偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏707 伊藤大山(千葉)山包講

2017年01月20日 | 登山

伊藤大山(いとうおおやま) 山包講(やまつつみこう)


【データ】 伊藤大山 245メートル▼最寄駅 いすみ鉄道・大多喜駅▼登山口 千葉県大多喜町横山マグレガーCCの西▼石仏 伊藤大山山頂、地図の赤丸印。青丸は山神神社、緑丸は浅間山▼地図は国土地理ホームページより


【案内】大多喜から市原の月崎に抜ける県道沿いにある伊藤大山は、山頂にある電波中継所への道が造られたため簡単に山頂に立てる。かつては富士信仰があった山で、山頂の藪のなかに「山包講」の講文が入った石塔が立つ。その正面中央には「参明藤開山月日仙元大菩薩」、それを挟んで「天下泰平五穀成就 御領主武運長久」銘がある。側面には「大先達ヱ行真鏡 願主先達元行 講中安全」とある。
 「山包講」は江戸の修山禅行(包一郎兵衛)が天明5年(1785)頃起したとされている富士講。禅行の弟子で、市原市の正行真鏡(池田作左衛門)によって房総地方に広まったといわれている。このブログで案内した栄行真山はじめ、房総の山包講の先達はみな正行の弟子だったという(注)。「参明藤開山」は富士講の祖・角行とその後継者・身禄が創り出した富士山の名号。「仙元大菩薩」は江戸時代後期の富士山の尊称、明治以降は浅間大神や木花開那姫命となる。高さ60センチ、「天保十五〇」の造立。石塔の前の半ば土に埋もれた手水鉢には「伊藤村 願主鈴木庄左エ門」銘がある。
 伊藤はこの山の北にある10数軒が点在する集落。集落を見下ろす高台に山神神社が建ち、境内に「天満大自在天神 石尊大権現 金毘羅大権現」の三柱銘がある石祠が祀られている。そして集落に東には浅間山がある。
(注)『富士をめざした安房の人たち』館山市立博物館、平成7年
(参照)山の石造物・富士信仰


【独り言1】 伊藤浅間山 伊藤という集落が気になって訪ねてみました。そこへは伊藤大山への県道の途中から分岐した細い道が続きます。集落の人の話では、先の戦争のとき高射砲を設置するために造られた道で、それまでは集落から四方に通じた山道を利用していたそうです。かつては集落内に寺院もあったということですから、伊藤は山中に開けた理想郷だったのでしょう。富士講を組織して伊藤大山に石塔を立てたこともうなずけます。浅間山へは集落手前の小原沢橋袂から沢の左岸に道があります。美しい川床=写真上=をしばらく下った右岸が浅間山への道で、しっかりした踏み跡が山頂まで続きます。しかし山頂に石造物は見当たりませんでした。



【独り言】 石尊大権現 伊藤集落では大山に仙元大菩薩、山神神社に石尊大権現、浅間山に浅間神社を祀ったようです。ここで気になったのは山神神社の石祠=写真上=にある三柱の神名のなかの石尊大権現です。これまでこのブログで石尊には丹沢大山と富士山山梨側五合目の二つの系列があることを案内してきました。大きな違いは、大山系は山頂に三つの石祠を祀り、富士山系は浅間山と一緒でそれも中腹に石尊一社を祀るということでした。そして富士山の石尊は大山から勧請した可能性が高いことも案内しました。では伊藤の山神神社の石尊は丹沢大山、それとも富士山五合目のどちらから勧請した神なのでしょうか。集落内に大山という山があるのも意味ありげだし、そこに富士信仰の仙元石塔があるのも事を紛らわしくしていますが、ここでは天神・金比羅と一緒に祀られているし、浅間には付随していないようなので丹沢大山系としておきます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする