偏平足

里山の石神・石仏探訪

里山の石神端書281 石坂供養塔(千葉県成田市旧下総町)

2024年04月12日 | 里山石神端書

千葉県佐倉市(旧下総町)中里・楽満寺の坂道供養塔

 利根川下流の下総町が成田市と合併したのは2006年。旧下総町の丘陵地帯にある楽満寺を訪ねました。




 山門にユニークな像容の観音石仏が座していました。三十三所観音の一部で、残りは境内に並んでいます。近郷の女人講は造立したものです。三十三所といっても、像容をみると西国ではないものです。境内にはこれとは別の観音石仏もあり、こちらには西国札所二十二番のご詠歌が刻されていました。これら女性が造立した観音石仏があるのは、この寺が子授け・安産・子育ての如意輪観音を本尊としているからでしょう。寺ではこの本尊を源頼朝の妻政子の念持仏だったとしています。政子から如意輪観音を譲り受けたのはこの寺を開山・国一禅師(1233~1321)。国一は常陸生まれで鎌倉・臨済宗建長寺派の僧。もっとも政子は嘉禄元年(1225)に亡くなっています。


 境内奥から山の上に立派な石段が続き、登り切ったところに立つのが坂道供養塔です。「文化七年庚午(1810)」銘。石段の先には「端栄山霊感講三十三観音新設記念碑」端栄山は楽満寺の山号、三十三観音は楽満寺境内に立つ新しい石仏か。
 供養というと仏・法・僧や死者に供物を捧げることですが、この国では地震や津波での死者供養から動物や植物、橋や石段や石垣を造っても供養塔を造立しました。人形供養や針供養の行事もあります。八百万の神の国ですから、供養塔も八百万です。
(地図は国土地理院ホームページより)

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