先週の土曜日、中山美穂のコンサート前に伏見ミリオン座で観た最後の映画は、「エドガルド・モルターラ ある少年の数奇な運命」でした。この映画は、史実に基づいて作成された映画という事で、事実に基づいた映画と言えるので観ることにしました。上映終了時間から、中山美穂のコンサートの開場時間まで、30分強しかなかったので、スケジュールに入れようかはずそうか迷いましたが、まあ開演まで30分強というわけではないし、ここでスケジュールに入れないと後々に残すともっと無理になって、観れなくなる可能性もあるので、観れる時に観ようということで、スケジュールに入れ込んで観ました。
内容は、19世紀イタリアで、カトリック教会が権力の強化のために7歳になる少年エドガルド・モルターラを両親のもとから連れ去り、世界で論争を巻き起こした史実をもとに描いたドラマ。1858年、ボローニャのユダヤ人街に暮らすモルターラ家に、時の教皇ピウス9世の命を受けた兵士たちが押し入り、何者かにカトリックの洗礼を受けたとされるモルターラ家の7歳になる息子エドガルドを連れ去ってしまう。教会の法に則れば、洗礼を受けたエドガルドをキリスト教徒でない両親が育てることはできないからだ。息子を取り戻そうとする奮闘する両親は、世論や国際的なユダヤ人社会の支えも得るが、教会とローマ教皇は揺らぎつつある権力を強化するために、エドガルドの返還に決して応じようとはせず……。
このような事が行われていたというのが、史実であったということは、いかに当時のカトリック教会、ローマ法王が権力を持っていたかということがわかります。この非人道的行いが、教会によって行われるところが何ともはやである。それを教会の教義によって正当化してしまうのだらから、恐ろしいし、手におえない。されには幼少期からの教会での生活は、もはや洗脳といっても良いでしょう。これじゃ新興宗教とやっていることは、変わらんのではという感じである。まあ、一番悪いのは勝手に洗礼をした人間なのだが。本人が意思表明できない時に親の許可もなくやった洗礼でも有効って、納得できない。現代だったら、間違いなく人権問題であろう。当時さえ大きく世界的報道されて、カトリック教会は叩かれたようだが、意固地になったように頑なに返還しなかった結果、悲しいというか切ないことに。なんだか、もはやという感じである。宗教は大切ではあるけど、行き過ぎもよくないね。