Biting Angle

アニメ・マンガ・ホビーのゆるい話題と、SFとか美術のすこしマジメな感想など。

「傀儡廻」に関する私的考察

2006年11月28日 | アニメ
『攻殻SSS』各所で極めて好評みたいです。
店頭での売れ行きを見た感じ、攻殻シリーズ中で最も売れた作品になりそうな予感。

さて今回はネタバレ全開で、傀儡廻に関する個人的な考察をいくつか書いてみます。

私の見解では、傀儡廻とはやはり素子が(人格と義体の両面において)並列化を
繰り返す過程で発生した、素子自身の分身なのだと思います。
さらに細かく言えば、それをベースにネット上に存在する不特定多数の「意識」が
結合した存在ではないかというところ。

たぶん素子が単独で行動している際に、貴腐老人を生み出す介護システムと
児童虐待の実情を掴み、やがて彼女の内面でこの二つの問題を発展的に統合して
超法規的かつ合理的な解決を図る方法論と、それを実践する役割を持った意識体が
密かに形成されていったように思われます。
もちろんそれは偶然の産物ではなく、「並列化による問題解決」の論理的帰結として
素子自身の無意識(ゴーストと呼んでも可)が「意図的に」作り出したものでしょう。
法と道徳の無力さを常に味わう身であり、かつ幼少期の辛い体験を抱えている
素子の深層心理が、かつての自分を思わせる弱い立場の人々に対しより直截的で
実効性の高い解決法を実践できる「傀儡廻」という存在を生み出したという可能性は、
いかにもありえそうな話です。

傀儡廻の目的のためには手段を選ばない非情さは、素子がこれまでに接触してきた
多くの人々の思想や行動に影響されたものかもしれませんし、これを並列化の一端と
見なすこともできるでしょう。
しかし一方で素子自身もトグサとその娘をおとりに使い、彼を危機一髪の状況にまで
追い込んでいることから、その非情さは素子が本来持っていた一面だとも考えられます。
抑圧・統制されていた素子のより先鋭的で自在な活動を求める側面が、「傀儡廻」に
端的に表れているという見方も可能ですし、だからこそ素子の敵となった人々の手管を
躊躇なく取り込むことができた、という解釈もありうると思います。
また逆に言えば、本来の素子が法と道徳を捨てきれず、また仲間を完全にコマとして
切り捨てられないタイプの人間だからこそ、別人格としての「傀儡廻」が生成されざるを
得なかったのかもしれません。
素子と傀儡廻はいわゆる「コインの裏と表」であり、同じ事件を別の見方、別の方法論で
解決しようと「並列処理」を行うプロセッサ同士にも思えます。
そして「草薙素子」は「単身で事件に挑むことの限界」を認識して、他者の持つ多様性と
信頼できる仲間が待つ9課へと帰還し、一方の「傀儡廻」は「消滅する媒介者にして介入者」
として、実在しない人物の姿をまといつつ茫漠たる人と情報の渦の中へと消えて行くのです。

それにしても、なぜ傀儡廻は最後に素子との直接コンタクトを狙ったのでしょうか?
この場合、普通に考えられるのは
1 素子への侵入
2 素子の同化・取り込み
3 素子への攻撃・抹殺
大体これくらいですが、作品中の描写では上記のどれに該当するかの断定できませんでした。
傀儡廻が素子を本気で思考迷路に取り込むつもりだったのか、疑わしいところもあるもので。

あるいは、上記のどれにも当てはまらないと考える場合、
「傀儡廻が素子に自分を見せたかった」
という、より単純な動機であった可能性も残しておきたいところです。
実体のない傀儡廻が「自分が何者であるか」を証明するほぼ唯一の手段は、相手と自分を
直結することしかなさそうですし、特に「もうひとりの自分」にそれを知らしめるには、それこそ
面と面を付き合わせた直接対決に持ち込むしかありません。
そして素子が「傀儡廻」に繋がる(繋がれる)ことにより、素子自身が「並列化」されるという
事態に至ることで、ついに両者は対等の存在となったようにも感じられるのです。
まあこれは抽象論にすぎないので、実利を求める考えからは遠くなってしまいますけど。

傀儡廻の顔が次々に変化していく様子ですが、『ヴィドック』の犯人の仮面や
最近だとコミック版『V フォー ヴェンデッタ』の終盤が思い浮かびました。
そういえば「ペルソナ」ってもともとは「仮面」を意味する言葉だったはず。
草薙素子と傀儡廻。果たしてどちらが仮面で、どちらが素顔だったのでしょうね。

ちなみに「ソリッド・ステート」って「半導体素子」を指す言葉みたい。
半導体の素子・・・これってもしかして答えとか?
コメント (4)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« おそるべき『立喰師列伝』 | トップ | 『パプリカ』初日鑑賞 »
最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
DVDを入手したものの (春日希望)
2006-12-10 22:49:33
 新刊の締め切りに追われずっと封印状態で、最近やっと観れました。

 「傀儡廻」の目的を考えるなら「素子の同化・取り込み」がしっくり来るのですが、劇中の描写だと確かに断定できませんね。素子を取り込み、同化すればよりSSSを拡大し確実なものにできる訳ですから。それなのに「傀儡廻」は思考迷路に誘い込んだだけ(或いはタチコマが介入して阻止した? でも止めようとしたバトーは「傀儡廻」に抑えられてますし。うーむ)

 自分は「傀儡廻が素子の無意識から派生した存在であることを彼女自身に知らしめたっかた」と感じました。いずれにせよ、情報の海でゴーストが生まれる可能性がある、ということだと思います。

 それ以外では「24」似たテイストのスピード感が好きですね。サイトーの狙撃場面とかたまらんです。
年末進行お疲れさま (青の零号)
2006-12-11 02:35:17
春日さん、こんばんわ。

>傀儡廻が素子の無意識から派生した存在であることを
>彼女自身に知らしめたかった
私もそう思ってます。
いろいろ言ってもしょせんは憶測の範囲でしかないので
楽しんで書いてみただけなのですが、真に言いたいのは
「傀儡廻はもう一人の草薙素子である」という一点に尽きます。
そうじゃないと、素子は9課に戻ってこれなくなっちゃうから。
2ndGIGで公安として、個人としての限界を痛感した彼女が
もう一度9課で再スタートを切るためには、自分の在り処を
見直すと同時に、自分の選ばなかった道を行く存在に
自分の意思を託さなきゃいけなかったと思うのです。
傀儡廻がこの世に存在することで、素子もまた9課に
在り続ける事ができるようになった、そう思ってます。
傀儡廻を解放することで、素子自身もまた解き放たれた、
そんな感じですかね。

>「24」に似たテイストのスピード感
「24」は流行っちゃったので見てません(天邪鬼なので)けど、
確かに海外ドラマの作法は感じられますね。
特にTVシリーズの場合はそれが顕著だと思います。
SSSは比較的映画的な作りだけど、シナリオの密度が
TVシリーズ並みに濃いおかげで、かなり性急なところも
感じられたのがもったいなかったですね。
そのへんの細かい事は、また今度飲みながらでも話しますか
Unknown (curiosity_future)
2006-12-24 16:19:07
遅ればせながら、ユングの集合的無意識を踏まえて少し書いてみました。
TBさせていただきます。
TBさせていただきました (青の零号)
2006-12-25 21:02:04
curiosity_futureさん、お越しいただきありがとうございます。
こちらもTBとコメントを入れさせていただきましたので、ご覧ください。

コメントを投稿