『落 δ ぎゃら 17』

『落 δ ぎゃら 17(オチギャラ Seven-teenth)』。ちょっと気になったことを落書きに残していきます。

感情 【怒り】

2008年06月05日 00時08分57秒 | Weblog
普段、感情を表にだすことがほとんどない。

ここで言う普段っていうのは、頭に「人がいるところでは」という言葉が付くわけだが、とかく、怒りの感情をあらわにすることは少ない。

もちろん、イライラして、八つ当たりしたくなったり、怒りのあまり、頭から湯気が出て何も考えられないようなこともたまにはある。

でも、それを表に出して表現するようなことは皆無といってよいぐらい、ない。

どんなに怒り心頭でも、怒鳴ったり、やつ当たったり、そういうことが出来る状況にないことを理解し、自分の行動を制御できる程度には理性が残っているのだ。

…と、最近までは思っていた。

でも、少し違うかもしれない。

怒りを表現することをめんどくさがっているのかもしれない。

怒りを人にぶつけることで、ぶつけられた相手はなんらかの反応を返すだろう。
なんらかの感情を抱くだろう。
それは、想像してみる限り、おそらく「負」の反応や感情だろう。
そう考えると、相手にやな思いをさせるぐらいなら、我慢して別の方法で解決したほうがいいや。
とか、
怒って、エネルギーを消費した割に、何も得ることができなかったら。。怒っている自分を第三者が見たとき、かっこ悪い人間に見えるんじゃないか。とか、そんなことばかり考えて、自分の人間性を封じ込めてしまっているのかもしれない。

自分の感情に正直に行動することほど安定した行動はないだろうし、そういう人は信用できる。そう思っている。

一方、受け手側に回って考えると、冷静に怒りを受け止められる人は少ないんじゃないのかな、と勝手に思っている。
怒りをぶつけられても、その怒りが正当なものなのではないか?自分に怒られても仕方がない部分が少しでもあるんじゃないか?そんな風に一瞬でも思う余裕のある人がいれば、怒った側も報われる気がする。
たとえば、怒った直後は、まったく聞く耳を持たなかったとしても、時間を置いて、怒りの理由を理解してもらえるならそれでもいいと思う。

でも、怒りは劇薬だ。
相手に伝えたいというのが一番の目的なのに、相手を壊してしまうかもしれない。
警戒して相手が二度と近づいて来てくれなくなってしまったら元も子もない。

…なんて、いろいろ考えるとベストなのは、
いつも適度に怒ったり、笑ったり、泣いたり、いろんな感情と平等な力を持って相手に届くような日常が送れること、、じゃないだろうか。

つまり、普段怒らない人間がたまに怒るとギャップが激しいので危険。だからといって、いつも怒っている人が怒っても、いつものことか。。となってしまう。
(当然、その怒りの背景に筋が通っていることが前提だが。)

もっと、怒れる人間になりたい。かも。

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