【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

今日(狂)の狂言 : 09月18日(水曜日) & 旅と文化の足跡が野帳

2024-09-18 05:10:45 | 浪漫紀行・漫遊之譜

★ 忘備忘却録/きょうの過去帳・狂 

◆ アフリカ大陸縦断に挑んでいたイギリスの前をフランスが横断し、単なる事故を超える大事に(1898年=ファショダ事件)。 ◆ 「コンゴの今後」をどうするかで東奔西走中だった国連の事務総長ダグ・ハマーショルドが、乗ってた飛行機のパイロットがあれだったが故に現世に政治課題を残したまんま冥土へ飛び立つ(1961年)。 ◆ かいわれ大根の日。某百科事典によると数字の8を横にして、その下に1を付けるとかいわれの形に似ている事から設定されたらしい。

◎ ◎ 創刊120年以上の“ナショジオ”が綴る【 そうだったのか! 】 =第4回= ◎ ◎

1901-1920期 « なぜマチュピチュは「大発見」だったのか  »

……National Geographic Journal Japan 〉 ニュース〉 旅&文化〉 より……

2012年1月4日 / (Web編集部)

エール大学の講師だったハイラム・ビンガムによるマチュピチュの発掘調査を協会が支援しました。1913年にセンセーショナルな報告会を開催した。  マチュピチュの標高はおよそ2400メートル。アンデス山脈の東側の斜面にあり、アマゾンのほうから流れてくる湿った空気がぶつかってよく霧に包まれます。

険しい崖の上で、霧のなかに浮かび上がるインカ帝国最大の遺跡は、“天空の都”あるいは“空中都市”などといわれるように、実にロマンチックです。ユネスコの世界遺産にいち早く登録され、いまや連日2000人近い見学者が訪れるという人気もうなずけますね。

 ハイラム・ビンガムのマチュピチュ発掘については、すでにたくさんの書籍がありますし、2011年4月号の「ハイラム・ビンガム マチュピチュにたどり着いた男」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1104/feature01/side1.shtml や協会が選んだ「地球の理解を深めた支援探検・調査トップ10」https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/20111207/292962/ でも読めるので、ここでは書きません。

 それよりも、ちょっと目先を変えて、極地の探検でないにもかかわらず、なぜ『ナショナル ジオグラフィック』がまるごと1冊を使ってマチュピチュを紹介したのか。当時の状況を振り返って考えてみたいと思います。

 よく知られているように、インカ帝国はスペインによって16世紀に滅ぼされます。鉄と文字がなかったせいもあり、かつてのアンデス文明と混同されて古代文明と思われることがあるようですが、インカが勢力を拡大しはじめたのは15世紀のこと。日本では室町時代ですから、ほぼ中世です。

 だとすると、そんなに古くはありませんよね。そうなんです。それなのに大々的に紹介したのはなぜでしょう。

カギはインカ帝国特有のイメージでした。  文字がなかったので、スペインに滅ぼされたあと、インカ帝国の歴史は主にスペイン語で書かれた資料によってヨーロッパに伝わります。  このときに、事実とは異なる「インカ帝国像」が付け加わります。

 スペイン人がスペイン語で書き、ヨーロッパで読まれるものですから、基本的にはスペインによる征服を正当化するものが広まりました。

 当初は「インディオは獣同然」だから「征服されて当然」という見方が流布します。しかし、スペインによる征服に反対する宣教師が「インディオはちゃんと理性的だった」と大著で主張。すると、今度は征服者サイドが「インカ暴君説」を持ち出しました。

 ところが、スペイン人征服者とインカの王女の間に生まれた人物がこれをまたひっくり返します。  その人物はインカ・ガルシラソといい、愛国心から『インカ皇統記』(岩波文庫)をあらわして、歴代の皇帝によるインカの支配をたたえ、とても幸せな国家像を描いたのでした(ちなみにスペインによる征服は宗教面から正当化しています)。

 こうして西洋社会では、インカ帝国はまるで黄金に彩られたユートピアのごとく「どこにも存在しない理想的な国家」といったファンタジックなイメージが定着してしまうのです。

それはハイラム・ビンガムがマチュピチュを発見したときも同じでした。すなわち、1913年当時、インカ帝国はほとんどおとぎ話レベルの国だと思われていたのです。4月号の特集のタイトルに使われた「Wonderland(不思議の国)」という言葉が何よりも象徴的でしょう。

ここで紹介したようなインカ帝国のイメージは、日本ではあまりなじみがありませんが、欧米では一般なものでした。しかも、ビンガムはマチュピチュをインカ帝国最後の都と信じていました。

 ほぼ「存在しない」と思われていた「黄金の」「インカ帝国最後の都」。だから、マチュピチュの発見が『ナショナル ジオグラフィック』を1冊まるごと使ってレポートするぐらいのインパクトがあったのでしょうね。

明日 “ 901-1920期 なぜマチュピチュは「大発見」だったのか 後編 “に続く・・・・・

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