する憎悪の環を断ち切る明確なメッセージを提示するまでには至らなかったのは残念である。
家と家の抗争は『ロミオとジュリエット』へ、異人種間の摩擦は『ヴェニスの商人』『オセロ』へと進展してゆくが、シェイクスピアの人間の本質を見据える観察力は、やはりいつの時代にも通用するものである。
(2006-4-26、彩の国さいたま芸術劇場大ホールにて、butler)
ブロードウェイ・ミュージカル『ライオン・キング』の美術・演出を担当したジュリー・テイモアの初監督映画『タイタス』は、リアルなスプラッターであったが、お得意の土着性を持ち込んで、血の感触が濃厚な湿った感じの出来上がりだったような気がする。
一方、今回の蜷川演出のステージはもっと乾いた感触で、ピーター・ブルック演出によるロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの『真夏の夜の夢』の装置同様、三方を囲む壁と床は真っ白である。
衣装も白が基調となっていて、そこに噴出する血は、文楽風に赤い糸で表現され、周囲の白を背景にことさら強調され、様式美を獲得している。
ローマ帝国の象徴として置かれた巨大な「カピトリーノの雌狼像」も勿論真っ白で、想像力をかき立てるのに十大きな存在力を発揮している。
正直言ってビジュアル先行の感は否めないが、演出がストレートである分、とても解り易いのも確かである。
壮絶な憎悪をぶつけ合うローマの将軍タイタス(吉田鋼太郎)と、ゴートの女王タモーラ(麻実れい)が絡む場面はさすがに締まる。共に再演でもあり堂々たる貫禄であるが、麻実にはもう少し女の色気が欲しい。
ムーア人の黒い大悪人であり、タモーラの愛人でもあるエアロン役の小栗旬は、前述二人に比べると、舞台俳優としての声の魅力には乏しいが、タモーラが産み落とした褐色の肌の赤ん坊に対し、全世界を敵に回してでも守ろうとする父親の情をシッカリと見せていた。
それにしても、エアロンは凄い役である。同じムーア人のオセロと、謀略の罠にオセロを嵌めるイアーゴの二人は、このエアロンから分化したかのように思えてしまう。
復讐の連鎖が留まるところを知らない現代の世界状況を、真っ白なキャンバスに描けば真っ赤に染まってしまうことだろう。増幅する憎悪の環を断ち切る明確なメッセージを提示するまでには至らなかったのは残念である。
家と家の抗争は『ロミオとジュリエット』へ、異人種間の摩擦は『ヴェニスの商人』『オセロ』へと進展してゆくが、シェイクスピアの人間の本質を見据える観察力は、やはりいつの時代にも通用するものである。
(2006-4-26、彩の国さいたま芸術劇場大ホールにて、butler)
この作品のではないのですが、タイタスの再演を観る前にサボっていたけれど先に書かなくてはと思っていた『間違いの喜劇』をついに書いたのでTBさせていただきましたm(_ _)m
タイタス再演は5/6夜の部で観てきます。
TBありがとうございます。
「間違いの喜劇」なかなかお気に召されたようですね。
観られなくて残念!
喜劇だけでなく、悲劇のオール男性キャスト版も実現しそうですね。
「タイタス」のレビューも楽しみにしています。
http://blog.goo.ne.jp/pika1214/d/20060507
さて、本日先にTBをいただいてまたつらつらと考えてしまいました。映画の「ガンジー」を観た時に印象に残っていること。宗教の対立からインドとバングラディッシュのふたつの国に分裂してしまった時、あるヒンズー教徒がイスラム教徒を殺してしまったことを悔いてガンジーにどうしたらよいか相談したところ、生き残ったイスラム教徒の子どもをわが子のように育てなさいと言ったというエピソードです。
今回はローマ人の子どもがムーア人の赤ん坊を抱きとって一緒に泣くのです。対立した者どうしが和解・共存していくためにはまずただ受けとめてそれから長い時間を一緒に生きていくことだということなのかなあとフッと思いいたった次第です。
コメント、どうもありがとうございます。
ガンジーの非暴力主義は、現在では理想論のように言われますが、仮想敵国に対して武装して相手を信用しない滑稽さに比べれば、はるかに「愛」に満ち溢れていると思います。
「タイタス・・・」でも、前途多難ではありますが、絶望の中に希望の光を投げかけた点で、虚しさから救われた気がしました。