The Long Goodbye

Bar-Chan Blog.

チャンドラー白書

2009-05-01 | Weblog
先日、某国営放送でレイモンド・チャンドラーについて
の番組をやっていた。それはフィリップ・マーロウが
チャンドラーに語りかけるといった茶番な進行で始まる
ものだったが、目を見張る内容もいくつかあった。

一つに、チャンドラーが驚くほど引越し魔だったということ。
独身時代に8回、結婚してからはなんと27回の引越し。
27回の詳細はサラリーマン(石油会社勤務)時代に6回、
作家になってからは年に3回ペースの計21回だ。

そしてもう一つ。妻のシシィが結婚するまで、チャンドラーに
年齢を偽っていたこと。結婚したのはレイモンド35歳のときだが
シシィはこのとき自称42歳で通していたらしい(実際は52歳)。
無論、それで通用するほど美しく若々しかったわけだが
チャンドラーが結婚後に会社の秘書と不倫に走り、酒に溺れ
自殺未遂までした理由がこの辺にあったのでは、と推理できる。
子供が持てない葛藤もあったのか。

この番組の中で登場した大沢在昌氏は、チャンドラーは
書くことだけに専念し、他のことすべて妻に丸投げし
何もしなかった作家なのではと評している。
母親ともとれるほど年の離れた妻にすべての面で委ねて
いた可能性は高い。

レイモンドは幼少の頃から母と2人だけの生活だった。
シシィと結婚したのも、結婚に大反対だった母が逝ってからだ。
当人は『子供の頃から僕は母を守ってきた』と自負して
いるようだが、依存していたととった方が正しいだろう。
彼がシシィに求めていたものがそれであり、逆にシシィには
レイモンドに対して“飲んだくれでわがままな子供”という
意識があったのではないだろうか。

シシィはピアニストの前夫と離婚までしてチャンドラーと結婚した。
のちのチャンドラーの記述『私が執筆をしているとき、シシィは
何をするでもなくただグランドピアノを弾いていた』に、なんとなく
彼女の心の寂しさを垣間見てしまうのだが。

それと大沢氏は、チャンドラーは近所のことを書いてるだけで
あまり取材で動き回らない作家であっただろうと述べている。
ロス市内だけで多すぎるほどの引越しがそれを示しているようで
フィリップ・マーロウとは対比する人物だったと推測できる。

チャンドラーが人間嫌いで有名なのは周知の事実である。
公の場で酔って悪態をつくのは日常茶飯事だった。
チャンドラーのことをあまり好きではない人間も多く
亡くなったときには推理作家協会の理事だったにも
かかわらず、葬儀に参列した人員はたったの17名だったとか。
番組内でマーロウがチャンドラーに『あなたは嫉妬深くて
エゴイストでマザコンだ』と暴言を吐くシーンがあったが
これはなまじ嘘ではないだろう。
それと“引き篭もり”が入るかもしれない。

世の風潮として成功者の人間像は美化されがちだが
“成功者=人格者”とは限らない。例に漏れず彼、
レイモンド・チャンドラーもその中の一人だったと私は思う。
ただ一つ、彼の人間性を擁護するなら、彼は記述にも
口頭でも決してシシィの悪口を漏らさなかった。
年を鯖読んでいたことや子供が産めなかった(高齢なため)
ことなど、どんな人格者でもボロッと愚痴にしてしまい
そうなことをチャンドラーは決して口外しなかったのだ。

そしてチャンドラーはシシィからの手紙や彼女に関する
書類一切を亡くなる一年前にはすべて燃やしている。
残っていたのは彼女をいかに愛していたかを綴った記述のみ。
私はここに、前夫と別れてまで結婚してくれたシシィへの
感謝の意がチャンドラーの心の底にずっとあったのでは
と推理する。

ちなみに番組の終わりで、チャンドラーの墓標が画面に
映し出された。彼は生前、自分の骨はシシィと一緒に埋葬
してくれと求めたそうだ。にも関わらず、それは叶わなかった。
遺族が忘れたのか、シシィ側の遺族が拒んだかはわからない。
それ以上にシシィの遺骨さえ、今は行方不明のままだとか。


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