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1995年の阪神淡路大震災がきっかけとなり自動書記で突如絵を描き始める 絵の仕事は26年目 ブログ光のチャレンジは11年

『ドレスよりハウス』

2013-05-26 | 本の紹介
「家を建てて一人前!」というのが富山県人の考え方なのだそうだ。
この本『ドレスよりハウス』(マガジンハウス)の著者、室井 滋 さんも富山の人。
彼女は名エッセイストとしてもよく知られているが、本業は俳優。
この本はそんな彼女の「家造り体験エッセイ」である。

私はあちこちで見つけて読んだ彼女のエッセイが好きで注目していたが、こんなふうに本としてまとまったものを読んだのは初めて。
「家」の話になるとすっかり目の色が変わる私なので、思わず「一気読み」してしまった。

特に興味深かったのは、「風水」の話。

「ドレス」もおしゃれも止めて節約し、必死になってお金を貯めた彼女がやっと見つけて購入した土地が、何と三角形だったのだ!
しかもそこは三方が道路という角地になっていて、このような「辻」というのも、風水的にあまり縁起が良く無いというのだ。

一時はすっかり落ち込んだ彼女だが、何とか気を取り直し、何かいい方法は無いかといろいろ模索。
そんな中で出会ったさる有名建築家からは敷地に「お地蔵様」を置くことを薦められる。
が、結局これはどうしても彼女がその気になれず、採用は却下。

このあたりも、私なら相手に気を遣ってその言う通りにしてしまいそうになると思うのだが、彼女はもの凄く悩んだ末にやっぱりどうしても自分の気持ちに合わないとなると、丁重にお断りする勇気を持っていて、そういうところに私はとても感心した。


また、最初に「家が欲しい!」と思い立ってからも、彼女は決して姑息な手段は取らない。
人の紹介でローンを貸してくれそうな銀行を見つけ、そこで自分という人間を信用してもらうためにはどうしたらいいかと考え、人のアドバイスをよく聴き、まずそこにまとまったお金を預け、その後も収入がある度に定期的に預金し続けるという感じで、しごくまっとうな、「まともな手段」で、土地を買うお金を貯めるところから始めるのだ。

しかもようやくお金が貯まった頃に、たまたま実家のお墓が傾き、どうしても彼女がそのお墓を建て直す必要が出来た時には、思い切ってそのために使うというところもあって、決してケチケチ貯める一方だけでは無いところもいい。


どんなことにおいても、そんなふうに「人として当たり前のこと」を、当たり前に取り組み、何か問題が出て来たらそれに真っ正面から取り組んでいく、そんな彼女の姿勢が好きだ。

「宝くじが当たったら家を買おう♪」などと、ただ、ぼぉ~と甘い考えで期待して待っているのでは無い。
「どうしたらその夢を実現出来るのか」ということを、本当に真剣に考え抜き、良い智恵が浮かばない時には人の助けとかアイデアを借りて乗り越え、そして、何よりも本人自身がせっせと資料を集め、よく勉強し、もの凄く「努力」する!!!

そういうところが心地好くて、本を読んでいると、まるで彼女と一緒に頑張ってしまうというか、家を建てるという夢に向かって共に手をたずさえて進んで行っているような、つい手に力のこもるような気持ちになってしまう。


「あぁ!なんて大変、だけど楽しい・・・」と、帯文にもあるように、何度もの危機的状況を乗り越えていく彼女のそのバイタリティと、どこか素朴さを残した「田舎の人」そのままのような彼女のキャラクターが、この話をさらに面白くさせていて、愉快でユニークだ。
それにもまして、私が一番いいなと思うところは、彼女の「素直さ」だ。
ほんとうにこういう人が身近かにいたら、誰でもつい応援してあげたくなるのでは?と思う。


突然話は横道に逸れるが、例えば私の人生は(自分で思うには)「地雷」だらけの平原を、何かに追われて(捕まらないように!?)走り続けているような、そんな感じがする。
それでも無事に生きていられるのは、私の体にはセンサーが付いていて、自動的にそのような「地雷」を避けることの出来るシステムになっているからだと思う。

だから、人から見ると私がとても飄々として?自由自在に(あちこち引っ越したりして)のびのび走り廻って楽しそうに生きているふうに見えるかもしれない?が、私自身は決して心底安らいだ気持ちになることは少ない。
「いつどこで何が起こるかわからない」といつも思っていて、突然爆発が起きて世界が終わってしまわないかとずっとハラハラ緊張のし通しなのだ、、。
そんな私がいつも願っているのは私自身の「心の平安」、そして世界の平和である。


「地雷」なんて自分の創り出した「幻想」だと悟って、この世界は「安全で安心出来るところ」なのだと、深く安らぐことが出来るのであれば、どんなに素晴らしいだろう!
そしてそんな「安らげる家」♡ がもしあれば、どんなに幸せで落ち着けることだろう。
私はそんな自分の「居場所」を今なお求め続けている気がする、、。
(決して大袈裟でも、完璧主義でも無く!)

こんなことを書くと読者は「わぁ、何て大変そう!」と思われるかもしれないが、大丈夫!
どこかでそれを「選択している」自分を知っているから、、。
そして、別の選択をすることもまた出来るのだから。


こういう私とは全く対照的な「真実な生き方」をしているのが、この室井 滋 さんだと思う。
彼女は決して「幻想」に負けたりはしない。その幻想の奥にある「真実」をしっかりと見つけていく。

例えば彼女は自分の行く道を自分で決めて、その道のどこに「地雷」が埋もれていようとも、その道を避けることをしない。
自分の行きたい道をただまっすぐに歩き、そこで「地雷」を見つけたなら、黙々とそれを取り除き、またその道の続きを今までと同じように淡々と歩いて行く人だと思う。

「地雷」を避けようとして本来の自分の行きたい道では無い、別の道を行くのでは決して無い。
回り道をするわけでもない。寄り道もしない。ひたすら自分の道を歩くだけ。
そしてもしもそこに「地雷」があれば、それを掘り出して爆発しないように処理するだけ。
だからとても慎重に歩く。少しずつ、少しずつ、ほんとうに地道に、、。


と、いうわけで、話を元に戻すと、「風水」の問題にも彼女はまっすぐに取り組み、建築士とも相談して、三角の土地の尖ったところには植木を植えたり、縁起のいい庭石を置いたり、花壇を造ったり、、また新築した家の屋根には(厄よけアイテムとして)何と「シーサー」 を飾るのだ。

……………………………………………………………………

そして遂に家は無事完成!(1994年のことで、その頃彼女はまだ30代だったのです!!)
郷里の親戚や友人たち、仕事仲間もたくさん招き、シーサーの守りのおかげか?その後さらに仕事も順調に行き、その家を新居として彼女はパートナーと共にとても幸せに暮らしたことはもちろんである。

けれども「家というのは建ててみなければわからない」こともたくさんある。
その家でも全く何一つ問題が無かったわけでは無い。
ちゃんと一流の人に設計を頼み、きちんと寸法も測っていたにも関わらず、キッチン&リビングから和室への出入り口で必ず頭を打ってしまうのである。

なぜなら、「ステップフロア」形式の間取りを採用して、茶室のにじり口のように、そこの部分を少し小さく造っていたためで、それは狭い家をうまく使いこなす設計ゆえだったのだが、毎回そういうふうでは困ってしまう。

それでも彼女たちはめげない。家に文句を言ったり、嘆いたりもしない。
「何かよい工夫は無いか」と考え、いつも頭を打つところに「打っても痛くないように」クッションを取り付けたのだった!

そんなふうにして、何か問題が起きても彼女はいつでも「ではどうしたらいいか」ということのみを考え、工夫し、前向きに乗り越えて行く。

そして後日、と言っても家が建ってから3年後ぐらいに、彼女は対談で「風水」で人気のプロのDr.コパ氏に会う。
その時に彼女の建てた家のことについて、彼に鑑定してもらったところ、「とても好い気が流れている」と言ってもらって、大喜びするのだが、さて、三角のその敷地についての「風水」は!?

彼の言った思いがけない一言。
それは・・・・・本人だけでなく、読者の私ももちろん全く予想もしていないことだった!!!


「ネタばれ」してはいけないので、これ以上書けないけれど、どうしてもこの結果が気になる人は、この本の「あとがき」を(書店の立ち読みで)こっそり読んで見てください♪
きっと肩から力が脱けて、思わず笑ってずっこけることでしょう!

そして、「こんなことがあるから、だから人生って面白いのよね☆」って、生きる元気が出るに違いありません。


「風水」おそるべし! たかが「風水」、されど「風水」である。
それにしっかり振り回された彼女だが、最後に発見したのは、それに負けない、囚われ過ぎない素敵な生き方だった。

どんな問題にだって、必ず「解決」の糸口はある筈という彼女の強い信念。その勇気。
そして数々の難題を乗り越えて行くその彼女のたゆまぬ「努力」こそがそれを打ち破り、幸せな生活へと彼女自身を(自然に)よい方向へと導いて行ったのだと私は思う。
依存的な「待てば海路の日和」とか、スピリチュアルな祈りの力だけでは、とうてい家は建たなかった筈だ。

助けとなってくれた多くの人々との出会いだって、そのような彼女だからこそ、人は協力してくれたに違い無い。
人の助言に素直に従いつつも、自分の気持ちも純粋に伝え、人に頼っても「甘え」では無い彼女の生き方のすがすがしさに、私は教えられるところが沢山あった。

あれこれ余計なことには頭を使わず、夢の実現に向けて何が必要なのか、、と、「ともかく自分の目的と目標にまっすぐに向かっていく、とてもシンプルな生き方」にも魅かれた。


おしまいにもっとも印象に残った彼女の家に関する独白をご紹介します。

どう?家って不思議でしょ?
家が変われば生活が変わる。人生も変わる。
家という生きものが導いていこうとするからね。
ボンヤリしてたら家のエネルギーに負かされちゃうよ。

・・・自分が選んでここに来、自分が選んで家という形ができたけど、生まれた家にも新しい命が宿りひとり歩きを始めてる。
命の存在を見つめて、お互いに理解し合い、愛情を注いだり、もらったりしなくっちゃね。

偶然☆ なんかじゃない。
私は幸せになるためにここにやって来たのだ・・・と。



★ 東北の被災地の人たちや、原発の放射能被害などで全国に避難されて暮らされている人たちの上にも、どうか一日も早く「安心して落ち着ける家」や希望通りの「居場所」が授かりますように♪と、心から願っています。




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5月の満月の夜に

2013-05-25 | 日記
5月の満月の夜には「ウエサク祭」という、スピリチュアルな特別な祭があると知ったのはいつ頃だったか。
すっかり忘れていたけれど、今夜はちょうどその満月だ。

で、夕方から「鞍馬山」に行ってみようかな~と思っていたら、今年は何と昨夜(金)にその祭が行われたそうで、すでに終わってしまっていて残念!

そういえば「ダイヤモンド富士」の写真も昨夜に撮ったのがネットのニュースに掲載されていた。
あぁ~、惜しいことをした。気付くのがちょっと一足遅かった、、。


昨夜はなぜか夕食後、急激に眠くなり、何と9時半にはいきなりコトンと眠ってしまったのだ。
そしてふと気づいたのが真夜中!
もしかしたらその儀式の間中、何も知らずに眠っていたのかもしれない。
(第1部は午後7時スタート?だったようだが、第2、第3部とあり、真夜中近くまで続いたらしい)


1998年頃だったかと思うけれど、自動書記で、絵以外にもいろんなメッセージを受け取っていた。
中には個人的なものもあり、たぶんその頃にウエサク祭のことも知った気がする。

その時は(半覚醒状態で)とても不思議な「エネルギー配置図」?(大理石のマーブル模様のような感じ?)を描き、「あなたの席はここです」というふうに、誰か係の人?から、あるポイントを指示され、(イメージの中で?)そこに案内されたのだ。

しかもそれはなぜか「招待」で、その頃指導者として仰いでいたNさんと共に、二人が一緒に坐るべく並びの席が私たちのために用意されていた。

そして、そこはどうやら「ゲスト席」のようだったが、その儀式の中心近くに位置していて、とてもいい「特別席」だった。他にもいろんな人?(聖者たち?)が集まっていて、厳かな雰囲気だった。


現実的にはその時私は自分の部屋にいて、ただそのような儀式の構図(全体の俯瞰図)を描いているだけなのに、なぜかまるでそこにほんとうに参加しているかのように、全て(音や空気や香りも含めた気配)がありありとリアルに伝わって来て、とても厳粛な気持ちになり、大勢の出席者と共に実際にそこに実在しているかのようで、それはとても臨場感に溢れた不思議な体験だった。

これはこのような体験をしたことの無い人にはちょっと信じられない話かもしれないが、例えば瞑想していて、周囲が黄金の光で包まれるような、、そんな感じにも似ている。
(松尾みどりさんが、「宇宙船に乗った話」を昔よくしておられたが、もしかしたらこのような感じだったのかもしれない)


そして、そんな図を描いて、そこに(まるで夢遊病か「白昼夢」のように?)参加しながらも、左脳?もせわしく働き、

「なぜ自分がここにNさんと一緒に招待されるのだろう?」
「一体この儀式は何なんだろう?」
「どうしてこんなにたくさんの人たちが集まっているのだろう?」
「ここはいったいどこだろう?」
「こんな前の方の、全体の中心のような『特等席』のようなところに坐って、ほんとうにいいのだろうか?」
etc... そんな疑問でいっぱいだった。

けれどもそのまま黙って静かに坐って、私はただひたすらその雰囲気の中に溶け込もうとしていた。


そして後から何かで「ウエサク祭」というのが、カイラス山の麓の渓谷であるらしいという情報を知って、もしかしたらあれがそうだったのだろうか!?と、ふと気づいたのだった。

それから後に日本でもそのような祭が鞍馬山であることを知った気がするが、もしかしたらその順序は逆だったかもしれない。


私は寝ている時に、そんなふうに意識が飛ぶことがあり(普通寝ている時には「意識」は無い筈?と思うけれども)、
例えばある時、実家のお墓参りをしている夢?を見て、夢の中で、その墓前の花をじっと眺めていたことがある。
そしてそのすぐ後に実際にお墓に行くと、その同じ花が実際にそこにあったということも、、。
(それは一般にお墓用としてよく売られているような花束では無く、亡父の好きな特別な花のみが供えられていたので、もし夢に見ていなければそれはあまり思い浮かばなかったと思うし、そもそもそんな夢を見るのも珍しい)

その夢の場合、もしかしたら寝ている間に「幽体離脱」?していたのかもしれないが、その「ウエサク祭」特別ご招待☆ の「神秘体験」!?の場合も、図を描きながら、もしかしたら意識だけが飛んで実際にそこに(意識のみで?)参加していたのかもしれないという気がする。


昨夜はよく晴れていて月もさぞきれいだったことと思う。
今夜は曇っているので、月はどうかな?

さて、さて、みなさんの「ツキは今どっちに出てる?」

最近ツイテナイなぁ~なんて思っている方は、ぜひ今夜はあなたの「ツキ」を見つけて♪
5月のこの満月の時には、祈りの力で特別なエネルギーが働くそうですから☆








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「宇宙語」で講演!?

2013-05-19 | 日記
北朝鮮の動きやら、憲法改正の動き、原発のことも気になるし、橋本市長の言動の波紋の行方にも注目!

沖縄の基地のことも韓国済州島のカンジョン村のことも気がかりだし、、ともかく最近は本当にいろんなことが突発的に起こり易いので、中国船の示威行為にもずっと目が離せ無いし、「ある日気が付いたらいきなり戦争が始まっていた!?」なんてことにだけは絶対にならないように!!!と願いながら、ニュースや「裏情報」をチェックして、ドキドキしつつ暮らす近頃。


そんな中、船井幸雄さんのHPで見つけた(6月1日に名古屋で開かれる)興味深い講演をご紹介します。

船井さんのページをいつも読んでおられる読者の方はすでにご存知と思うけれど、「健康まなび家」(有)ヘルシーガーデン(03-3248-3920)主催による「ミロクの世の実現に向けて」という講演会です。

詳細は各自下記をご参照、ご確認ください。 
(先着80名/今予約されると5000円⇒2000円です!)

http://www.kenkoumanabiya.com/

……………………………………………………………………………

「ミロクの世の実現に向けて」
2013年6月1日(土)PM 13:30~18:50 (受付13:00~)

会場:名古屋(千種区)今池ガスビル 7階 A会議室
   地下鉄東山線・桜通線にて地下鉄「今池駅」10番出口直結

13:30~15:10 「ミロクの世を迎える前に」~知らないでは済まされない話~
        ☆ 池田整治氏(元自衛隊陸将補/日本実業団空手道連盟理事長/作家)

15:20~16:20 「ミロクの世の人を癒す技術」
        “ 天才治療家” ☆ 佐藤清氏(接骨師、鍼灸師/気経絡研究会会長)

16:40~17:50 「宇宙的視座で観たミロクの世」
        ~当日 宇宙語のメッセージをお届けします~
        ★ 井上恒弘氏(宇宙生命研究所代表)

18:10~18:40 質問タイム

……………………………………………………………………………

池田整治さんは、『マインドコントロール』や『脱・洗脳支配』(徳間書店)などたくさんの著書を出しておられ、現役時代にはオウム事件のサチアン調査にも関わられたことのある方だそうです。
(船井さんのHPに連載エッセイもあります)
当日は非常に重要なことを話されるそうです!!!
 
佐藤清さんは、オリンピック選手や野球選手などの治療もされ、治療具等の発明特許も多数あり、『21世紀は無病の時代になる』という本でも有名な方だそうです。
当日は即座に痛みを取る実演!?も予定されているようで、乞うご期待です♪


井上恒弘さんは、幼少時に2度の臨死体験があり、抜群のインスピレーション能力をもとに「宇宙語講座」 を開催されている方だそうです。また卓球選手としても長年大活躍の実績も持っておられるそうです。


以上、こんなに凄い3人の方たちの話が聴け、実演もあり、おまけに「宇宙語のメッセージ!?」まで直接聴けるなんて、しかも参加費が超格安の2000円!!だなんて。
ほんとに信じられないぐらい嬉しいビッグニュース☆です。

ここから名古屋は少々遠いけれど、こんなチャンスはめったに無く、その中でも私はぜひこの「宇宙語」を聴いてみたいです。


余談ですが、2001年の大阪セルビスギャラリー(旧)での私たちの展覧会の折り、「宇宙語」を話すという女性の方が会場に尋ねて来られたのです!

それで休憩時間にたまさんもご一緒に、その方を交えて(他にも何人かおられたかと思いますが)お茶を飲み、その場で「宇宙語」を話していただいたことがありました。

地球上のどこかの国の言葉に似ているかどうか?はわかりませんが、同じ言葉が何度も繰り返されて、なぜか疑問符のように語尾が上がり、不思議な印象でした。
けっこう力強いトーンで、言葉そのものはわりと単調な印象もあったのですが、何とも面白い体験でした。

(その日初めて会った)「宇宙語」を話されるその女性は、「他にも仲間がいてみんなで宇宙語で会話する」というようなことを話されたのですが、何と私の目の前でアズミックアートの宇宙画ポストカードの意味を、一枚一枚の絵を見ながら(宇宙語で!)説明して下さったのです。

あまりにも突然だったので、録音も何もする間も無かったのが本当に残念で、せめて写真だけでも記念に撮っておけばよかったなと思うのですが、もう今では彼女の連絡先もわかりません。お名前も失念してしまい、本当にもったいなく惜しいです。
(もし彼女がお元気で今でも「宇宙語」を話しておられるなら、ぜひこの名古屋の会場で再会してみたいです♪)


ところで、その時、私がさらにさらに驚いたのは、同席していたたまさんが、その言葉を聴いて、スラスラ~~~ッとそれを日本語に翻訳、通訳?してくれて、私にその意味を即教えてくれたことです。
これには本当にびっっっっっっっ~~~~~~くり!!!でした。

たまさんって、もしかしたら「宇宙語同時通訳者」 だったりして!?

もしかしたら今でもたまさんは「宇宙語」が解ったり、聴くだけでは無く、話すことも出来るのでは!?
もしそうならぜひぜひこの井上さんともいつか「宇宙語」で対話してみて欲しいです。


それにしても宇宙のメッセージ☆を「宇宙語」で直接聴ける日が来るなんて・・・・・
あ~~ほんとに生きててよかった!!!!!

きっとみなさんも「宇宙語」を聴かれたら、実は自分も「宇宙人」だったと気付かれるかも!?
ほんとうにワクワク、、ですね♪



下記の絵は『チャネル』です。(ポストカード第3集所収)





無断転載、コピー等はご遠慮ください。


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まじぇる・まじぇる・まじぇる

2013-05-13 | 本の紹介
昨日は家から一歩も出ずに読書三昧の幸せな一日だった。
ちなみに私の気分転換と言えば、園芸、読書、不動産チェックの三つ。

不動産チェックというのは、自分の予算とか、引っ越し予定とは関係無しに、ただいろいろな家をネットで検索、「こんな家に住めたらなあ~」とか、「あっ!ここ百万円も値下げになっている!!」とか、「この間取りはいいな」とか、いろいろなことを思いながらただひたすら眺めているという、いたって単純なことだけどなぜか毎日のように見てしまう。

我が家にはテレビが無いので、ごはんを食べながらパソコンで見ている。
「ここに住んだらどんな暮らしになるのかな」とか、「これが一階で庭付きで駅徒歩圏だと最高!」などと想像しながら見ているだけで、幸せな気分になる。
そして素敵だなと思った家を「不動産」のファイルに取り入れてひとりで満足している。
もしかしたら私は「家フェッチ」!?

で、「過ぎたるは及ばざるが如し」で、見過ぎると(手に入らないことが)何となく悲しくなるので、その時はファイルから、集めたデーターをどんどん削除する。

「この家ももういいか」「これはまたいつでも同じようなものがあるから、、」とか、古くなった情報を整理してすでに売れてしまった家や、あきらめてもいいと思える家を消去して、潔く「手放す」練習!?

それが実際には自分のものでは無いのに、「単に情報を集めて見ているだけ」でも、いつのまにかそれに執着してしまうこともあるのだから、人間ってほんとに面白いものだと思う。


園芸に関してはとにかく「家」以上に夢中になってしまうので、なるべくセーブして、草ぼうぼうになってきて、どうにも我慢出来ないぐらいの状態になってからやっと腰を上げる。
そうでないと、一旦庭に出たら、もうずっとそのまま、、となって、雨が降ってきても止めないぐらいになるので、まずお天気をチェックし、仕事を先に済ませ、いろんな用も済ませて、「どんなに集中しても大丈夫」という時にだけやることにしている。


そういうわけで、「読書」というのは、いつでも止められて、準備も要らず、途中からでもオッケーだし、そのまま読み終わらなくても誰にも迷惑をかけないし、読み終わって不要ならリサイクルに回せるし、、電車の中でもどこでも読めるし、持ち歩けるし、それほどお金もかからず、「好きな本を好きな時に好きなだけ読める」というのは、まさに至福だと思う。

それでも一つだけ自分に課していることは、まず何よりも「仕事優先」ということ。
「仕事が一段落したら読んでもいい」というふうに決めている。
そうでないと、何もかも放ったらかしのまま、読み終わるまでトイレにも行かない(まさか!?)というぐらいに、「過集中」してしまうので、、。
(こういうところも自分がもしかして「アスペルガー症候群」ではないか?と思うゆえんだ)

……………………………………………………………………

前置きがすっかり長くなってしまったが、久しぶりの読書はほんとうに楽しかった。
昨日読んだ2冊の本はどちらも新書版なので、読み易かった。
下記ご紹介する。

『野心のすすめ』(林 真理子 著/講談社現代新書)
『森の力 植物生態学者の理論と実践』(宮脇 昭 著/講談社現代新書)


林 真理子さんは私もとても好きな作家で、『ルンルンを買っておうちに帰ろう』が出た時は、電車の中で読み始めたらあまりにも可笑しくて笑いが止まらずに困ったぐらい。
『最終便に間に合えば』もほろりとして、いい。

この『野心のすすめ』は軽いエッセイなので、本好きな人なら立ち読みですぐに読めてしまうだろう。
『ルンルン・・・』で有名になる前後のことなど、全くの無名時代からどうやって今日の彼女にまで登り詰められたのか、、。具体的な話が満載でさすがだなと思ったけれど、『ルンルン・・・』の面白さと衝撃度には叶わない。

「野心」のすすめという程の凄いインパクトは無く、どちらかと言えば真面目過ぎるぐらいの感じもするが、成功するためには、「野心」だけでは無く、かなりの「努力」も必要だという至極まともな話にはうなづける。

そして、もの凄く努力している割には成果が上がっていない場合、それは「野心」が足り無いからという指摘には納得がいった。
大概の人が「野心を持つのは悪いこと」のように感じていて、それを隠してしまったり、そういう自分に罪悪感を持ったり、、する。

そんな中で林 真理子 さんは「私は自己顕示欲が強くて(100のうち20ぐらいの人もいるだろうけれど、自分は)たぶん130ぐらい、、」と堂々とその「欲を肯定」し、決して「野心を隠そうとしない」ところが新鮮でユニークだ。

彼女が出て来るまではそういう人はほとんどいなかった。
男性はともかく、女性の場合は特に「野心ぎらぎら」というのは嫌われてしまうので、、。
だから、彼女もこれまでどれだけのバッシングの嵐に遭ったことか!
けれどもそんな時も「妄想力」で乗り超えたというのだから楽しい。

この本には「夢を実現させるヒント」も具体的に書かれているし、「野心を持つ人間のためのすぐに役立つテクニック三ヵ条」もしっかり掲載されている。
立ち読みでここを読むだけでも何かの参考になることだろう。


………………………………………………………………………………


ところで、もう一冊の本『森の力』のご紹介。

昨日私は「今の私の夢」についてブログに書いたけれど、その後この本を読んですっかり恥ずかしくなってしまった。
だって、実に小さな(「野心」と言うにもあまりにもほど遠い)「自分の夢の実現」だけしか考えていなかったから、、という以上に、この本『森の力』の圧倒的なスケールと熱い情熱に感動したのである。

この本の表紙には「4000万本以上の木を植えた科学者の熱きいのちの物語」というキャッチコピーが、赤字で太く書かれている。

何といっても驚いたのは、この本の著者、宮脇氏が現在84歳にして、「現場・現場・現場」の日々を送られ、元気に日本全国を駆け回って実際に自らの手で木を植え続けられていることである。
こんな凄い人が日本に居るなんて!?

そして、「まじぇる・まじぇる・まじぇる」をその現場で実践されておられるのだ。


ここまで書いて、今日はこれから仕事にかかります。

あまりにも素晴らしい話なので、ゆっくり腰を落ち着けて、しっかりお伝えしたいと思います。

ではまた、続きをお楽しみに、、♪   



下記の写真は伊豆の河津町にある来宮神社の大楠です。





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今の私の夢

2013-05-12 | 日記
今日は「母の日」ですね。
私の生まれた時代には母の日なんて無かった?気がするのですが、よく覚えている「母の日の想い出」と言えば小学2年生ぐらいの時のことです。

母に自分のお小遣いの中から「回転焼き」(ドラ焼きのようなもの)を一個買ってあげたら、思いがけないぐらい母がそれを喜んでくれて、その後もいつもいつもその話をしては感動してくれたのです。

でも私は学校で先生に言われたから、「カーネーションと一緒に何かあげなくっちゃ」というぐらいの、単純なというか、半分義務感のような?気持ちだったので、あまりにも大袈裟な!母の喜び様にかえって居心地の悪いような?複雑な思いを感じていた気がします。


けれども今になればどれだけ母がほんとうに嬉しかったのかがよくわかります。
なぜかこの文を書いているだけでも涙が出て来ます。

実は私は自分でも全く気づいていませんでしたが、その頃の私はまるで「自閉症」のような?深い霧に包まれたような不思議な世界の中で暮らしていたのです。
当時の私には「人の気持ちを感じる」ということが全く出来なかったのです。


ですからしたい放題、好き放題をしていました。
親の言うことも全く聞かないで、叱られるといつまでも泣き止まず、自分の欲求が通るまでご飯も食べずに3日でも平気で泣き続けるぐらいのしつこい、ワガママ放題のまるで動物のような子どもでした。

ヘレンケラーでは無いですが、石を投げたり、包丁を持ち出したりして暴れることもあり、親は「将来この子はどうなるのだろう?」ときっと心配していたことと思います。
学校の成績も(5段階評価の通知簿で)1とか2とかがほとんどで、3(ふつう)がちらほら、4(良し)なんて全く無かったと覚えています。


その頃を振り返ると、「繭に包まれたようなおぼろな世界に住んでいた」という記憶だけが残っています。
それがどういうものだったのか、どういうことだったのかということを、「アスペルガー症候群」の関係の本で知って初めて自分自身を理解出来たのですが、その頃はただただ何もわからなかったのです。

母はそんな私を凄く心配してくれていたと思いますし、他の姉妹同様かそれ以上に可愛がってもくれていたと思うのですが、分厚い氷に閉ざされた大地のように、その大陽の熱は全く届かず、私はとても孤独だったのです。

自分が孤独であるということさえ知らないぐらい、自我が無いというのか、自我だけがあったというのか、それを今でもどう表現していいのかわからないような、「閉ざされた世界」でした。

ちなみに、「これが自分」という「自意識」=他人との「境界線」 が芽生えたのが、やっと成人する頃だったのです!
それまでの私は全く何も考えずに、、というか、考えたことを何も思わずそのまま人に言ったり、行動したりしてしまうような、相手のことを全く考えることの出来ない、客観性の欠如した傍若無人な子どもでした。

そして人の気持ちが全く理解出来ないので、とてもちぐはぐなことがいっぱいありました。

例えば大学生の折りに、ある男子学生から本を借りてそのお返しに御礼の手紙を添えてその学生が住んでいた寮まで届けに行き、彼を呼び出して手渡しで本を返却したことがありました。
するとその人が「私が彼に気がある」と誤解してしまったようなのですが、そんなふうに思われてしまうということさえ全く想像も出来なかったのです!

今の時代ならきっと「空気の読めない人」「常識の無い人」としてひどいイジメにあっていたと思います。


このようなことについて、「なぜか」ということも後になってやっとわかったのですが、それは、最初から「バリアーフリー」と言えばカッコよく聞こえますが、(気功をやっている知人が教えてくれた話ですが)「衛気」という、自分を守ってくれているオーラ?のような「正常な自己防衛の壁」が、(生まれつき?)壊れて?いて、「自己と他者の分離が出来ない」(境界線が引けない)らしいのです。

つまり「人間関係における距離感」というものがよくわからないのです。

それは習って出来るとか、育つ環境によるとか、、そういった後天的な面もあるかもしれませんが、私のように先天的に?そういう「障がい」を持った子どももかなりいるのではないでしょうか、、。

その頃の私にとっては自分の外側に見えている人間は、「モノと全く同じような感じ」?に見えていたのかもしれません。
要するに「他者の存在に対する感覚」というものが欠如していて、何かが失われているような状態でした。


「愛されるというのはどういう感覚なのか」ということが、私には今でもよくわからないところがあるのですが、その頃はもっとひどかったのです。

そんな状態でしたから、私が「人間的なふつうの行動」(母に自分の小遣いで何かを買ってあげる)をしたことが、母にとってはどんなにかほっとしたに違いありません。

それで、母がそんなにも私を褒めて認めてくれたことで、それがきっかけになったのかどうかはわかりませんが、小学3年生頃からようやくそのような霧に包まれた世界が少しずつ明るくなっていった気がします。
(このことは以前にも書きましたが、その後「作文」を通して「自己表現」出来るようになったことも大きかったかもしれません)


さて、そんなわけで、大人になってからも他にも苦労したことはいっぱいあります。

「人の顔が覚えられない」というのが、アスペの人の特徴としてあげられることが多いのですが、私はあまりひどくは無いもののやはりそういうところがあって、だから「常に緊張している」のかもしれません。

同窓会に行っても、自分の昔憧れていた初恋の人が目の前に居ても気が付かなかったことがあります。
それは彼の姿かたちが変化したから、、とか、長年会って無いから、、ということでは決して無いのです。

前にどこかに書いたことがありますが、「気づくのが遅い」というか、そのような識別というか、「顔認識に人よりもなぜか時間がかかる」らしいのです。

例えば、ある時電車の中で親戚のおじさんに会ったのに、気づかずにいて、気づいた時には遅くて、(わざと無視している、エラソーにしていた!と誤解されて)後で父からひどく叱られてしまったこともありました。

それはそうですよね、真向いの席に坐っていたおじさん(実家のすぐ近くに住んでいてほぼ毎日の様に顔を合わせていた)をずっと見ていながら、それがおじさんだと「すぐにわからなかった!」のですから、無理もありません。

そんなことはこれまでもよくあったのですが、自分では全く気づいていなかったのです。
それがどんなにか緊張感をもたらすものかということは、これは経験した人で無いとわかりにくいことだと思います。
世界が自分にとっていつも「親しみに満ちている」のでは無く、それどころか「常に緊張を伴う世界」だとしたら、それだけでも疲れてしまいますよね。


しかも子どもの頃からずっと「ヘンな子」とか、「ワガママ」とか言われて、大人になってからも母からはいつも「アンタのような子はどこへもお嫁に行けない。行っても3日しか保たない」と言われ続けていました。
(親だけでもせめて味方して欲しかった!と思いますが、でも自分が同じような子を持っていたら、やっぱり同じことを言ってしまっていたかもしれません。それもまた親の「愛」なのでしょうが、私には自分が親から「拒否」されているいうふうにしか思えなかったのです)


もしもその頃に今のように研究が進んでいて、それが脳の病気!?というか、独特の個性というか、自閉症の一種であるということが解っていたなら、どんなによかったでしょうか。

片手が無いとか、足が片方無いとか、そういう目に見える(外側から気づける)障がいでは無いところが、今でもほんとうに「人にわかってもらいにくい」ところではないかと思います。

たとえ説明しても「そんなことは私にもよくある!」とか、「誰にでも多少はそんなところはある」などと言われて真剣にとりあってもらえず、逆に神経質過ぎるとか、自分に注目、関心を引こうとしているように思われてしまったり、ささいなことだと笑われてしまったりもして、けっこう本人はつらいのに、さらに無理解という二重差別で苦労するのです。
決して同情を求めているのでは無く、ただ「その違いを理解し共感してもらいたいだけ」なのに!!!


ともかくもそういうところがあっても、無事元気に生きて来れたので、還暦を迎えた時はどんなに嬉しかったことでしょうか。
もうこれでいつ死んでもいいやと思ったぐらい、ほんとうに「これまでよく無事に生きて来れたなぁ~」と心から自分を褒めてやりたくなりました。
そしてもちろん母にも父にも心から感謝の想いでいっぱいになりました。


そういうわけで、この「当事者にしかわからないこと」というのを、「当事者同士で語り合いたい」というのが、私の最近の「夢」でもあるのです。

アスペという「個性のきつい者同士」でもあるので、きっと会うと反発もあったり、うまくコミュニケーションが取れないということもあるかもしれませんが、ある程度そういうことも乗り越えたところで生きて来た人同士であれば、大丈夫ではないかと思います。
もしも実現したら、とてもユニークな集まりになりそうで楽しみです♪


そして「自分はこういう工夫をして楽になった」とか、「自分はこう考えるけれど、これっておかしい!?」とか、いろいろな疑問や情報をシェアし合って、「もっと楽にうまく生きられるようになれたらいいな」というのが、私の願いでもあるのです。

これまでせっかくの苦労をしてきたのですから、今後それを人のためにも活かしていけたらと感じています。
将来そういう交流のための「スペース」が持てるといいな~と夢見ています。

ネット上でももちろん出来るのでしょうが、私がパソコンが苦手なために、フェイスブックとか、アーカイブ?とか、チャット??とか、何にもわからないので、やはり「直接会って顔を見てお茶を飲みながら、、」の方が、自分には向いている気がします。


そして、またもう一つの私自身の特徴としては、「人間関係が煮詰まると苦しくなって、パニックしてどうしていいかわからなくなる」という面もあります。

だからそのようなスペースを持ってもどのぐらい続けられるかはわかりませんが、そういうことに強い「淡々と継続していける人」と組んでいければいいかも?と思います。

実は私の知人にもそういう人がいて、秘かに「1、2、3の人」というニックネームで呼んでいるのですが、彼女には3の次に来る4が無く、どんなに長い付き合いになっても、必ずまた「1」に戻って、いつも「1、2、3」止まりで、いつもそれを繰り返して、決して関係性が「一定以上には深まらない」のです。

楽というのか、あまり面白く無い(笑)というのか、不思議な距離感でしたが、それゆえ彼女の場合、人と関係性が「切れる」ということもまた皆無なのです。

例えこちらがどんなに距離を開けようとも、何年もご無沙汰しようが、相手の方は平気で相変わらずのリズムとテンポで「1、2、3」の「マイペース」を崩しません。

もしかしたら彼女もまた違った意味でのアスペ仲間なのかも!?しれませんが、そんなふうにそれぞれの特徴を理解し合いながら、お互いの特技を活かしていければ、楽しい集まりになるのでは?という気がします。
そこにはたぶん「ふつう」の人は誰もいなかったりして、まるで「宇宙人」か「異星人会議」!?(笑)


そして、このブログを読むのは、みんなどこか「ふつうでは無い人」!?ばかり(爆笑)と思うので、いつかどこかでお目にかかれるのがとても楽しみです。



今回も長くなってしまいました。
ご愛読に心から感謝です。




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