オーロラ特急    ノスタルジック旅日記 

旅好き、歴史好き、鉄道好き、クルマ好き、カメラ好きの団塊ボーイが社会科見学的な旅を続けます。

信濃国・古城の旅 諏訪湖に浮かぶ、諏訪の名門・諏訪氏の高島城

2015年08月14日 | 長野

猛暑の夏が続いていますが、私は夏の暑さに負けずに城攻めに専心しています。18きっぷ4日目は諏訪の高島城です。上諏訪には昨年18きっぷで飯田線の旅をしたときに上諏訪温泉で1泊しました。それ以来です。
高島城は諏訪湖畔にあった水城、浮き城で、諏訪の名門・諏訪氏の傍流・諏訪頼忠の子、諏訪頼水が初代城主です。諏訪氏の惣領家の諏訪頼重は武田信玄に攻められて滅亡しました。頼重の従兄弟・頼忠が御家再興を目指し、その子の頼水が関ヶ原の戦いの功績で悲願を達成し城主となったのが高島城です。


城下の縄手通り

諏訪湖へと注ぐ衣の渡川


もう一つ、中門川。衣の渡川も中門川も高島城の堀の役目を担っています。


高島城本丸の復元角櫓

高島城の復元天守


本丸と二の丸を結ぶ冠木橋と冠木門。高島城は本丸、二の丸、三の丸が梯型に連なった連郭式の配置です。


冠木門。冠木門は左右2本の柱と梁だけの簡素な門の形式です。この門は櫓門ですね。当初は冠木門だたっために後々も冠木門と言われたようです。




冠木門の石垣





覗石松

亀石。水をかけると亀型の紋様があらわれるそうです。

多門跡。多聞櫓だったのでしょうか。多聞櫓は防御のための長屋状の建物で囲んだ物です。建物内は武器庫、倉庫、つまり矢倉として使われました。

いよいよ天守です。

諏訪家の家紋、梶葉紋

NEXCO中日本が「日本どまんなか・お城スタンプラリー」を3月28日から11月30日まで実施中です。北は富山城、東は小田原城、西は彦根城、南は掛川城と、中日本エリア内の21城を巡るイベントです。復元天守、模擬天守を含めて天守のある城に絞っています。そのため金沢城、安土城、七尾城などは入っていません。私は21のうち未登城は小牧山、清洲、越前大野、小山、墨俣の5つでした。

小天守跡

天守入口




2007年NHK大河ドラマ「風林火山」のポスター。原作は井上靖、信玄役は市川亀治郎(現猿之助)、勘助は内野聖陽、由布姫は柴本幸。

こちらは1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」のポスター。原作は新田次郎、信玄は中井貴一、勘助は西田敏行、湖衣姫は南野陽子。二つのドラマでは、原作が異なるため諏訪頼重の娘、武田信玄の側室、武田勝頼の生母である諏訪御料人の名前が違っています。

明治初期に取り壊される前の高島城の写真

天守の内部階段

天守最上部

天守から見る内堀

諏訪湖

本丸の藤棚

時計台。諏訪は「東洋のスイス」といわれて、三協精機、諏訪精工舎、エプソン、チノンなど精密機械メーカーが集積しています。時計塔の時計はセイコーでした。

石集配湯枡。温泉を城内まで引き込んでいたそうです。

本丸庭園

心字池。「心」という字の形の池です。


川渡門跡。ここから船に船に乗れたそうです。現在の門は三の丸御殿の裏門を移設したものです。



諏訪護国神社

西多門

諏訪出身の永田鉄山の像。相沢三郎に惨殺された陸軍省軍務局長です。文春新書から「永田鉄山 昭和陸軍・運命の男」という新刊が出ています。

本丸南東の富士見櫓

二の丸跡の諏訪市役所


東側の内堀





本丸東側の内堀の石垣


内側から見た角櫓

角櫓前のキハダ

心字池

埋門




本丸西側から見た天守


中門川

中門川沿いの遊歩道。所々に東屋があって、諏訪赤十字病院の医療スタッフらしき人が休憩していました。

諏訪湖に注ぐ中門川の河口
























最新の画像もっと見る

コメントを投稿