うーむ。
『とらドラ!』を分析するのは、なかなか難しい。
まあ私自身にこれを分析しきるだけの道具と経験が備わっていない、というのはある。ぶっちゃけてしまうとラブコメはさほど読んでる分野ではないし、実生活上の恋愛体験もかなり貧弱なものだ。そっち方面から切り込むのはまあ不可能だろう。
な、わけで……。
とりあえず『とらドラ!』を「ライトノベル」と見立て、「ライトノベルにおけるキャラクターの創造」という視点からメスを入れていくことにする。
「漫画みたいなキャラ」を使って、「漫画みたいなドタバタ劇を演じる」のがラノベのラブコメなわけで、そういう意味では『とらドラ!』は典型例と言える代物なのだが……しかし良く見ると、主要キャラに関しては、大抵のラノベでは踏み込みきれない部分に踏み込んでいる。そして作者独特の、おそらくは意識的であろうキャラ付けがされている。その辺について、ちょっとキャラごとにメスを入れていこうかと。
まずは、『手乗りタイガー』逢坂大河から。
【逢坂大河】
『とらドラ!』のメインヒロイン。
この作品には、逆説的な自意識を持つキャラが多数見受けられる。これだけ揃うのは偶然ではありえないから、きっと作者の意図的な仕掛けだろう。
そして逢坂大河が抱える「逆説的な自意識」とは……「自分は愛されるに足る存在ではない」という自己規定。
美少女である。整った顔立ちである。その体型こそやや発達不良ではあるが、それさえも魅力の1つとして成立させてしまっている。作中でも、何度もその造形の美は強調されている。
そしてまず間違いなく、そのこと自体には彼女自身自覚もある。彼女の私服のファッションセンスは、その容姿と体型があってこそのもの。他人に服を押し付けられたわけではなく、自分で山のように高価な衣類を購入してハズレなし、というのは、間接的にではあるが、彼女自身が「自分の美貌」に自覚的であることを意味している。
けれど、彼女は、自分自身が愛されるに足る存在だ、という自覚を持っていない。
その愛らしい容姿をもってしても、だ。
むしろ容姿が優れていれば優れているだけ、彼女は寄ってくる男の子たちを信頼できなかったのだろう。「彼らは自分の外見しか見てないのだ」と。「本当の意味で愛してくれるはずなど無いんだ」と。言い寄る男たちに手酷い拒絶を喰らわせて全員再起不能に追い込んだ、なんてエピソードは、まさにそんな彼女の逆説的な自意識が生み出したものだ。激しい攻撃性と毒舌も、似た所に根差すものだろう。
そんな彼女の本質のルーツは、やはりその両親にあるものと思われる。
『とらドラ!』本編は基本的に竜児の物語で、だから大河の過去は断片的に覗き見えるに過ぎない。しかしそんな断片だけでも、十分に親の愛情を受けられなかったことは、容易に想像がついてしまう。
穿った見方をすれば、発育不良な彼女の体格も、その「親の愛情の欠落」が遠因なのかもしれない。愛情遮断性の低身長症、とかね。ホルモン異常まで行かずとも、竜児と出会うまでの彼女の食生活は相当に乱れたものだった。精神的な意味で美味しくない、1人きりの食事は彼女の食生活を乱し、食欲の不振につながり、成長期の成長を妨げてしまった可能性もある。
(注;もちろん、小柄な人物全てが親の愛情に不足している、というわけではないので御注意を。もちろん単なる遺伝で小柄な人もいる、むしろそっちの方が遥かに多い。ただ、愛情に飢えた子供時代を送った人の中に、肉体的な成長に軽い問題を抱えた人が出ることもある、という程度の話。そして逢坂大河は、どうもそう考えると色々しっくりハマってしまうのだ。……親父さんも小柄だったけどね、それでもね。)
そんな彼女は、しかし落ち込まずに、怒る。同情を引こうとせず、自力で前に進もうとする。
そして、初めての恋の自覚に、初めて「愛したいし愛されたい」と願って、不器用ながらも行動を起こす。
……これ、竜児でなくても放っておけないよなぁ。うん。
で、そんな大河の成長物語は、彼女自身がその呪縛から脱する物語でもあるんだよね。
彼女の恋心はやがて移り変わって行くのだけど、その新たな恋を、彼女は我慢しようとしてしまう。もちろんそこには親友への遠慮もあったりするのだけど、同時に、彼女の影を呪縛する「本当の自分は愛されるに足る存在ではない」という逆説的自意識も影響している。というより、この逆説的自意識こそが彼女の最大の課題だったわけで。
そこに、10巻の長さをかけて、きちんと答えを出している。
表層に現れる部分は大して変化しちゃいないのだけど、それでも、きちんと彼女の中で向き合って、答えを出している。
これは実に素晴らしいことだと思う。この作品に惚れた最大の理由の1つだ。
【高須竜児】
『とらドラ!』のメイン主人公。
彼には、おそらく作者の意図的なものだろう、大河とは対極的なスタート条件が与えられていた。
それが、目つきの悪さに集約される外見。
大河とは逆に、外見では決して愛されることがない、むしろみんな勝手に怯えてしまう、と世界設定レベルで規定された初期条件。
そして――それに基づく、外見とは裏腹の、「凄まじく良い子な性格」だ。
彼の外見描写は、作中でも極端に走りすぎて時折浮いてしまうほどだ。たかが目つき1つで、とも思うし、正直挿絵ではその本文に忠実な迫力は出せていないように思うがw、しかしそういうことになっているのだから仕方ない。
でもだからこそ、彼は善良であろうとする。
人を傷つけることもなく、問題を起こすこともなく、暴力なんて振るうこともなく。もちろん親に反抗したことなんて1回もなかったという。
人より努力して努力して、穏やかであろうとして……それでも初見の相手に誤解されることは仕方ないと、諦めの境地にある。地道な努力を重ねて、それでも他人より1歩不利な状況にあることを受け入れている。決して多くを望まず、決して欲は張らない。
……どこまで「いい子」なんだ、お前は。
もちろんこの性格は、生まれ持った外見だけでは説明しきれない。彼の家庭環境もしっかり影響している。
母子家庭で母の手1つで育った彼。生死不明の親父はヤクザ。母の実家とは没交渉。母の仕事は水商売。
その家庭環境だけでも、口の悪い人たちの悪意ある噂の槍玉に挙げられるに足るものがある。
しかし、ある意味で諸悪の根源と憎んでもよい母は、到底憎むことなど出来ぬ善良な性格で、見捨てることも出来ないようなネジの緩んだ頭で、そして、母子2人+ペットのインコ、の生活が心地よかったら……
まあ、竜児は頑張るしかないよなぁ。
多くを望まず、今あるモノに感謝して。MOTTAINAI精神をフルに発揮して、優秀な主婦として料理に掃除に家計の管理に、八面六臂の活躍をするしかないよなぁ。
そんな彼が初めて望んだ、分不相応(と、彼自身が判断した)な願い。
それが、きっとあの恋だったはずだ。
初めて何かを心の底から欲した彼は、しかし、初めてだからこそ、そこから先どうすれば良いのか分からない。
あまりにも「良い子」で、与えられた環境に波風立てないことに慣れ過ぎていた彼は、その恋心の持っていき場所が分からない。
それどころか、きっとその恋心が本物なのか、その気持ちを認めて貰ってどうしたいのか、分かっていないに違いない。そりゃ、人並みにデートしたりナニしたりといった妄想はしていたようだけども。
今まで何も望まなかった彼だ。
何かを望むことに、慣れていないわけだ。
そして本気で望んだその時に、大河の物語と同時に、彼の物語も動き出す。
自分が誰かに愛されるに足る外見ではないと思い込み、人一倍の努力を重ねる彼。
誰かを見捨てることが出来ず、常に全力投球で皆のフォローに回る彼。
そんな彼が「守るべき対象」の輪に加えてくれて、しかも、他の者に見せようとしない隙を曝け出してくれたら……大河でなくても、こりゃ、惹かれるよなぁ。
そしてもちろん、竜児の成長物語は、その呪縛から脱する話でもある。自分は何かを望んでいいのだ、欲していいのだ。そう自然に思えるようになることが、彼のささやかな、しかし大きな成長だ。
ここで素晴らしいのは、「誰かを見捨てることが出来ない」という部分は美点としてちゃんと残した上で、ということだ。最終話で彼に1つの選択が迫られ、あと1歩の所で彼は、「大事なもの」を見捨てることで自由を得ようとするわけだが……ま、そこで「ああいう選択」が出来るのは素晴らしい。
多分、1巻時点の彼なら、あれは出来なかったろうな、とも思うのだ。
……って、大河と竜児だけでこんな分量になってしまったw
これでもこの2人についてもまだまだ語り足りないのだから恐ろしい。
北村、実乃梨、亜美についても書こうと思ってたけれど、これはまた後日ということで。
まあ何が凄いって、このキャラ設計と配置、そしてそれをこう纏めきる技術だ。
誤解を恐れず言えば、細かいパーツは結構ありがちではある。
けれど、それらを家族背景と併せて説得力ある形で組み上げ、しかも、初期条件を用意した時点から最終ゴールを既に計算。各巻ごとの話でそれなりの進展や途中経過を出しつつ、10巻分の尺をしっかり計算し作中時間の経過も計算しイベントを配置し、しかし、自然な形で読ませ、惹きつけ、作中キャラの成長を納得させる……。
これが、プロの仕事なんだよなぁ。凄いわ、ほんと。
『とらドラ!』の次の記事は、残りの主要キャラ3名について、同様のメスを入れていく予定。
この3人以外の脇役勢にも、解剖すると面白そうなキャラが結構いるんだけどね。独身(30)とか、魅羅乃ちゃん(泰子)とか。ま、その辺は後々気が向いたら、ということで。