森の声

 雨粒が あちらこちらに飛んで 

 街燈にも月にも光る、綺麗な夜

 

花火のあと

2014年07月12日 | Daily
よくないことを、した。

そして、私はしっかり分別ある大人になってから
この手の同じことを、繰り返している。(もはや誰にも情けなくて言えない・苦笑)

しかも、よくないこと、に対しての罪悪感ではなく
これでいいんじゃないの、とか
しょうがないのだから、だとかいう自分の考えの方に、
何日も眠れないようなダメージを受けている。

子どものころの、後ろめたい何かは
なぜかしっかりバレていていたり
見つからず叱られなくてもどこか落ち着かず
「神さまが、見ている」という抑止力、畏れがあった。

神さまは自分の中にいた。

誰にも叱られず、自分もどこかで許してしまう
大人の曖昧な罪悪感は、
何に対しての罪の意識なのだろう。

「神さまは、見ている」と思っても
手を伸ばさずにはいられないことがある。
神さまは、自分でないどこかで見ているけれど、
もう、止めてはくれなくなってしまった。

内緒で遊んだ花火のあと、すまして帰った玄関先で
仁王立ちで待つ父が大きくお尻をはたいたように
神さまは、いつか、驚くような大きな声で
私に「大ばか者!」と、叱ってくれるのだろうか。

そのとき、すっかり大人になった私は
私が悪かったです、もうしません、ごめんなさいと、
私の内側に向かって、心から素直につぶやくことができるだろうか。