書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

臨書  米フツ書 蜀素帖(三)

2013-05-07 07:56:00 | Weblog

米フツ 略伝1

米家のルーツは昭武九姓の一国の米国(マーイムルグ)に住むソグド人で、中国に移り住んで「米」を姓とした。この西域の米国は高宗の時代に大食に滅ぼされ、住民はシルクロードから中国に亡命したといわれる[5][6]

米芾は皇祐3年(1051年)、襄陽で生まれた。先祖は代々山西太原に住み、後に襄陽に移った。母の閻(えん)氏が英宗皇后(宣仁聖烈高皇后)の乳母として仕えていたことから、米芾は科挙を受験しないで官途につくことができた。宋代は科挙至上主義であったので、これはかなりの特典だったといえる。しかし、彼の墓誌銘に、「科挙の学に従うを喜ばず、」とあり、故意に受験しなかったとも考えられる。

 

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