【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

未知の世界へ 関野吉晴 =010=

2018-01-22 06:08:05 | 浪漫紀行・漫遊之譜

〇◎ 未知の世界へ飛び込んでいく関野吉晴 ◎〇

= Webナショジオ_“北極探検 二つの物語”に転載・補講 =

☠ 関野吉晴の探求心はどこから来たのか

◇◆ フィリピンから台湾へ、風待ちの停滞と国境の壁 =後節= ◆◇

 6月11日の夜、安全対策コーディネーターの白根全(しらね ぜん)から電話があった。 白根全は「慎重に考えて、無理をしないでください。事故がおきれば死者が出る可能性が高い航海です。10人の命を預かっているのですから、今年は断念して、来年、万全の態勢で臨んでください。お願いします」と懇願に近いアドバイスを伝えてきた。

 翌日、日本人クルーの意見を聞いた。安全に対する嗅覚の最も優れた渡部純一郎は「もし続行するのだったら、私は遠慮しようかなと思っていました」と、今年は中断したほうがいいという意見だが、若い前田次郎、佐藤洋平は続行したいという思いが強かった。心配したカヌーの状態もよく、マンダール人クルー6人も行く気満々だった。

 中断することに対する心配もあった。彼らマンダール人クルーが故郷のスラウェシ島ランベに戻ったときに「いつまで経っても日本に行けないじゃないか。ダメじゃないか」と陰口を叩かれて、村の中での立場が悪くなってしまうのではないか、ということだ。なるべくなら航海を続行したい。そうは思ったが、よくよく考えた末、10人の命を預かった立場としては、もっとも安全な時期に渡るべきとの判断で、中断を決定した。

 フィリピンのルソン島北部、南イロコス州のダルダラートという半農半漁の穏やかな村に小屋を作り、カヌーを格納した。この辺りは、かつての独裁者であるマルコス元大統領のお膝元。元大統領は民主化運動の高まりの中で1986年に失脚、アメリカに逃亡した後に亡くなる。だが今では、イメルダ元大統領夫人は帰国し、息子たちとともに政治家として活躍している。犯罪人のように追われたが、この地方では圧倒的な人気だ。2年目の航海は、このイロコスの地でいったん幕を下ろした。

 後から聞くと、マンダール人クルーへの心配は、杞憂に終わったようだった。ランベに戻った彼らを、村人たちは温かく迎えた。「フィリピンまで行けるなんてすごいじゃないか。がんばったな」と。

3年目の航海、最初の壁

 航海3年目となる2011年。いよいよバシー海峡に挑む。

 縄文号とパクール号は、4月28日出航の予定で準備を進めてきた。例によって5~6月の短い期間だけが航行チャンスだからだ。海峡には島がちらほらあるが、断崖に囲まれているので、台風が近くで発生したら逃げようがない。慎重に出発日を選んだ。

 ところがいきなりつまずいた。予定日から10日たっても出航地となるダルダラートで足止めを食っていた。早くから手続きを進めていたフィリピンと台湾の航行許可が出ていなかったからだ。

 フィリピンの沿岸警備隊では、前年、前々年に許可証を出してくれた司令官の所属部署が変わってしまった。私たちが今回航行する地域の司令官は女性だが、面会さえしようとしない。「部下に出してもらえ」と言うが部下も避けている。国境警備は彼らの任務で海洋通行の許可裁量権を持っている。

 台湾の方は大方問題はなかったのだが、「インドネシア人クルーの海外旅行保険証はインドネシア語で書かれているので、英語に翻訳し、在日インドネシア全権大使にその保険証が本物で、英訳が正しいかを確認してもらい、その証明書を提出するように」という難題を突き付けてきた。結構ハードルの高い要求だった。

 私たち自身はいつでも出発できる準備ができていて、実は出発直前にやるイスラム式の儀式は済ませてしまった。しかし、海のグレートジャーニーも、太古の人々にはなかった国境の壁が大きく立ちはだかっていた。

=補講・資料=

日本人の祖先(海のグレートジャニー)

『世界大百科事典』によると、主要に日本人を形成したのは、「ウルム氷期の狩猟友民」と「弥生時代の農耕民」とが渡来したことだった。「ウルム氷期にアジア大陸から日本列島に移った後期旧石器時代人は、縄文人の根幹をなした」という。「ウルム氷期直後の厳しい自然環境」が改善され生活が安定化していくと、「日本列島全域の縄文人の骨格は頑丈」となり、独自の身体形質を得ていった。

そして縄文時代終末から弥生時代にかけて、「再びアジア大陸から新石器時代人が西日本の一角に渡来」した。その地域では急激に新石器時代的身体形質が生じたが、彼らが直接及ばなかった地域は縄文人的形質をとどめ、その後「徐々に均一化」されていった。「地理的に隔離された北海道や南西諸島の人びとは、文化の変革による身体形質の変化はあっても、現在なお縄文人的な形態をとどめている」とされる。

近年、埴原和郎尾本恵市などが、W・W・ハウエルズの分類による「モンゴロイドの2型」を用いている。すなわち「古モンゴロイド」と、寒冷に適応した「新モンゴロイド」である。「初め日本列島に渡来した後期旧石器時代人ないし縄文人は古モンゴロイド」であり、「縄文時代終末から弥生時代に渡来した新石器時代人を新モンゴロイド」と呼ぶ。「新モンゴロイドの影響がまったく及ばなかったアイヌや南西諸島住民は、古モンゴロイド的特徴を今もなお残している」と解されている。

かつては約3万年前に大陸から渡来して先土器時代縄文時代の文化を築いた先住民を、大陸から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は分子人類学の進展により完全駆逐説は否定され、混血説が主流となっている。

尚、人類学的分類での日本人は - モンゴロイドの1つ。旧石器時代または縄文時代以来、現在の北海道から沖縄諸島までの地域に住んだ集団を祖先に持つ人々。祖先はユーラシア大陸東部より複数回にわたって渡来。樺太を経由して北海道に至るルート、朝鮮半島を経由するルート、南西諸島などを経由する南方ルートなど複数の渡来経路が考えられると規定している。

・・・・・新節につづく・・・・・

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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