葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

理屈のみで割り切れぬ皇室論ーその1(はじめに)

2011年12月10日 15時10分34秒 | 私の「時事評論」
皇室の基盤が壊されて



皇室の今後のあるべき姿について、最近、私から見ると軽々しい様々な改革論が目に付くようになってきた。
 明治憲法制定の時、日本の国柄を研究した上で定められていた憲法が、進駐してきた米国軍により、ただ日本をまとまった統制力の無い国に陥れようと、国際法の規定などは、白人ではない野蛮国に適用する必要が無いとばかりに無視した圧力により改定を命ぜられ、これに併せて皇室の基本を定めた皇室典範までが廃止され、新たに従来の重い法規から、すぐに変更できる一般法に転換させられたのが敗戦の結果だった。
 これで二千年以上日本に根付いていた皇室の位置づけまでが法的面では軽くなり(日本の精神的な柱であった神社も大変な誤解を受けて苦しめられたが)、これは敗戦という事態に遭遇した我が国のやむを得ぬ情勢だったが、それ以来、在来は予想もしなかった軽々しい論が、頻りに流行るようになってきた。
 これに併せて、日本国が依然として立憲君主国の体制を維持しているのにかかわらず、まるで憲法の変更で共和政治の国になったかのごとき宣伝が行われ、「皇室の民主化」方針などという、概念を正確に掴むことがしにくいおかしな論が流行するようになって、日本の体制はどんな国柄であるのかさえ見失った状態になってしまった。

おかげで小泉内閣の時代には、敗戦までは万一の皇位継承難の時、重要として存置されてきた多くの宮家が皇族から切り離され、皇族は昭和天皇の男系兄弟とその子孫のみに絞られた。その結果、皇位継承に不安が出てきたのを受けて、従来の宮家を復活させるのではなく、女系や女帝を含む皇位継承への皇位継承制度の改定論が出て、これでは日本の皇室が、西欧などの王制を見習った神聖さを失った異質のものに変質するのではないかと心配されるような、当然日本が再び主権を回復した時には、前もって準備しておかねばならない準備が欠落したまま放置されていたために起こる事態が訪れた。

日本のように古代社会から続く天皇を国の文化の柱として存続してきた国が、安定的で円滑に現在の文化を維持していくためには、天皇制度そのものも同質の連続性の下に維持していかねばならない。だが、政府が進めようとした皇位継承法の変更は日本の天皇制度ができて以来、一貫して維持しようとしてきた日本の皇室制度の本質を無視するものであった。日本の歴史を振り返ると、緊急時に女性の天皇が就任された例は僅かではあるが存在するが、歴代皇室と男系でつながらない天皇が即位した例は未だかつてない。何でこんな大切なことを国の政府までがそれに安易に同意しかねない危機が生じたのか。歴史に対する無知か無神経という以外にないだろう。
 幸いこれは、たまたま論議が生じたときに、新しい親王殿下がこの時期にあわせたように御誕生になり、当面の皇位継承の危機が遠のいたとして沙汰やみになったが、同じような危険がまたまた憂えられて現在にいたっている。



なぜ女系皇位継承は容認できないのか



あまりこの点は力説されていないようだが、女帝はともかく、女系の皇位継承は、日本の皇室の性格を根本から変えるもの、日本人の文化概念とは馴染まないものである。
 それは法制度上の「男女同権」のごとき、権利義務関係の論議と安易に混同さるべき問題ではない。
 女系の皇位継承は日本的な祭祀や、連続してきた祖先との霊統などにおける不連続につながり、信仰的に在来の皇室を、女系天皇の継承によって従来の皇統を廃絶したという国民意識に追い込みかねない危険なものだ。
 「女系の継承も男女平等で良いじゃないか」などと巷で軽々しく論ぜられる背景には、日本の天皇の地位が、物権など論理的ものとは異質の面も持っていることを、こんなに国民の身近にありながら、充分に理解せずに論ずる皇位への深みの認識欠如から生まれるものである。我々は日本史に一度も前例が無い女系の皇位継承の持つ意味をなぜなのかもう一度深く検討しなければならない。
 我々は先の小泉内閣下で女系容認案が検討されたときに、「天皇制度を似て非なるものに変質させて連続性をここで中断させる危険なもの」と断定して精一杯に警鐘を鳴らしてきた。

ところがこの論議が中絶して数年たつと、今度は皇族のお仕事が最近多くなり、女性の皇族方も御役を担って引き続きご活躍願いたいとの声が出されて、女性宮家創設論が出されてきた。
 この新宮家創設の提案が、皇位継承の男系破壊へつながらないというのなら、それにことさら反対する理由はない。新女性宮家は単純に政治的要求を満たすもの、一代限りで消滅すべき性格のものである。女性の宮様が、男系の皇統に連なる方とご結婚され、男系の皇族への条件を満たさない限り、存在の必要はなくなるだろうからである。

女性宮家の創設論は一見、出されたものを眺めればまことに見える。
 なるほどいまの皇室には式典や会合はじめ、国民が尊崇する皇族方の御出席を求める行事が多い。それらすべての行事に現在の両陛下や皇族方のお出ましを願うことはできないだろう。いまだって、将来ご結婚されれば皇族を離れられる未婚の女性皇族も多くの会合に臨席され、お忙しく御働きだ。女性皇族の宮家も、皇位継承権をお持ちにならない一代限りのものなら、国民心情が望むのなら、検討されてもよいように受け止められるものだった。そして伝えられる宮内庁筋からの声も、たとえば羽毛田宮内庁長官のコメントなど、このような条件を見て提案されたものだと説明されていた。

だが、その話がいったん表に出ると、話はだんだんおかしな方向に動きだしそうな気配だ。
 いつの間にか、いま御活躍中の女性皇族のお立場維持の前提がぼやけて、三笠宮の姫君さまなどを外した天皇陛下のお子様とお孫さまに限るなどと言い始めている。新聞の報道などをつぶさに見るがよい。



これではまるで、小泉内閣時代の女系皇位継承論へ移行する伏線みたいなものだ。
 だいいち女性皇族は減少する。それらはみな、日本の伝統的皇室に関する研究や国民心理の深い洞察がなされたものとはいえず、日本の皇室制度の特徴を深く理解しようとせずに、日本の皇室を安易に西欧王制を模倣のものにしようという類の論ばかりである。

日本国の文化には、国の発生以来、連綿として続いている個性があり、それが日本文化に果たしてきた比重の大きさを考えてみるがよい。
 日本文化の個性の柱でもある皇室制度を、目先だけの軽率な判断で変更してしまって良いものだろうか。連綿と続いてきた皇室制度は、一度壊れてしまったらもう二度と、かつてのような影響を日本に残す制度ではなくなってしまうだろう。安易に皇室の制度を変更することは極めて危険で、取り返しのつかない暴挙に見える。



歴史の無いところに見習う日本



「どこの国の王制でも、女系や女性を認めるようになってきたのが最近の傾向ではないか」との乱暴な反論が出るかもしれない。
 だがこの問題をあまり軽々しく論じてはいけない。王位継承は基本的には世界でも男系を基本としている。男系とは家の集団の長はその家の血筋の男性が当たるという考え方。王位は「継承法」という法規でどの国でも定められているが、それは殆ど男系の一族による相続が基本となっている。
 ただ、諸外国の王制の場合、男性が中心である王室の後継者が近親にいなくなった場合、近隣諸国の王族や、王族に嫁いできた王妃などに王位を譲る場合もあるが、その場合は勿論、王族が変わるから王朝が変わって新しい家の新王朝となる。世俗の王位はこれでも継続するが、精神的、王の一族一家の相続・積み重なった先祖との連続の縦糸は断絶する。
 日本の場合は皇室は一つの男系の一家、歴史を見ると、暫定的に皇室の父親の血統を継ぐ女帝(独身)が皇位を継いだ歴史はあるが、そのあとは女帝の子孫ではなく、歴代天皇の男系の子孫がそのあとを継承して行為をつないできた。
 日本の皇室には姓が無い。皇族が変わることはないからだ。国自体を家のような概念「国家」と呼び、それは男系により先祖伝来の神霊を継ぐという日本独自の精神風土は一貫して継承されてきた。精神的継承が断絶し、霊や神との祭りの連続が不可能になり、天皇に天皇の血筋以外の父親ができる現象は、継続のためにも、公平無私の立場で天皇が奉仕されるためにも避けられてきた。

これは日本の天皇が国民統合の祀り主であったこと、そして日本が独特の家族制度の国であったこと、日本の公的な国の祭りが神道という独特の信仰であったこと、神話の時代から現在に至る御霊(みたま)の継承、天皇のお心(大御心・おおみこころ)の継承が、とくに重要であったことなどとつながっている。

私はそんな日本の独自性をわざわざ破壊して西欧王室の模倣品に変更しようとする行為は、文化の継続することの価値を全く理解することのできないものの暴挙であると思っている。
 しかも歴史も伝統もある日本の皇室制度を、歴史のはるかに浅い諸外国のまねをして、皇室の大切な柱・国民もそれを信じている精神的権威を壊してしまうのは納得できるものではない。世界を見回しても、人類の文明がいまだ発展せず、石器時代にあった時にうまれ、人々の柱となったような制度が、天皇制度のように今まで連綿と歴史を重ねてきた例は他にはない。
 それは諸外国の王制などと比較して明らかに違う日本文化の継続が生み出したユニークな制度である。

世界には日本の制度とはどこか似た王制をとる国はいくつか存在する。
 だが外国の王制は、歴史が古いものでも僅か数百年の歴史しか持たない。
 しかし日本の天皇制度はどんなに歴史を短く見ようとしても、石器時代が終わり、稲作の弥生文化が始まる頃からの二千年を越す長い歴史を持っている。その成立以来の特徴を基本に、日本の文明を基礎に発展してきたものだから、これを単純に諸外国の近代的産物の王制と同じような共通の尺度で論じ、日本などとは無関係な文明の歴史をたどった西欧で発達した哲学や論理学を基礎としたものの見方で論じようとしても無理が行く。

現在の日本には日本文化を軽視する特徴がある。世界中が日本の育んできた独特の文化の価値を高く評価し、諸外国ではとうの昔に廃れてしまった貴重な価値を日本文化に見出して賞賛のまなざしで眺め始めている。
 皇室はそんな日本文化の中核である。特に学者や政治家などの世界に極端なのだが、日本が長い歴史の中に文化の土壌にあわせて育んできた日本人らしい知識や生活、感性や思考法などを全く理解せず、学問や知識と言えば西欧の育んできたものをそのまま模倣するものだと偏屈に思いこみ、日本文化の育んできたものは時代遅れの遺物にすぎないと思うようなものばかりが中心になっている。幸いなことにそんな連中の風潮は国民の多数を占める沈黙せる大衆の心にはしみ込まず、辛うじて日本の文化の特性は維持されているといえそうだが。

このままこんな風潮の中で、皇室改革論などが弄ばれ、軽率に彼らの近視眼的思いつきで変更されるようなことになったなら、日本の皇室はいままでのように国民の絶大なる尊崇と愛情の中に生き残ることができなくなるのではないか。

そんな思いがするので、ここに私の思いを基に、筆をとることにした。

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