59歳「じージ」の癌治療日記

2005年11月、胃がんと診断された3人の孫を持つ59歳男性の治療記録

入院中 9.9

2006-09-21 18:13:03 | Weblog

9月9日(土曜日)
昨日(金曜日)の夕方、やっと主治医と話しが出来た。
水曜日からオキシコンチン(痛み止め)の量を増やして、吐き気がひどくなり大変だった旨、訴えた。
気になっていた抗がん剤の名前を確認した。
イリノテカンとカンプトは同じ薬だそうだ。
癌研で聞いた薬と北里で投与している薬は同じだと確認できた。
ただ、あまり効いていないようだと言うと、まだ始めたばかりですから、もう少し様子を見ないとなんともいえませんとの回答、もっともだ。
妻は癌研に移ることには消極的みたいだ。いざと言う時に近い方が安心だと言っている。
薬も同じだと分かったことだし、看護師間の引継ぎに多少の不満は残るが、しばらくこのまま北里で様子を見ることとする。

今朝ほど体重測定があった。
55kgに落ちていた。入院して5kg減ったことになる。
健康な時からは13kgの減少だ。
今日から栄養剤の点滴を受けることにした。



「生きる意味」
9月9日(土曜日)
骨転移による腰の痛みや、痛みを抑えるための薬による副作用の吐き気に苦しめられていると、ついつい「神様は何で意地悪なんだろう」と邪心が芽生えてくる。
「僕はこんなに苦しんでいるのに、まだ苦しみが足りないのでしょうか?」
「あとどれくらい苦しんだら許してもらえますか?」
こんなに苦しいのになんで生きる意味があるのだろう。
以前に人間の生きる意味に関して考えた時に結論が出なかった。
私には人のため社会のために出来ることが無い、と悩んだ。
そのうちフランスにいる娘から3冊の本が送られてきた。
そのうちの一冊に「それでも人生にイエスと言う」 V.E フランクル著 という本があった。
第2次世界大戦中にナチスの強制収用所を経験したドイツ人の精神科医が終戦直後の1946年(昭和21年、私の生まれた年)に講演した内容を本にしたものだ。
その中に、「人間はどんなに苦しくても、生きていること事態に生きる意味がある」
その人が生きることにより影響を受けている人がいる限りは生きる意味がある。
といった内容で生きる意味に関して書かれている。
収容所にいると毎日が死とは背中合わせだ。
死にたいと思えばちょっと体力が無く、気力が無く、強制労働に耐えられない、すなわち収容所での必要な人で無くなったと見られたときには、次の日はガス室送りで、死ぬことが出来る。
それでも、皆必死に生きようとしている。いつ出られるか分からない毎日に耐えている。
と言うよりも 神が死ぬことすら許してくれないのだ。
この本を読んでから、何も世の中に尽くすことが無くても人には生きる意味があることが、おぼろげながら分かったような気がする。

この本はドイツ人精神科医がドイツ語で講演した内容を日本語に翻訳してあるので、言い回しが哲学的で分かりにくいところも有るが、言葉を一つずつ理解していけば言いたいことは分かってくる。興味のあるひとはamazonから検索して読んでみるといい。
終戦直後の混乱期にドイツ人によってナチスの実情をこんな形で世間に披露したことに、私はヨーロッパ社会の成熟度を感じる。


9月9日(土曜日)
妻が千葉の野田のある「霊波の光」まで御神酒を頂にお参りに行ってくれた。
このところしばらく御神酒を頂いていなかったし、いろいろと治療を続けてはいるが、なかなか効果が現れないことへの焦りもあった。
不思議なことに昨日まで骨転移から来る腰の痛みや、痛み止めによる吐き気に苦しめられていたのが、少し和らいだ気がする。
食欲も少し出てきた。と言うより、食べ物を見て吐き気を感じなくなった。
3時頃には頂いてきた語神酒を私に持参してくれた。
「誓訓」を唱えながら御神酒を頭のてっぺんや患部に手先で少しずつつけてもらった。
気持ちが落ち着き、身体も痛みが和らぎ、胃のつかえも少なくなった気がする。
御守護神さまと妻に感謝した。

夕方には次男夫婦が孫二人を連れて見舞いに来てくれた。
孫二人はとても私になついていて可愛い。下の子はまだまだ病院の中を理解できなくて大声で話すので、ロビー^に行って孫と話した。


9月10日(日曜日)
隣町(八王子小比企町)に住む学生時代からの友人T君が病院まで見舞いに来てくれた。
しばらくブログが更新されないのでどうしたかな? そろそろ予定では退院の頃だが、
と実家に電話したらしい。ちょうど妻が「まだ、入院しているんですよ、これから病院に行くところです」と言うと、
では「私も行きましょう」となったらしい。
いつも気に掛けてくれて本当にありがたい。
妻を交えて3人で1時間くらい談笑して帰っていった。

9月11日(月曜日)
栄養剤の点滴と、食事が少しずつ食べられるようになったおかげで、だんだんと体調も良くなってきた。
夜中にトイレに起きる時に腰が痛いのは仕方ない。オプソと言う、薬を飲むと少し痛みは和らぐ。
主治医が朝、回って来られたので、腰の痛みと、痛み止め薬、その副作用の吐き気、放射線治療の効果などについて話し合った。
オキシコンチン(痛み止め薬)の量が少ないと思うが、増やすと吐き気がまた出そうで心配だ。放射線による痛み止めは効果が無いか?やるとしたら入院中に受けたいが・・・と聞いてみた。
結論は、放射線を13日からやってみることにした。少しは痛みが取れることを期待して・・・


9月12日(火曜日)
人間の身体は食べることによって命が吹き込まれることを実感する。
食事が少しずつできるようになり、体力が少し回復してくると、気力も出てくる。

今朝は2週間に1度の院長回診が有った。
TVで若い医師を引き連れて各病室を回る あれだ。
院長は初めて会ったが、割と気さくな感じで、TVで見る重々しい回診のシーンとは随分と雰囲気は違った。
院長が患者を見ることが目的ではなく、若い医師の処置、患者への対応などを回診を通じてチェックすることが目的のようだ。

入院が予定より伸びているので気功の先生に電話をして、退院までもう少時間が掛かりそうだと伝えた。吐き気で食事が出来なかったことを話すと、先生は随分と心配してくれた。やはり体力が一番大事だという。


9月13日(水曜日)
天気予報で今朝の気温が16度で肌寒いほどと言っていた。
入院時には日中の気温が36度も有ったものがあっという間に秋になってしまった。
外に出ることが無いので気温を肌で感じることが無いのが寂しい。

今日は放射線治療開始日だ。
放射線治療が始まると毎日うけることになる。15日からは第10回目の抗がん剤投与が始まる。今まではこの日は通院で受ける予定になっていたが、昨夜主治医と話して少なくともこの日(15日)までは入院しておき、その後様子を見て通院できるようであれば、退院して放射線を続けることにした。
主治医も話している私の体調が良い事を感じ取り、とても喜んでくれた。
吐き気が無くなり、食事が取れるようになり随分とよくなった。

次男のお嫁さんのお母さんが「霊波の光」の皆さんと一緒にお祈りをしてくれているとの事、これも治療効果を良くしてくれていると思う。次の日曜日には妻が横浜支部まで出向いて皆さんと一緒にお参りしてくれるそうだ。
皆さんに良くしていただいて本当にありがたいと、感謝している。


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