Be Chair 七飯Salon

ココロとカラダが喜ぶ sweets & salon Be Chair です!!!

感謝!

2023-04-01 11:00:01 | salon



                




ブログでサロンを閉店することを告知して1週間。。
いろんなクライエントさんから
メールやお電話やお手紙や、
プレゼントまで届き、
本当に感謝でいっぱいです


ありがとうございます


昨日の夕方には、
花束を持ってサロンに寄ってくださった方も!
写真の美しい花束はそれです~


お花の色が、
春の装い!


見ているだけで、気持ちがグッと上がりますね
ありがとう~


涙、涙の
エンディングとなりました


私の願いは、
私と出会ってくださった方々が、
セッションを通して一歩一歩、幸せの道のりを歩いていくこと。


というより、いつも幸せが、どこか遠くではなく、
自分の中にあるということに、
癒しや学びの中で気づいていくこと


そして、自分がまず満たされて、
あふれたもので他者を、周囲を満たしていくこと


完璧にとまではいきませんが(てか、いかなくていい。人生も自分もいつも不完全でOK)、
じわ~っとしみてくるような
ハートが満たされる感覚を時々感じて、
それが少しずつ暮らしの中で増えていく…


見かけだけの表面的な幸せではなく、
こすったら剥がれ落ちる、メッキのような幸せではなく、
心の奥から泉のように溢れる幸せの感覚を毎日に…


自分がそれを生きることで、
自分の周りの人たちが
またそれを受け取り、感じ、
ハートにあたたかいものが満ちていく…


まさしく幸せや愛の循環ですね!


そんなのが、いいな~なんて思って
やってきました


だから、たくさんのクライエントさん達に、
「人生が前向きに生きられるようになった」と
言っていただき、
すごくすごくうれしい!


そうそう!
どうせやるなら楽しんで!
どうせ生きるなら、楽しんで!


人生、酸いも甘いもあるけれど、
それらを体験しに生まれてきたのだから!


人生は楽しい修行なのだから!


不完全な自分を、めいっぱい楽しんで、
失敗も学びや気づきに変えて、
喜びを誰かと分かち合って…


酸いも甘いも味わい尽くす、
そんな感じで人生を生きられたら
素敵ですね


とはいえ、恐れも不安も心配も、
そんなこんなは
つきないですが(笑)


それらを排除せずに
「あなたたちも、いていいよ」って
受け入れながら


一歩一歩、
宇宙がくれたこの命を
大切に大切に
歩んでいきましょう


みなさま、
本当にありがとうございました!


最後に、この名言を贈って終わりたいと思います!


「幸せな人は、
他の人も幸せにしてしまうわ」
       ーアンネ・フランク



ありったけの
愛と感謝を込めて













10年間、ありがとうございました

2023-03-24 11:39:17 | salon

      



突然のお知らせになってしまいましたが、
このたび、サロンを閉店することになりました


最近通ってくださっていた方々には、
すでに数ヶ月前からメールでご連絡していたのですが、
びっくりの方もいらっしゃるかもしれませんね。
突然になってしまい、もうしわけありません


10年とちょっと?もの
長きにわたり、
みなさま、本当にありがとうございました


皆様と過ごした時間は、とても貴重で楽しいものでした


でも、心理セッションをしていると、
ときには、苦しくなるようなこともあったかもしれませんね。


心の成長の道のりは、良いことばかりではありません。
むしろ、ネガティブな出来事をきっかけに
大きく成長することが多いですから


つらいことやしんどいことに向き合わされることも、多々ありましたね。
インナーチャイルドと向き合うときには、特に苦しいものです


でも、勇敢なヒーローのように、
幾多の出来事に向き合って、
学びを得て、
そこから強くたくましく、それでいて慈愛に満ちた姿になっていかれる
クライエントさん達の様子は、
私も、勇気と元気をもらえました


同じところをグルグルと回ることもあるかもしれません。
でも、自分が納得するまで回ることも必要です。
その回った時間さえ、大きな糧になることもあります。


そうしていると、いつかを時季を得て
お花が静かに開花するように、
何か気づきが得られて、スーッと前に進めるときが来ます


どん底に落ちて、泣いていても、
その泣いた時間や経験こそが


いつか穴から這い出て、
光の道を歩き出したときに、
大きな原動力や叡智の源になることだって、あります


いろいろ経験している人は、
懐が深い


そう考えると人生に無駄なことはない!


ネガティブとポジティブは、
コインの表裏なんですね


このお仕事を通して、たくさんの方と出会い、
心に寄り添い、
さまざまな人生のお手伝いができましたこと、
これらはもう、私の一生の財産です


この10年あまりで、人生観や価値観が
大きく変わりましたから


人の成長に立ち会いながら、
それでいて、そのプロセスから、私自身も
多くのことを学ばせてもらっていた


そう考えると、
私にとって、クライエントさんが先生でもあるんですね
ありがとうございました


このような形で、
人生が様々な人との出会いで動いていく…
そのダイナミクスは、
本当に奇跡ですばらしいもの!
みなさまに出会えたことに、感謝です!


今、ハートに感謝がしみじみと、あふれてきます…
そして、10年あまりのさまざまな思い出も…


あんなことあったな~
こんなことあったな~



なんて、あたたかい気持ちで
人生を眺めている


それは、この10年が
私にとって、宝石のような時間だったからです


苦しいことも、大変だったことも、
そしてそれを上回る、心動かされる体験の数々も…
「私、よく生きたな~」と納得できる時間


そして、今は、人生のターニングポイント!


これまでの経験を活かして、
新たなスタートに向け、
また一歩一歩、進んで行きたいと思います。


恐れもたくさんありますが、
その恐れを味わいながら、
それでも、勇気を出して
新しいドアをくぐり抜けて


目の前のことを深く濃く、
ゆっくりと、丁寧に味わいながら


「固い殻に囲まれて、種のままでいることは、
安心で心地よいかもしれない。


でも、いつか、太陽の光に誘われて、
殻から飛び出し、
石ころや虫という障害をかきわけて、
大地に芽を出すことが、私たちには、宿命づけられている。


たとえ芽を出したとしても、誰かに踏まれるかもしれない。
鳥についばまれるかもしれない。
そんな危険を冒しながら、
それでも光に向かって静かに伸びていく。


雨の日、曇りの日、
寒い日も、大地に根を張って
静かに静かに茎を伸ばす。


晴れた日には、
日差しをいっぱい浴びて、
ぐんぐんと天に向かって葉を広げる。


何かが心の奥でささやくから。
私が生きている意味が、きっとそこにあるから。


勇気と忍耐の旅を続けよう。
それを、大いに楽しもう。


いつか、「自分」という花を咲かせるために
ただ「自分でいる」という喜びを知るために




みなさまも、
ますます人生を楽しまれてくださいね


またどこかでお会いできますこと、
楽しみにしております


10年間の、愛と感謝を込めて☆












ラッキーのかけらを拾う

2023-01-10 13:35:02 | salon

              


今日は良いお天気ですね
世間は普通の生活が戻って、
本格的に始動という感じです。


でも私ときたら、年末から毎日夜遅くまで食べ過ぎて、
朝は遅く起きてグウタラな生活をしていたら、
とうとうお腹が痛くなってトイレにこもる始末


昔からこの時期は鬼門で
何度も食べ過ぎてお腹を壊しているのですが、
↑病院で点滴したこともある
わかっちゃいるけどやめられない(涙)
ごちそうに、食欲が止まらない~


家族は「またか…」と苦笑い
この歳になっても、なかなか悪い習慣は抜けないものですね
そろそろ普通の状態に戻らなければ…と
気持ちを新たにしていますっっ←遅くないかい??


さて、年明けからそんな私ですが、
良いこともあって


年末にお友達とカフェに行って、
紅茶を頼もうと思ったらメニューに紅茶がない!!
そんなお店あるの~??
って残念な気分でしぶしぶルイボスティーを頼んだ


で、お友達のコーヒーを持ってきた店員さんにダメ元で
紅茶ってないんですか?って聞いたら、
「ありますよ!」って
メニューボードの最後の方を見せてくれて。


ええええ?
あるやん!
何でわからんかったのやろう??


ってなほど、ちゃんとありました(笑)


さらに私の注文したルイボスティーは
なぜか注文が入っておらず


望み通りに紅茶をいただけたのであります


なんだか、ちょっと嬉しくなりました
どこぞのどなたかが、あわれな私に
大好きな紅茶を飲ませてくれたような気がして
ありがたや


そうやって出てきた紅茶は
とびきりおいしくて、
目をつぶってよく味わっていただきました
↑友達は笑っていた


さらに、年明けにお出かけしたら、
いつも売り切れのパン屋さんがあり、
今回もダメだろうと寄ってみたら、
食パン一個だけ残っていたのであります


これまたどこぞのどなたかが、
私の大好きな食パンを残しておいてくれた気がして
感謝


ものすごく大切に
一日一枚、トッピングをいろいろ変えて
食パンを堪能しました


こんな風に
ラッキーのかけらを
拾い集めているのであります


ネガティブなプログラミングがあると、
どうしても、現実の中に問題ばかり探して
そこにフォーカスしてしまう傾向があります。


「私って愛されない」
「私は魅力がない」
「私はツイてない」


そう思い込んでいると、
その証拠になる出来事ばかりが目について、
それをつなぎ合わせて悲しいストーリーの映画を上演してしまう。
「ほらね、やっぱり」って


それ以外のことも起こっているし、
ちゃんとあるのだけれど、
全然目に入らないし、そもそも信じない。


無意識に、悲劇の中に埋没して、証拠ばかりを集め、
それが自分の人生だと思い込んでしまう


だからこそ、
まったく逆の出来事や現実にフォーカスするべく、
それらに対抗するべく、
賢いマインドを使う必要がある


マインドの機能を逆手にとって、
「愛されているかも」
「魅力あるかも」
「ツイてるかも」
という証拠に目を向けるのだ


さらに、小さなことでいいから、
良いこと、嬉しいこと、ラッキーなことに
視点を向けてみる


テレビでお得な情報ゲット。ラッキー
新しい服をほめられた。ラッキー
ポイントがたまった。ラッキー
さがしものが見つかった。ラッキー
とか


なかなか人生も、捨てたもんじゃないと思える


とか言ってる私もかつては、
おみくじで大吉が出ると、
そんなの絶対当たらない。うまくはいかない。たかがおみくじだ。
っていう、何とも後ろ向きな気持ちになっていたものだ


いつも問題ばかりを探して、
良いことはザルのようにこぼれ落ち、
人生は解決するべき問題の集まりだと感じていた。


一つ解決したら、喜ぶどころか、次はどんな問題ですか~??って。
次の問題を探し始める
いや、明確にではない、無意識にだから、タチが悪い。


過去の手紙を整理して読み返していたら、
あら。こんなにいろんな人と嬉しいやりとりをしていたのだなあ
このときの私、とても孤独を感じていて、
誰も味方はいないと戦って生きていた感覚があったけれど、
こんなにあたたかくてやさしい手紙をたくさんいただいていたのだなあ。と
正直びっくりした


実はそのときもそこに在ったのだ
ないと思っていたけれど。
そのほかにもたくさん在ったに違いない


全然気づいてなかったけれど。
見ようともしなかったけれど。


たしかに、今もお腹をこわしたりするけども、
落ち込むこともあるけれど、
ヘマしたり悪夢を見たりするけれども


それとともに起こっている
素敵な出来事やあたたかいやりとり、
ラッキーなこと…
それに気づけるようになってくると
映画の内容は変わってくる


まあまあ、おもしろいじゃん
と、ポップコーンやチュロスまで食べたりできるようになるかもしれない


問題ばかり探すのをやめよう。
嬉しいこと、ラッキーなことにも目を向けよう
自分を大切に、自分をもっと喜ばせてあげよう
嬉しいことを、増やしてあげよう


それがデフォルトになると、
本当に乗り越えなければいけない問題が起こっても、
乗り越えようというエネルギーがしっかり残っている


これは成長のチャンスだ!と
日頃のラッキーを見つける感覚が
ここでも発揮されてくる


人生の苦境を乗り越えるレジリエンス(心の強さ)には、
ポジティブな視点が欠かせない。


問題ばかりを集めていると、
どんどんスルメみたいに干からびてしまう。
潤いがなくなって
元気もなくなって
しおれてしまう。


思うように行かないこともあるけれど、
だからこそ、
ラッキーのかけらを拾い集めて
希望やワクワクを感じよう


「問題しか見ない」のではなく。
「ポジティブしか見ない」のでもなく。
バランスよく体験することで、
人生に味と深みが出てくるでしょう


今日は、どんなラッキーが起こるかな~



年が暮れてゆきます…

2022-12-31 10:44:22 | salon


        


クリスマスが終わり、今日はもう大晦日。
いよいよ今年も暮れてゆきますね…


年末の大掃除で、例の和室の床の間を磨いたんですね。
床の間には書道家だった祖父が書いた掛け軸や
義理の祖母からもらった小さな和箪笥をかざっていて、
それらをきれいにしたわけです。


さらに、これまで全然やっていなかった畳も
雑巾がけして乾拭きして
和室をピカピカに


和室は先祖のエネルギーを宿すって
これまた何かの本で読んだので、
「ご先祖様、いつも見守り導いてくれてありがとう」という気持ちを込めて


そしたら、その晩、夢を見ました
私をかわいがってくれた祖父母が出てきて、
二人が長年寝ていた寝室のお布団の間に私のお布団が敷かれていて、
「一緒に寝るかい?」って。

私は小さな小学生に戻っていました。
でも恥ずかしくて
「もう小学生だから一人で寝られるよ!」って
断ってしまって。


でも、その姿を微笑みながら見守ってくれる二人
あたたかい愛情をたっぷり感じたのでした


その翌日、納戸を整理していたら、
昔祖父から届いた手紙が20年ぶりくらいに出てきて、
そこには、私と娘(彼にとってはひ孫)の成長におばあちゃんと二人、
涙を流していますと書かれていました。
思わず手を止めて感涙


和室を掃除したら、
いろんな形で祖父母の愛が届いて、
不思議な体験でした


これまで、一人戦って生きてきたと(インナーチャイルドは)思っていたけれど、
実は、いつも愛はそばにあったのではないかと
そんなふうに思えました。


そして、そんなふうに、
愛や穏やかな日常は
実はそばにあるのではないかと
そこに目を向けさえすれば


それでも、
今年はいろいろありました。
来年こそは、世界が、平和で安らぎに満ちた1年になりますように
そう願わずにはいられません。


もっとこうなったらいいのに、とか、
もっとこうなりたい、とか、
今のこんなところが満足できない、とか、
そういうことを思っていたこともあったけれど。


つきなみですが、
家があって、着るものや食べるものがあって、
あたたかい布団で寝られて、
身体が動いて、
大切な人との絆があって…


当たり前の幸せに気づくと、
すでに多くのものを与えられていることに
じんわり感謝があふれてきます


故郷を奪われ、
あたたかいものを奪われ、
大切な人の命を奪われ、
それでも懸命に生きている人達が
厳しい冬を乗り越えていると思うと、


今すでにある幸せが
けして当たり前ではないことにも、気づかされます


与えられた命や時間に感謝して、
一瞬一瞬大切に、深く、濃く、
味わって生きる


楽しむところは楽しみ、
喜びを謳歌し、
悲しみにうちひしがれて、
恐れを抱きしめながら、


完璧じゃない自分を
精一杯生きる


目の前に表れた現実の一つ一つを、
宇宙からのプレゼントだと思って、
良いも悪いも
丁寧に心を込めて体験する


そんなことを、ひしひしと感じた1年でした。


さあ、来年はどんな年になるでしょうか


また、いろいろなことが起こるでしょうし、
不安がないと言ったらウソになります


でも、コントロールできない現実を受け入れつつ、
その中にキラキラ光る喜びや美しさや、
希望のかけらに気づいて、
それを楽しむことだってできます


あたたかさや安らぎ、
優しさや感動を見つけて、喜ぶこともできます


ネガティブなものの中に成長のタネを感じ、
ステップアップすることだってできます


そして、すべてをもたらしてくれる
宇宙の愛に感謝することだって


同じ現実も、どう見るか。どう捉えるか。どう生きるか。
それによって体験の質がぜんぜん変わってきますものね


来年をどんな年にするか
それは、自分しだいなのかもしれません


クリアな気づきとやわらかな視点で、
来年が、充実した年になるといいなあ


みなさまの来年が、すばらしいものになりますように!
今年1年、本当に本当にありがとうございました


良いお年をお迎えください。

愛と感謝を込めて☆







自分を形作る要素

2022-10-24 17:09:14 | salon


             


サブスクの配信で小さい頃に見たアニメをまた見出しました。
というか、もうすべて見終わったのですが。


私と同じ年代の方は覚えているでしょうか。
『世界名作劇場』


その中でも、大好きだったのが
『赤毛のアン』
小学校にも行っていない保育園児の私でしたが、
毎週楽しみに見ていたのを記憶しています。


この年になって再び見たのですが、
いや~
この物語を、保育園児の自分はどれだけ理解していたのか…


まず、言葉遣いや、描写が思った以上に大人向け
ナレーションなんて、
けっこう難しい言葉で語られている。


でも、私の中での『赤毛のアン』は
間違いなくあのアニメが最初の出会いで、
そこから原作本、映画などに派生していったから、
なんとなく聞いて、理解していたんだろうな。


私の中では
アニメで描かれた登場人物の顔が
そっくりそのままあの物語のイメージになっているのだから。


保育園児の私は、どんなふうに受け止め、
感じていたのだろう…
この内容を、ストーリーの重さと深さを
どれだけ理解していたのだろうか…


今から考えるとそんなふうに思ってしまうが。


でも、アニメを見ていると、身体やハートが
昔のように反応するのもわかる


今の私の考え方や発想に
大きな影響を与えている部分も多々あることが、わかったりして


えええええ?
ここから来ているの~?
と思うところも、しばしば。


で、珠玉のストーリーの数々の中でも、
今回、私が特に心を打たれたのがこのシーン。


アンが、アラン牧師夫人に悩み事を打ち明けたときの、
夫人の一言


「人生というものは、わりきれなくていいのよ、アン」
「いいえ、わりきれてしまっては、ならないの。」


ひょええええ~
そうですか、そうですか。
そうなんですね。


人生は、わりきれないもの。
わりきれないからこそ、悩みを抱えたまま、生きていくのよ。
生きて学ぶの。


というようなニュアンスの語りが続くのですが、
今の私は、夫人のこの言葉に、
深く胸を打たれたのでした


マインドは、すぐに白とか黒とか、
善とか悪とか、0とか10とか、損とか得とか、
対極で物事を考える。


すぱっと割り切れることを求め、
明快な答えや解決策を得ようとする。


でも、そもそも人生はわりきれないという前提に物事をとらえてみると、
何だかモヤッとするところもあるけれど、
心の許容範囲が大きく広がる気がする


良いか悪いかわからないけれど、こっちにしよう。
損かもしれないけれど、まわりまわって得するかもしれないし。
失敗するかもしれないけれど、それが大きな気づきをもたらすこともあるし。
完全に良くはならないけど、ちょっと気持ちが軽くなったし。


な~んていう、
「間のところ」「わからない部分」を受け入れて生きていくことが
何かをもたらし、おもしろいことにつながったりする。


これは、こういうもの。とか、
こうでなきゃならない。とか、
こうすべき。とか、
これが正解!これは間違い!
みたいなところからちょっと距離を置いて、


グレーなところをグレーなままに体験していく勇気
その中で学びと気づきを得ていく姿勢


それは、大いなるものに意識を合わせ、
大いなるものがもたらす現実を受け入れ、
それに歩調を合わせて生きることなのではないかと、思うのです


まあ、結局何が正しいかは人生、わからない。
もう、完全幸せ
完璧、正しい


って、なんだか嘘くさい


いつもどんなときも、
吉凶混交、
幸せと試練が交互に訪れていく
そのはざまで、
生きる意味を模索しながら
けんめいに私たちは生きている


そういうのが、なんだか人間らしい


わりきれない人生を
わりきれないままに生きる。



というアラン夫人の言葉には、
何か深い受容と明け渡しの精神が宿っていて、
今の年齢だからこそ、スーッとしみわたるものが
私には、あったのでした


いつも正解とか答えを得ようとする、せこせこしたマインドを
ふわりと静める、そんな効果がある気がして


それ以来、時々、私のハートの中で、
アラン夫人が私に語りかけてくるのです(笑)


「わりきれなくていいのよ。」って


そしたら、すーっと何かラクになる


当時の自分がそこまで深く感じ取ったとは思えないけど(←だって保育園児)、
語られる言葉の重みや、
アンの生き方・在り方は、
確実に私の中の何かを形作っている


ままならない人生の中で、想像力を駆使して
物事を建設的に捉える思考や
すでにあるもの、与えられているものに感謝する心、
自然を愛し、人を慈しむ姿勢。


そんなあこがれの姿だけじゃなく、
意地を張ってうまく本音を伝えられないところや
調子に乗ってやり過ぎてしまうクセ、
見栄を張ったりどこまでも相手とやりあったり…


ネガティブもポジティブも、
両方、ありのままを一生懸命生きている姿が、
すべて手本のようになっている


それこそ、「わりきれない」姿ですね


古いアニメが、思いがけず
自分の考え方や在り方の基盤を教えてくれました


いろんなところに、
気づきは転がっているものですね