Henri Troyat, Le mort saisit le vif (Le Livre de poche, 1966)
1942年の作。表題の訳が厄介。「死者は生者をして財産を所有せしめる→相続人は直ちに故人の遺産を与えられる」(小学館ロベール仏和)だけではよくわからないがJuridictionnaire の説明は難しすぎる。トロワイヤも小説の主人公も、法学部出身。
ジャック・ソルビエは子ども新聞「ル・ラタプラン」の主筆。ある日、リセで同級の医師ガラールの死を知らされる。
ガラールは早熟で、難解な哲学書を読み、教師に反抗し、多くの逸話を残した。ソルビエは未亡人シュザンヌの口から、ガラールが少しも変わらず、あまりに複雑な精神を誰にも理解されないまま早逝したことを知る。
ソルビエはシュザンヌと交際を始め、結婚。文学的野心など捨てていた彼にシュザンヌはガラールの遺した小説原稿を見せる。
『怒り』La Colèreとしてソルビエの名義で刊行された小説は、「モーパッサン賞」を受賞。しかしソルビエは小説のヒロインと同姓同名の女性、ニコル・ドミニの訪問を受ける。
「どうしてあなたの本で私の物語をお書きになったのですか?」
― Pourquoi avez-vous raconté mon histoire dans votre livre ? (p.111)
医師と患者としてニコルに出会ったガラールは、彼女をひそかに愛し、その不幸な人生を物語に綴ったに違いない。無心な彼女には盗作など思いもつかない様子、動揺するソルビエを追及もせず立ち去る。
第二作『暗夜』Nuit noireは正真正銘の自作、しかし出版の価値なしとの裁定に、ソルビエは自分の才能のなさを思い知る。
Mon professeur de Lettres, au lycée, prétendait que le pastiche des grands auteurs était un excellent exercice de style. Je ferai des pastiches de Galard. Je penserai comme Galard eût pensé. J’écrirai comme Galard eût écrit. Je raconterai n’importe quoi, mais avec sa parole. Le récit de mon enfance, de ma jeunesse auprès de mon père, par exemple. Pourquoi pas ? L’essentiel c’est que Galard veuille bien se prêter à moi pendant quelques heures par jour.(p.176)
リセで、文学の先生は、大作家の文体模写は絶好の練習になると言っていた。私はガラールの模写をやろう。ガラールなら考えたように考える。ガラールなら書いたように書く。何でもいいから、ガラールのことばで語ろう。私の子ども時代、父のそばで送った青春、たとえばそんな話。なぜいけない?肝心なのは、ガラールが日に数時間私に手を貸してくれることだ。
ガラールになりきるための必死の努力、彼が読んだ本を読むのはいいとして、そのうち地下室で探し出したガラールの古着を身につけ、墓地を訪れ、するうち現実と夢の区別がつけがたくなる。テンションの高め方、不条理の笑いは、幻想コントそのままだ。
この作品は風俗小説の側面も持つが、文芸出版の世界のお寒い風刺に堕しがちで、それに比べれば「幻想と驚異」の部分は、生命力を失っていない。
さて「モーパッサン賞」に輝いた『怒り』は、どんな小説なのか。原稿審査に当たった哲学者ボワシエールは言う、
?Admirable ! Je ne trouve pas d’autre mot, admirable ! Et quel culot ! Pas de plan ! Pas d’intrigue ! Des personnages qui surgissent et qui disparaissent dans une trappe! Et, par-dessus tout ça,un style d’or et de sang ! vous m’entendez, mon cher, vous avez un style d’or et de sang ! ? (p.38)
「素晴らしい!他に言葉がない。大胆きわまる!全体の組み立てなど、考えていない!筋書きもない!人物は突然現れ、消えたらそれっきり。何よりかにより、黄金と血の文体だ。いいかね、君には黄金と血の文体がある」
とにかく破天荒な作品らしいのだが、手っ取り早く「小説内小説」として見本を示したらどうなのか。「黄金と血」の比喩が想像させる文章を、いっぱつ書いて見せることはできなかったのか?小説を形式的遊戯として理解する作家の手にかかれば、?Le mort saisit le vif?はまったく異なる作品になっただろう。
J’étais un élève morne. Je me savais indigent,mal vêtu, et la conscience de cette médiocrité m’était bizarrement agréable. Mon père ne manquait pas une occasion de me rappeler au respect des fortunes solides et des situations installées. Il me suppliait d’élargir le cercle de mes relations. ?C’est parce que je n’ai pas eu de relations que je gagne un salaire de famine. C’est parce que tu auras des relations que tu feras ton chemin au soleil. Et, en matière de relations, on ne commence jamais trop tôt ! ?(p.9)
私はぱっとしない生徒だった。自分が貧窮し、ひどい身なりなのはわかっていた、そしてこの凡庸さの意識は、奇妙に心地よかった。父は何につけても、ゆるぎない資産と安定した地位に敬意を払うよう私を諭(さと)した。頼むから人間関係の輪を広げてくれと言った。「コネがなかったから私は安月給で働いているんだ。お前はコネを作って、日の当たる道を歩くんだ。コネ作りと来れば、どれだけ早くから始めてもいい」
文学賞受賞を祝う席で、ソルビエは父の姿に気づく。父が近寄る、目には涙を浮かべ、相手かまわず頭を下げ(?Messieurs, messieurs...Excusez-moi...?)息子を?mon petit Jacques?と呼び、「お前は金が稼げるぞ!コネができるぞ!」(?Tu vas gagner de l’argent ! Tu vas te faire des relations !? p.103)
この世界を色で言うなら灰色だ。ソルビエはそこから脱出しようとするが、それには「黄金と血の文体」が必要なのだ。