興味津々

日々思ったことを綴ります

責任能力って

2016年12月14日 | ひとりごと
生きる価値のない命なんてない 
というのは、ごもっともだろうけれど

これは人間の命を意味することであることは
大前提なのだろうけれど

まぁ 動物愛護団体とか そういうのが
絡んでくると問題はややこしくなる

動物の命をもらって生きている人間が

犬とか猫は愛護動物だから
粗末に扱うべきではない

ってのは何だか自分勝手というか
何というか…

まぁ変な感じに思えてくる

が、実際何の罪もない
ましてや生きるために食べる訳でもない動物を
むやみやたらに 虐待している人間の姿ってのは
見るに堪えない
惨すぎるし、ヒドイと思う

身ごもった若い女性の殺人で
罪に問われた人が
「責任能力」がない との理由で
本来の罪より軽くなった

精神的な障害を負っている
との理由で、名古屋の専門医も妥当な結果だと
テレビで話していた

自分の身近な人が そんな風に殺人に遭遇したら
やっぱり今回の夫のように
私だって許せない という気になるだろう

相手に死んで欲しいか などと尋ねられても
そんなこと答えられる訳はない
命を返してほしい としか言いようがない

例えば動物園のライオンが人間を殺したら?
野生の熊が民家の人間を殺したら?
飼っている犬が人間を噛み殺したら?

その動物達は普通に殺されるんじゃないか

「責任能力がない」 にも関わらず…

運転中に意識を失って人を殺してしまった

この人の罪は、「責任能力」如何である

生きていれば、自ずと消費が産まれる
その人間が食べていくために、
皆が汗水たらして働いた貴重な税金が投入されることも
大いにある
責任能力がない ってことは 働いてお金を生み出す能力がない
ってことにほぼ等しいんじゃないか

過失とはいえ、他人を死なせて
それでも前向きに生きようとする気持ちは湧くのだろうか

場合によっては死んだ方がマシだと本人も思うに決まっている

責任能力がない人を罪に問わない ってどういうことなのか

それはただ
誰かが「罪に問うことへの罪」を犯さないために 
逃げているだけの結論じゃないのか

罪に問わなかった人が新たな罪を犯そうと
あるいは生きる気力を失ってしまおうと
そんなことはどうでもイイのである

上手く表現できないけれど
なんだかなぁ と思ってしまう
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