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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮第一集「個人崇拝への道」(3)

2006-04-06 | 記録
ドミトリー・カプースチンの証言 
主体思想はプロパガンダの寄せ集めにすぎません。
ソビエトの影響を受けたキム・イルソンは人を洗脳するプロパガンダの
重要性をよく理解していました。
彼は主体思想を用いて国民の洗脳を始めたのです。
その洗脳はとても速い速度で進み、我々はただただ驚きました。


<ナレーション>
主体思想によって、歴史の書き換えも進みました。
建国の歴史はキム・イルソンへの賛美で彩られるようになりました。
解放直後のソビエト軍の歓迎集会は、『キム・イルソンの歓迎集会』に変えられています。

記録映画でのキム・イルソンの発言  
私キム・イルソン(金日成)は党創建後10月14日に人民にあいさつしました。
私が演題に立つと、群衆の歓呼の声は最高潮に達しました。


<ナレーション> 
人々の反応も、全て熱狂的な歓迎とされ、偽物と疑われたことには触れられていません。

記録映画でのキム・イルソンの発言  
私が帰郷したと聞いて、遠くの村からも人々が列をなしてやってきました。
 

<ナレーション>
故郷訪問の写真も改ざんされています。
当時の写真は左側、キム・イルソン(金日成)を支えたソビエトのメクレルが写っています。
記録映画ではメクレルの存在は消され、朝鮮人に変えられていました。

個人崇拝を確立したキム・イルソン(金日成)
祖国統一を掲げ過激な行動に走ります。

1967年、非武装地帯で南北の衝突が急増。
ソビエトは北朝鮮がそのほとんどを引き起こしていると結論づけました。

翌年1月。北朝鮮の武装ゲリラ31人が、韓国の大統領官邸を襲撃。
武装ゲリラは韓国軍と2週間にわたって銃撃戦を繰り広げ、ほとんどが射殺されました。
ただ一人拘束されたゲリラを尋問した映像を入手しました。

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

   質問:『どんな任務を受けたのか?』

   答え:『大統領官邸にいるパクチョンヒ大統領を銃殺し、
        主要な幹部を撃ち殺す任務です。』

  ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


<ナレーション>
北朝鮮はパク・チョンヒ大統領を殺害すれば、民衆が蜂起し革命が起きると考えたと見られています。

ワジム・トカチェンコの証言  

我々は、危険だと感じました。
北朝鮮に対するコントロールが効かなくなったからです。
北朝鮮はソビエトを軍事衝突に巻き込む恐れさえありました。
我々は深く考え込みました、何をなすべきかと。



<ナレーション>
考える間もありませんでした。
二日後、世界を震撼させる出来事が、再び起こりました。
北朝鮮がアメリカの情報船、プエブロ号を拿捕し乗員82人を拘束したのです。
プエブロ号が領海を侵犯したと主張。アメリカの謝罪がなければ、乗員は解放しないと通告しました。
アメリカはプエブロ号は公海にいたと反論。
大統領のジョンソンはプエブロ号を奪還するため、北朝鮮の爆撃も検討しました。
航空母艦三隻と200機以上の戦闘機を出動させました。

ソビエトは驚愕しました。軍事同盟を結ぶ北朝鮮がアメリカと衝突すれば、全面戦争に発展し、自らも巻き込まれる恐れがあるからです。

ワジム・トカチェンコ
    (当時、ソビエト共産党中央委員会)

「政府、党の中央機関の人間は、誰も睡眠を取ることができませんでした。
誰も家に帰れず、オフィスから出る事ができませんでした。
私たちは正に激流に中にいました。
ぎりぎりの状態で危機を解決しなければならなかったのです。」
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
首相のコスイギンは、不測に事態を防ぐためアメリカのジョンソンに書簡を送りました。

コスイギンの書簡 ―――――――――――――― 
大統領閣下、我が国が見るところ、問題を解決する最も確実な方法は、軽率な行動を取らないことです。
北朝鮮に圧力をかけようとする試みは、単に解決を難しくするだけです。

――――――――――――――――――――――――――



<ナレーション>
コスイギンの書簡が届いた二日後、ジョンソンは北朝鮮に交渉を提案。
至急協議したいと呼びかけました。

その二日後キム・イルソン(金日成)の書簡がモスクワに届き、コスイギンを驚かせました。
初刊の内容をソビエト共産党の幹部が記録しています。

――キム・イルソンの書簡―――――――――――――――――――――――――
我々は侵略者に対して反撃を加える準備をしなければなりません。
戦争が起きればソビエト政府は我々と共にアメリカ帝国主義と闘うと確信しています。
その場合総力を動員し、我々に軍事援助を与えてくれることを望みます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


――ワジム・トカチェンコ(当時、ソビエト共産党中央委員会)―――
北朝鮮は私たちを試しさえしました。
彼らはカミソリの上を渡っていたのです。
一歩間違えれば、本当に戦争になっていました。
北朝鮮は我々から得られるもの全てを搾り取ろうとしたのです。
戦争の危険を顧みずに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
ソビエトの最高指導者、書記長のブレジネフが説得に乗り出しました。
ブレジネフはキム・イルソンをモスクワに呼びました。
しかし、キム・イルソンは国を離れられないとして、拒否しました。

パンムンジュム(板門店)ではアメリカと北朝鮮の交渉が始まっていました。
交渉の様子をアメリカ側の報道機関が撮影していました。
北朝鮮はアメリカが謝罪しなければ乗員は解放しないと繰り返し主張。
11ヶ月に及ぶ交渉の末、アメリカはついに譲歩しました。


―――◆アメリカ側の発言―――――――――――
私は金正日が用意した書類に今から署名するが、
これは私たちの主張とは異なる文書である。
我々は乗員を自由にするためだけに署名する。
―――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
アメリカは北朝鮮が用意した謝罪文に署名しました。
当時アメリカの国務長官だったニコラス・カッツェンバック。
カッツェンバックは大統領の下でプエブロ号事件の対応に当たりました。

ニコラス・カッツェンバックの証言 
アメリカにとって屈辱的な経験でした。
しかし我々は、乗員を救出する方法を他に知りませんでした。
あのまま続けば、何年もかかったでしょう。
――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
事件発生から11ヶ月後、北朝鮮はようやく乗員を解放しました。
しかし、キム・イルソンはプエブロ号の返還を最後まで拒否しました。

アメリカと北朝鮮との交渉を固唾を呑んで見守っていた人がいます
ロアルド・サベリエフ、76才。サベリエフは当時ソビエト大使館の書記官でした。
その後も20年以上北朝鮮との外交を担当しました。

ロアルド・サベリエフの証言  
「その後の北朝鮮の行動原理を考えると、プエブロ号事件は北朝鮮の瀬戸際外交の始まりです。
そうした新たな戦術の始まりなのです。
北朝鮮はこの機会を利用してアメリカ帝国主義と闘っていることを誇示したのです。」
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮も協議の様子を撮影していました。
――――北朝鮮の記録映像―――――――――――
プエブロ号が我が人民軍に拿捕されて11ヶ月
米国は我々の前にひざまづき、謝罪文に署名した。
―――――――――――――――――――――――

~ピョンヤン~
<ナレーション>
返還を拒否したプエブロ号は戦利品としてピョンヤンに展示されています。
アメリカに勝利したと、金日成の個人崇拝を更に高めています。

――展示場の案内――――――――――――――――――――――
プエブロ号の10分の一の模型です。反米教育に使われています。
米国が侵入すれば絶対に容赦しないことを我々は見せつけました。
――――――――――――――――――――――――――――――

<ナレーション>
北朝鮮の指導者として見いだしたソビエト連邦。
しかし金日成はソビエトの統制を離れ、個人崇拝に基づく独自の独裁体制を築きあげていきました。

ワジム・トカチェンコ
(当時、ソビエト共産党中央委員会)のことば 

――――――――――――――――――――――――――
北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。
彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためには、
どんな手段を用いてもかまわないと考えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。
私は時折思います。
このような人々と全く関わらない方がいいと。
不用意に関わるとこちらが病気になり、傷つく事になります。

――――――――――――――――――――――――――




<ナレーション>
70年代に入ると金日成の個人崇拝は更に強化されました。巨大な銅像が各地に次々に立てられて絶対の忠誠を誓うことが求められました。その一方絶対的権力が、長男金正日に継承する準備が密かに進められていました。
金正日に個人崇拝による独裁体勢は父から息子へ引き継がれて行くことになります。

参考:プエブロ号事件
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NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第二集「隠された世襲」(1)
NHKスペシャル ドキュメント北朝鮮  第三集「核開発を巡る戦慄」(1)


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