大学受験狂想曲

大学卒業後20年間某全国規模大手予備校の職員をやっています。仕事の中で得たリアルの情報から大学受験を読み解いていきます。

中央と明治の中野戦争

2009-11-21 | 日記
 以前中野駅北口にあった警察大学校が移転してその13万9千平米という広大な跡地をめぐって大学間でかなり争いがあったことがありました。ネット内でもこの件に色々憶測が言われているようです。
 これについてはまず中央大学が動いたことに端を発します。ご存知のように中央大学では文系学部が通うのは多摩キャンパスですが、このキャンパスの立地はかなりとんでもない僻地にあります。キャンパス前にモノレールが通ってはいるんですが、とにかく新宿などに出てそこからまず立川や多摩センターなどといった郊外のターミナルに行く。そしてさらにそこからモノレールなのですからアクセスは不便極まりない。またキャンパスの周りには数軒のコンビニがあるだけでほかに商店などは一切無く山に囲まれてるだけの環境です。これでは受験生が集まらなくて当然です。その結果中央大学では受験料が安いセンター入試でしか受験生が増えずセンター割合は有名大学の中でずば抜けて高く50%を超してしまいました。そこで中央大学ではなんとか基幹の法学部を中心としたいくつかの学部を23区内に移すか、もしくは学年割れという形で3~4年生を都心あたりに置きたかった。それで随分と以前から23区内の土地を物色していました。警察大学校の移転もかなり以前から具体化してましたので中央大学は当然目をつけます。最初は丸々13万9千平米を手に入れれば文系全学部全学年を中野に移転させて多摩をグラウンドにでもしてしまえという目論みもあったようですが、そこまで甘くはなく(笑)全体13万9千平米のうち大学キャンパス誘致分として割かれたのは4万平米ちょっとでした。中央大学としては目論見外しでしたが、まあこれでも2~3学部くらいだったらなんとかなります。そこで中央大学はOBである中野区長に依頼しこの敷地を中央大学が落札できるよう画策しますがこれが裏目に出ました。中野区議会で跡地売却についての中大OBである区長の関与を追求する動きがでてしまいました。この追求を行ったのが御茶ノ水でかつて中央大学のご近所ライバルだった明治大学出身の区議。まあここまで言えば後は想像つくでしょう。23区内の貴重な敷地をめぐる大学間の戦争はあっさり中央大学の敗北に終わりました。そしてさらにおどろくのは中央大学敗北後この敷地を実際に買収したのは、明治(そして早稲田と帝京の3分割)でした。
 中央大学は多分これで23区内回帰の夢はほぼ捨てたのでしょう。その後は文系学部の教育は今後もずっと多摩キャンパスで行うと中大理事長が明言し、多摩キャンパスでの施設拡充の方向を決定しました。
 いやー。大学間の醜い土地戦争です。