都内散歩 散歩と写真 

散歩で訪れた公園の花、社寺、史跡の写真と記録。
時には庭の花の写真、時にはテーマパークの写真。

平塚神社 

2013-11-10 19:23:22 | 都内散歩
 平塚神社 (旧郷社)  旧社号:平塚明神社   東京都北区上中里

【住 所】東京都北区上中里1-47-1   "Mapion地図"
【御祭神】
八幡太郎 源義家命 (はちまんたろう みなもとのよしいえのみこと)
賀茂次郎 源義綱命 (かもじろうみなもとのよしつなのみこと)
新羅三郎 源義光命(しんらさぶろうみなもとのよしみつのみこと)
源義家命:平安後期の武将で、源頼朝・義経や足利将軍家の先祖。岩清水八幡宮で元服したので八幡太郎と号されました。その武威は物の怪ですら退散させたといわれ、義家公の弓矢は魔除け・病除けとして白河上皇に献上されました
源義綱命:義家公の次弟。賀茂神社で元服したので賀茂次郎と号されました
源義光命:義家公の三弟で武田氏、佐竹氏、小笠原氏の先祖。新羅明神で元服したので新羅三郎と号されました。

【略縁起(平塚明神并城官寺縁起絵巻より)】
平塚神社の創立は平安後期元永年中といわれています。八幡太郎源義家公が奥州征伐の凱旋途中にこの地を訪れ領主の豊島太郎近義に鎧一領を下賜されました。近義は拝領した鎧を清浄な地に埋め塚を築き自分の城の鎮守としました。塚は甲冑塚とよばれ、高さがないために平塚ともよばれました。さらに近義は社殿を建てて義家・義綱・義光の三兄弟を平塚三所大明神として祀り一族の繁栄を願いました。
 徳川の時代に、平塚郷の無官の盲者であった山川城官貞久は平塚明神に出世祈願をして江戸へ出たところ検校という高い地位を得、将軍徳川家光の近習となり立身出世を果たしました。その後家光が病に倒れた際も山川城官は平塚明神に家光の病気平癒を祈願しました。将軍の病気はたちどころに快癒し、神恩に感謝した山川城官は平塚明神社を修復しました。家光も五十石の朱印地を平塚明神に寄進し、自らもたびたび参詣に訪れました。
【境内社】大門先稲荷神社(倉稲魂神)、元稲荷神社(保食神)、御料稲荷神社(保食神)、菅原神社、 石室神社
【例 祭】大祭 9月中旬頃に開催(25年は9月14.15日)
【文化財】
紙本著色平塚明神并別当城官寺縁起絵巻(北区指定有形文化財)
平塚神社文書(北区指定有形文化財) 引用:平塚神社HP 

平塚神社   平成25年11月1日撮影
 社号標 

平塚神社 参道の入口近くは駐車場 

平塚神社 参道の中ほどの鳥居は駐車場の中に 

平塚神社 参道の奥 平成25年11月01日 撮影

平塚神社 社殿 平成25年11月01日 撮影

平塚神社 拝殿の中の様子 鎧が飾られている

平塚神社 拝殿の正面には 三人の武将を描いた絵?の額がある

平塚神社 本殿

平塚神社 社殿の屋根棟の神紋

平塚神社 お賽銭箱の神

平塚神社 神楽殿

平塚神社 獅子山と狛犬

平塚神社 手水舎 

平塚神社 境内社 御料稲荷神社

平塚神社 境内社 菅原神社 

平塚神社 境内社 石室神社

江戸名所絵図に描かれた平塚明神社(現平塚神社)

平塚神社 境内の由緒記載の掲示 
 
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