南国の風にゆられて一人暮らす

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原爆を爆発させる32個の起爆装置

2014-08-14 16:52:00 | 

原爆を爆発させる32個の起爆装置、これは近年までアメリカが流出を恐れた極秘・機密情報だった。

ロスアラモス研究所、1942年に始まった原爆開発マンハッタン計画の拠点。

アメリカはナチスドイツよりも先に原爆を作るため、世界中から科学者を集めた。

 

火薬の爆発でプルトニウムを一気に圧縮させ核分裂を起こさせる。

それが原爆開発の最大の難関であった。

何度やっても実験は失敗、プルトニウムの塊が飛び散ってしまい使い物にならない。 起爆装置の開発に5千人の科学者が投入された。

 

解決の糸口を掴んだのは、火薬の専門家であった。

解決策は2種類の火薬を使うこと、燃焼速度の違う火薬を使うことで均一にプルトニウムを圧縮できることがわかった。

問題は、いくつの区画に分け火薬をどう配置するか。それは選りすぐりの科学者でも難問だった。

問題を解決したのは天才科学者と言われたフォン・ノイマン博士、10ヶ月に及ぶ計算の結果、 ついに求めていた火薬の配置と区画の数を見つけた。 

その計算を元に火薬を爆発させた実験は成功。

円形の原爆、その中心にプルトニウムを置き、周りに火薬を詰めた「爆縮レンズ」の数は、32個。

 

これを一気に爆発させる、世界初の原爆実験がアメリカで1945年7月16日に行われた。

これと同じ型が、1ヶ月も経たずして1945年8月9日に長崎に使われる。

広島(1945年8月6日)は、作りが簡単で実験の必要がないウラン原爆。

アメリカは、2個の異なる原爆を使って人体実験を日本人に行った。

 

アメリカは、「爆縮レンズ」の数を最高機密にした。 この技術が流失しない限りアメリカは原爆を持つ国は直ぐには現れない と考えていた。

しかし、1949年ソビエトは早くも原爆実験に成功。

アメリカから遅れること4年、予想を遥かに上回るスピードだった。

このソビエト初の原爆はアメリカの物と瓜二つだった。 当時のソ連科学者はアメリカの完全なコピーと言っている。

 

最高機密の「爆縮レンズ」の数はソビエトにどの様に流失したのか?

FBIの調査でロスアラモス研究所に居た3人の研究者が関わっていたことが分かった。

3人はいづれも「爆縮レンズ」に関わっていた。

 

この「爆縮レンズ」の数と配置は、その後 世界に広がって行く。

1952年イギリス初の原爆実験

1960年フランス初の原爆実験

1964年中国初の原爆実験

その後、イラクにも「爆縮レンズ」の技術が流失していたことが判明。

今や、機密でもなんでもなくなった爆縮レンズの数。

 

1957年ソビエトは世界初の人工衛生を打ち上げる。 この人工衛生を打ち上げたロケットに小型核弾頭ミサイルを乗せればアメリカを直接狙えるの大陸間弾道ミサイル(ICBM)、に生まれ変われ。 (ICBM)の落下速度はおよそ24000キロ、音速の20倍に達する速さ。撃ち落とすことは不可能。 地上から飛んでくるミサイルではない、宇宙から飛んで来る小型ミサイル、しかも数発同時に発射し幾つもの都市を破壊できる威力。

 

今 ロシア、アメリカが原爆・火薬を使わない、クリーンと言われている純粋水爆を開発中。

 

広島型原子爆弾(リトル・ボーイ)

 

長崎型原子爆弾(ファット・マン)

 

自分たちは超破壊兵器をもっても日本にだけは核を持たせない!

アメリカは、2個の異なる原爆を使って人体実験を日本人に行った。 どの国よりも本来「核兵器」を持つ資格があるのが日本!

 

 

【原子力協定】間に合ったトルコ、時間のないインド、迫るアメリカ[

http://www.youtube.com/watch?v=47ynVPVv15g  16:35

 

 

【おいアメリカ!】長崎原爆忌とイラク情勢を利用した原油価格操作疑惑など[桜H26/8/11]

http://www.youtube.com/watch?v=zK_EBT3Pg-k&list=UU_39VhpzPZyOVrXUeWv04Zg 18:07

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