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熟年オジサンの映画・観劇・読書の感想です。タイトルは『イヴの総て』のミュージカル化『アプローズ』の中の挿入歌です。

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ウィー・トーマス

2006-12-31 | 演劇
M.マクドナー作品の初体験は、1998年夏のブロードウェイでの『ビューティー・クィーン・オブ・リナーン』である。作品賞はじめトニー賞のストレートプレイ主要4部門を独占したこの上演は、アイルランド・オリジナル・キャストによるものであった。
それは現代アイルランド演劇の特殊性である、暴力と閉塞感、そしてサスペンスを強く印象付けて衝撃的であった。
今回の『ウィー・トーマス』も、先日のトニー賞演劇部門の作品賞にノミネートされたが、残念ながら受賞を逃している。
本作もアイルランドのイニシュモア島のうらぶれた町を舞台に、残虐な暴力と閉塞感は健在だが、サスペンスに代わってブラックなユーモアが強調されているのが異なる点である。

IRAから分派した過激派INLAの中尉パドレイク(高岡蒼甫)の実家には、幼い時から異常に可愛がっているウィー・トーマスという名前の猫がいる。その猫が何者かに殺されてしまう。彼の父親ダニー(木村祐一)と、屍骸を発見して運んで来た近所の青年デイヴィー(少路勇介)は、このことが凶暴なパドレイクに知れたら、殺されてしまうかもしれないと考えて、愚かな隠蔽工作を施そうとするが…。

パドレイクの残虐性は彼の初登場場面、青少年にマリファナを売りつけた同士への拷問で、シッカリと観客にインプットされる。
対立するINLAメンバー(堀部圭亮)とその部下たち(富岡晃一郎、チョウ・ソンハ)がパドレイクの実家へやって来るところから、血なま臭い抗争の火蓋が切って落とされる。
さらには、デイヴィーの妹でパドレイクを崇拝する16歳の少女マレード(岡本綾)が紅一点加わって、暴力で流される血の量はさらに倍加することになる。

動物には優しいがヒトには残虐なパドレイクの性格は倒錯しているが、高岡蒼甫はピュアな異常者とでも言うべき難しい役をよくこなしている。
デイヴィー&ダニー、そしてジョーイ&ブレンダンの会話は、掛け合い漫才のようで可笑しくブラックな笑いを誘う。前者はツッコミ同士、後者はボケ同士であるのが演劇的で面白い。
「殺しの骨折り損」的結末で、全ては無駄な殺し(有益な殺しがあればの話だが)で、徒労に終わる。発砲の火薬の臭いと、血飛沫いっぱいの割には後味がすこぶる良い。
その訳はネタバレになり書けないが、最後に皮肉なドンデン返しが用意されているとだけ書いておこう。
粗末な家の壁に掛けられていた「Home Sweet Home」の額縁。果たして誰が「楽しい我が家」に?
劇中で死んだのは人間4人と、猫2匹ですよ。アブナイ!アブナイ!
マクドナー作品、絶対お奨めです。
(2006-6-11、東京グローブ座にてプレビュー公演、butler)
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9 コメント

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お教え下さい。 (luna)
2006-06-25 01:11:04
 こんばんは ブラウニング・バージョン以来、久しぶりにコメントを書き込みさせていただきます。よろしくお願い致します。



 昨晩大阪の一夜公演を観てきました。私は、マクドナー作品は初めてで、もちろん初演も観ておりませんので、あのインパクトに正直驚いております。「ラスト・ショウ」でも大阪では悲鳴が観客席から聞こえる瞬間がありましたが、今回は声も出ない状態でした。

 この芝居は、私自身 後ろめたい気持ちを含みつつも思わず笑ってしまう残虐なシーンもありましたが、われら農耕民族には狩猟民族とは違う捉え方があっても…と考えてしまいました。

地元やロンドンで上演される意味は非常に重いとも思いますし、何らかの賞にノミネートされるであろうことも理解できますが、なぜ、いま日本で上演するのか?もし、明快な答やヒントがあるとしたら…

 butlerさんのお考えを教えていただけるのであればお聞かせ下さい。どうぞよろしくお願い致します。



究極の暴力=戦争 (butler)
2006-06-25 13:05:49
>lunaさん、お久しぶりです。



コメントをどうもありがとうございます。

お教えするなどとんでもないことですが、観劇後の僕の個人的な印象から、勝手に想像したことを述べさせていただきます。



マクドナーの作品は、私たち日本人には苦手なアイルランドの諸問題を抜きにして考えることは出来ません。

しかし、そのことを背景に追いやっても、本作では人間の根源的な愚かしさが一種のユーモアになっていると思いました。

「後ろめたい気持ちを含みつつも思わず笑ってしまう」lunaさんは決して不謹慎なのではなく、登場人物たちの行為の愚かさを笑ったのですから、それで正解だと思います。



本作を観て、誰も暴力を肯定的に描いているとは感じないはずです。逆に、無意味で徒労に終わった馬鹿げた行為だと感じるはずです。

戦争がまさにその究極の好例です。

その意味では、日本での上演意義をこじつけるとすれば(笑)、紛争地から遠く離れて部外者みたいな顔をしても、残虐行為には加担してるんだと想い起こさせる、寓意劇ないしはファンタジだと言うことが出来ると思います。



パドレイクをある種の異常者に仕立て、その崇拝者、対立者、その他一般大衆(父親など)、という構図も誰かを生んだ社会の構図みたいで面白かったです。



答えにはなっていないことは承知していますが、これがお気楽シアターゴウアーの精一杯の考えだとご容赦下さい。
訂正致します。…敢えてひっぱりますが… (luna)
2006-06-25 15:27:29
早速に回答をいただきありがとうございます。



さて、ここで訂正をさせてください。

夜公演ではなく、マチネでした。昨日は、他の作品と昼夜ダブルヘッダーで、取り違えておりました。申し訳ございません。





さて、『殺しの骨折り損的結末で、全ては無駄な殺しとHome Sweet Homeの額縁』は、理解が出来ます。



長塚作品演出、そしてこの舞台惹かれるものは確かにあります。現に何度となく劇場に足を運んでおりますので…しかし…

今公演について、あそこまでの具体が農耕民族である我等に必要なのかという疑問に拘りを持ちます。



演劇に見えないものが見える力を信じる私としては、観客が此処までしないと判らないと制作者側が考えているとしか思えず、腑の落し処が見つかりません。



映画殺人狂時代、太宰の御伽草子 等々

みんな昔といえば昔なのですが、自身の想像力に頼る世界なのに…これがやがて演劇のスタンダードになるのでしょうか?



その不安から

『この芝居は、私自身 後ろめたい気持ちを含みつつも思わず笑ってしまう残虐なシーンもありましたが、われら農耕民族には狩猟民族とは違う捉え方があっても…と考えてしまいました。』と表現したのです。



こうして意見交換するがための「あえて」なのでしょうか?

どうもあの光景を脚本としてではなく、演出として理解するのは、時間がかかりそうです。



観客の想像力 (butler)
2006-06-26 12:58:43
>lunaさん、



先ず、演劇にスタンダードなどは存在しないということを言っておかなければなりません。

もし存在するとすれば、それは観る側の主体性の問題であって、自らの観劇スタイルに制約を設けることになります。

提示されたものを自由な感性と想像力で観ることが演劇の楽しみ方だと思います。



また、流される血の量は狩猟民族も農耕民族も関係ないと思います。

蜷川幸雄が演出した「タイタス・アンドロニカス」では、血は全て真紅の絹糸でした。だからと言って、残虐な行為が弱められたわけではありません。血糊でも絹糸でも、何も無しでも、血は血なのですから。
血は血 (luna)
2006-06-26 22:07:14
私の疑問にお付き合い下さってありがとうございます。

現在、私の申し上げたいことがどれだけ通じたか私自身判らない状態です。

クドク、重複するようならお許しください。



>先ず、演劇にスタンダードなどは存在しないということを言っておかなければなりません。



はい、私も同感です。

スタンダードと申し上げたのは、比喩ではイメージが湧かない判らないがために、写実に表現することばかりになるでないかという危惧申し上げたつもりでした。

例えば、「人が死ぬ=血が流れる=スプラッシュ」が通り一片に為るのではないかという事を申し上げたつもりです。

例に出していただいております蜷川演出について残虐性はかわらない。そうです。そしてそこには惨い血が流れるイメージが自身に取り込まれ、耐え難い己が其処にいました。

あそこに夥しい血糊が存在しても、私の耐え難い心は変わりなかったと思います。ただもし、比較を許されるなら、眼で観る夥しい血より脳裏に湧き上がる血のほう(正体は絹糸)が、私の心に届いたと想像いたします。



>また、流される血の量は狩猟民族も農耕民族も関係ないと思います。



量ではなく、感受性の違いを申しあげたつもりでした。(表現力が乏しいことを痛感いたしております。)

たとえば、街角の肉屋に子鹿の大腿部が吊ってあったとします。

きっとパリの主婦は、クリスマスなら調理の為に購入するでしょう。

しかし、日本の主婦は如何でしょうか。



演出家に民族の違いはありません、演出家は個々です。しかし、農耕民族のDNAを持つ演出家が個々ではありますが、捉え方に別の道で観たかったと申し上げたかったのです。先ほどの蜷川さんの表現は、決して狩猟民族のDNAを持つ演出家が出来ることではないと勝手に考えております。…やはり、上手く表現できていないような気がいたします。

今回のbutlerさんとのやりとりでマクドナーの戯曲を探してみようと思いました。

ト書はどうなっているのだろう興味が湧いてきました。

観客も個々受け取るものが違ってこそ演劇だと、舞台だと今も思っております。

読んでみようと思います。



長塚演出「ラスト・ショウ」は、素晴しい作品だと私は思っています。脚本、装置、照明、衣装、キャスティング、もちろん演出も…。



真摯に回答をいただき感謝いたしております。

今回のやりとりで またbutlerさんがお返事を下さったとしても、私は終演にしたいと存じます。これ以上にbutlerさんに食い下がる事は本意ではございません。ありがとうございます。



また、マクドナーの戯曲を読んで教えを乞うことがあるかもしれませんが、その時は煩わしいとは思わないでお付き合いくださいね。何卒よろしくお願い申し上げます。



Unknown (因幡屋)
2006-08-03 00:38:28
butlerさん、TBありがとうございます。lunaさんとのやりとりを興味深く読ませていただきました。はじめは怯えながら、次第にケンカ腰になっていく自分の変化を感じつつ、舞台を見ました。
TB&コメントありがとうございます (butler)
2006-08-03 14:41:48
>因幡屋さん、こちらこそありがとうございます。



往復コメントを再度読み返してみると、ムキになっている自分がよく判りました。お恥ずかしい限りです。(汗)

芝居を観ても、あやふやな形で自己完結させてしまうことが多いですから、こんな形の遣り取りは刺激になっていいですね。

但し、毎度だと疲れますが…。(笑)
お知らせです (因幡屋)
2006-09-25 01:35:38
butlerさん、お久しぶりです。因幡屋ぶろぐの紙版「因幡屋通信」と「えびす組劇場見聞録」の最新号が完成いたしました。後者は『ウィー・トーマス』を取り上げており、butlerさんのブログの記事やコメントを少々参考にさせていただきました。お手に取ってお読みいただければ幸いです。事前にお断りせず申し訳ありません。取り急ぎ。
お報せに感謝! (butler)
2006-09-25 11:19:39
>因幡屋さん、こんにちは。



わざわざご連絡ありがとうございます。

紙版の方は劇場に出かけた折に、是非拝見させて頂きます。

先ずは御礼まで。 butler

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