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日本の政治家はなぜ政局がらみの闘争ばかりするのか?

2012-06-24 09:39:01 | 日記
日本の政治家はなぜ政局がらみの闘争ばかりするのか?
そして、日本の未来のVisionを示せないのか?

それは、サル社会だからだ。(失礼と思われるかもしれないが、客観的に見てそう思える。)

日本の大物政治家といわれる人々は、政治闘争はするが、じゃあ、日本をどうしたいのか、さっぱり示さない。それは、日本の将来には関心がないということではないだろうか。
(と問うたところで饒舌な政治家たちは口では否定するだろう。)
しかしもし本当に関心があるなら、もっといたるところで、熱っぽく日本の将来はこうしたいという話をするはずだ。それがないのは、やはり関心がないのだと思う。そして、心の深層の世界で唯一関心があるのは、政局、自分が政治を支配すること、この一点なのではないだろうか。

これは、動物の社会、たとえばサルやゴリラの社会と同じではないだろうか。
彼らは、強いボスがその社会を統率することで、安定した社会を形成し、平和に日々を過ごすことができる。しかし、ボスの力が、弱まり、対抗する別のオスが出てくると、ボスの勢力争いが始まる。その闘争で勝利したものが、その社会を引き継いで統率する。そしてしばらく安定した社会を維持する。彼らは、それを何世代にもわたり、繰り返していく。そうやって、安定して永遠の時の中で種を保存していく。だが彼らは、それ以上のことはしない。もっとよい社会を作ろう。文化的な社会をつくろう、今よりもっと幸せになろうとはしない。そのこと自体が目的だからだ。すなわち、強いボスザルの支配によって、安定した秩序を保った社会を形成し、世代交代はするが、それを永遠に繰り返していく。そして決してそれ以上ではない。

これは、今の政治闘争と何が違うのだろうか。おなじ構図といえるのではないだろうか。(政局の只中にいる政治家にとっては、日常のごちゃごちゃの中で見えないかもしれないが、鳥瞰の視点から見ればそう見えてくるのではないか)彼らは、向上心はなく、安定した政治支配構造を形成するために、闘争に明け暮れる。そしてそれ以上のことには(心の奥底では)決して関心がない。

さて、大阪橋下市長は新勢力としてとりざたされるが、これにすり寄ろうとする政党の動きもある。
しかし、こういう政治家のボスたちと、今の橋下市長のやろうとしていることは相いれるのであろうか?彼らの、やろうとしていることは、政局争いに打ち勝って、政治の世界で安定した支配構造を作ること、体制の維持以外の何物でもないだろう。橋下市長のやろうとしていることは、未来を変えようとしている。全く異なった、動機を持っている。例え、一時手を組んだとしても、必ずやボス争いになることだろう。世界を変えるチャンス。それは、小さな種からはじまる。一部のマスコミが橋下市長を担ぎ出そうとしているようにみえるが、とんでもないことだと思う。
視聴率稼ぎのなにものでもなく、橋下つぶしに等しいことを自覚すべきと思う。
世界を変えるチャンス。それは、小さな種からはじまる。小さな芽をいきなり荒廃したジャングルに移植して、大木に育つのを期待するのは、虫がよすぎる。
新しい芽は今の荒廃した政治の土壌の中ではなく、別次元で育てていく必要があると思う。

地球を「猿の惑星」にしてはいけない。
本当に大脳が極端に発達した猿の支配する日本。
地位や名誉は忘れないが、人としての誇りはどこかに置き去りになってないだろうか?