わからないことを知ろう

読書ブログを中心に政治、古代史、民俗学、小説などについて書きたいと思います

デモは社会を変えるか?

2015-08-24 23:26:15 | 日記
 デモは社会を変革するか?について少し考えました。

開沼博さんは、デモでは社会は変わらないといいます。http://school-market.net/lecture/1356430906/
 (本文引用)゛しかし「デモがある社会がいい」という方は、デモには共同性があるだけでなく、結果的に目的性もあるとおっしゃられる方が多いんですね。
つまり、デモをやることが、脱原発などにつながるということです。
ここで私は立場を異にします。そして、デモは無効だと言い続けています。「意味はあるけど、効果はない。デモで原発は止まらない」と。
そして、この無効性こそ、功罪の罪の部分だと思います。
目的性があると言いたいがために「警備している警察官が、実は僕も脱原発なんですと、耳打ちしてくれました」とか、「政府筋によれば、デモがあること、政治家がすごく嫌がっていて…」だとかいう人がいます。
でも、そんなこといっていても仕方ないんです。実際、脱原発は閣議決定されていないし、原発立地地域にいけば、脱原発派が勝った例はないですね。相変わらず推進派が勝ってしまう状況が続いています。
それは、米国や経済産業省をはじめとする官庁、財界、政治家も含めて根強く原発の必要性を求めていく構造が、結局1ミクロンたりとも動いていないからです。
他方で、原発立地地域やその周辺の政治権力の構造もまったく変わっていません。
結局、デモの共同性が目的性にフィードバックされるというのは、幻想だったわけです。
では、なぜ脱原発デモは、僕が二つの原子力モデルと呼ぶ、地方の原子力ムラと中央の原子力ムラを1ミクロンも崩し切ることができないのでしょうか。
脱原発デモ参加者は、自分は社会の「下」や「外」であるとか、自分は東京にいたけど、この事故の当事者で、デモに参加する政治的正当性をもっているといいます。
しかし、さらなる「下」や「外」があり、そこには難しい問題があることを彼らは理解していません。
これが、脱原発デモが無効となった大きな要因であると私は考えます。゛


 デモをして、ある政治的主張(脱原発)を唱える。しかし、現実の例えば原発がないと生活ができない地元の人たち、中央の原発を求める権力構造を知り、そこをどうしていくかについて考えないことには、脱原発は達成されないということでしょうか。

 一方で、今回の安保法制に反対する学生たち(SEALs)への評価は高いです。
 内田樹さんもブログに掲載しています。http://blog.tatsuru.com/
「8月23日SEALDsKANSAI京都でのスピーチ」

 内田さんは、「戦争をしたがる人たち、戦争をするためには、平和憲法が最大の妨害であり、立憲デモクラシーという政体が非効率だと思っている人たち」が政権トップにおり、それに相対していること。
借り物ではない、自分たちの言葉で、政治的意見を述べていることを評価しています。
 そして、現在は、安倍政権による平和主義、立憲デモクラシーの死、SEALDsの
運動による平和主義、立憲デモクラシーの再生劇に立ち会っているといいます。

 少し、私が不安に思うことは、このように持ち上げられていますが、法案が通過して
しまった後で、学生たちが挫折と受け取り、政治的に過激な方向へ向かってしまう、
または、無気力となってしまうことです。

 安保法制も、安保村、対米従属の政治機構が変化しない限りは、法制化されてしまう
と予測もできます。
 だからといって、デモは不必要とは私は、思いません。
 関心のなかった人を報道を通じて興味を喚起させる。同じ思いを持つ人を勇気づける。
政権としても、広くデモが共有されれば、ダメージとなるのではないでしょうか。
 デモで、表現しながらも、安保法制の土台となっている歴史、機構に目を向けて考える。
 議論をして、問題を提示、共有する。そして働きかける。
そういった両輪が必要なのかなと思いました。
そして、結果をすぐ求めない。すこし前進したときに、これでも可とする技量を持つことかとも思いました。
 


「戦争が遺したもの」 鶴見俊輔 上野千鶴子 小熊英二 

2015-08-17 10:48:09 | 日記
7月にお亡くなりになられた鶴見俊輔さんを囲んで、上野さんと小熊さんがインタビューする
形で書かれた本です。

以前は、鶴見さんは、とても有名な思想家。ということしか知りませんでした。
テレビで特集されているのを見て、簡単なライフストーリーを知りました。

この本を読んで改めて、戦後を通じて、日本の思想をリードする大きな星だったのだなと思いました。

上野さんも、小熊さんも鶴見さんを敬愛されている様子ですが、対談では決してスポイルすることなく、
ときには鶴見さんを追い詰める形になっていることもあります。
そのような二人にも、誠実に答えていらっしゃる姿が印象的です。

戦中、従軍慰安所の仕事をされていたことは、意外でした。
自分も加害者であること、結局は殺さなかったけれど、いつ殺してもおかしくない状況だったことを話されています。

姉和子の手助けもあり、戦後「思想の科学」を刊行。
丸山眞男との交友もエピソードを交えて談話されています。
本当に生きた時代の証人であったのですね。

声なき声の会、べ兵連と時代を動かした運動の先頭にいつもおられました。

時代の息遣いが伝わってくる本でした。

自分が何かに迷ってしまったとき、鶴見さんの言葉を基準にして行けば、良いかなと
思いました。

こんなことを言うと、「自分で考えていくのが大事ですよ」とおしかりを受けるかもしれませんが。

「右傾化する日本政治」 中野晃一

2015-08-01 22:48:26 | 日記
日本の政治がどういった道筋を経て、右傾化するようになったかを1955年から
丹念に描いています。

著者によると、かつて自民党には、「旧右派連合」が存在していました。
それは、「開発主義」と「恩顧主義」の連合からなるものでした。

「開発主義」とは、国家が国家全体の経済目標を設定し、さらに国家主導でその
現実をめざすこと。

「恩顧主義」とは、階層的な社会を温存しつつも、経済成長の果実を一定程度
再分配すること。


それは、池田内閣から軌道にのり、田中角栄、大平正芳政権にピークを迎えました。

「旧右派連合」の対立概念として、「新右派連合」が台頭します。

「新右派連合」は、「新自由主義」と「国家主義」の連合です。

「新自由主義」とは、個人や企業の経済活動の自由を掲げ、そのために政府や社会、
労働組合などによる介入や制約を排した自由市場や自由貿易を奨励した、いわゆる
「ちいさな政府」論。

「国家主義」とは、国民の統合、主権、自由よりも、国家の権威や権力の強化が
優先する傾向が顕著。国家権力を内外でより強大なものとすることを目的に、
国民意識や感情(ナショナリズム)をあおる政治手法が手段として用いられるとしています。

中曽根政権に始まり、小沢一郎、橋本龍太郎、小泉純一郎、安倍晋三と続く流れで、
今や自民党の主流となりました。

「新右派連合」も、はじめは、田中派が多数を占める中では、発揮できていませんでしたが、
小泉政権のとき、派閥と「旧右派連合」は弱体化します。

そして、現在の安倍政権は、官僚、メディア、財界を手なずけ、抵抗勢力がほとんどいない状態です。

以前は、社会党の政権交代など、揺れ戻しがあったのですが、民主党の政権交代時に、
政権運営に失敗したこともあり、今後政権交代が起こる予測も難しそうです。

となると、今後日本の政治は右傾化を強化する一方となってしまいます。

著者は、今後右傾化を防ぐ方策として、リベラル・左派が再生し、連合していくことだとしています。


もう、自民党はかつてのように、国際協調主義でも、公共事業や補助金を持って来てくれる党でも
ないのです。
どうか、自民党の支持者がそこに気づいてほしいものです。

私たちには、新自由主義と、少数の保守エリートによる政治支配、復古的国家主義の暴走が立ちはだかっているのですね。