昨日、待望のふくちゃんが名古屋を飛び立ち故郷福島に帰って来た。
誰よりも待ちわびていたのは他ならぬ隊員さん達に違いない。
私達支援会のメンバーよりもその思いは深い。
時として生死を分ける過酷な現場へ駆け付け懸命の救助活動が展開される。
私達はその現場に遭遇し、必死の救助活動を直視する機会はまずない。
仮に遭遇したとしても非常に稀で貴重な場面に遭遇したと言っても過言ではない筈。
全国の消防防災航空隊(市消防局も含む)は常に愛機とその修羅場に駆け付け、「救える命を救う」のだ。
彼らに失敗という言葉は許されない。完璧にミッションを終えて基地に帰投する事が当たり前。
失敗(事故)を犯せばマスコミが好き勝手に非難し、彼らの誇りまでも汚し書き下ろす。
私はかつて悲しくも起きてしまった防災ヘリの事故をやるせない気持ちで受け止めて来た。
事故が起きれば誰かが責任を取っておしまい?
そんな事は絶対許せない”筆の暴力”と感じている。
全国の消防防災航空隊クルーの目指すものは生きて帰投する事に尽きる。それが当たり前であり何も無い・・・それが常識なのだから。
日本の四季はめまぐるしく変わり、同じ場所での救助事案でも条件が異なり、夏では問題無くても冬では悪条件と様相が異なる事も勿論想像がつくだろう。
でも彼ら消防防災航空隊は飛び立って行く。救助を求める要救助者がいる限り・・・・
私は地元福島県の福島防災を長年写真を撮影しながら見守って来た。
時代は移り替り、クルーの顔ぶれが替ろうともふくちゃんだけはそのまま変わらずそこに居る。
愛おしいふくちゃん。
10数年を超えての長い付き合いだが現役のクルーがふくちゃんへ抱く思いは私とて適わない。
昨日、ふくちゃんが帰って来た時に見せてくれたクルー全員の笑顔は私にとって無機質なヘリと血の通った人間との不思議で普遍的な絆を感じた。
相棒が帰ってきた喜びに顔の筋肉も緩みっぱなしだったけど私にはその気持ちが良く分かる。
きっと今日からはクルー全員、臨戦態勢の引き締まった面持ちに変身している事だろう。
この時期、既に来年度入隊予定の3名が教育訓練に入っている時期だ。
また新しい福島防災がスタートする。
そして、親しくなったクルーが任期を終えてそれぞれの地元消防本部へと帰って行く日も近い。
センターの一角には歴代OBがそれぞれの思いを込めて植樹した桜の幼木が年を重ねるごとに1本、2本と増え続け今春も花を咲かせる事だろう。
その桜を観る度に往年のクルー達の笑顔とカッコイイ勇姿を思い出すのだ。