三日月ノート

日々の出来事を気ままに。

【読了】R帝国

2018年02月23日 11時02分22秒 | 書籍

「近未来」というより現代と数年先の未来を見ているような感覚になりました。

内容じたいが作者の思想やイデオロギーと深く結びついているだけに好き嫌いがはっきりと分かれる小説だと思います。

物語の内容は若干平坦な印象で、登場人物の違いがちょっとわかりにくい部分もありましたが、前述のとおりあくまでもこの小説は作者が真に伝えたい内容を、ある意味メタファーとして利用していると思えばそれほど気にならないのではと思います。

SFや近未来小説として期待して読むとちょっと期待外れかもしれません。

さて、作者はこの中で「鈴木タミラ」という女性(弾圧され最後に絞首刑になる)が書いたとされる著作の中でこのように言わせています。

「戦争を煽る者たちのプロパガンダを見破らなければならない。戦争の裏にある利権の流れに目を向けなければならない。
(中略)
戦争をしなくても我々が貧困から様々に詐取しているのを忘れてはならない。我々が国内で物を豊かに安く手に入れることができるのは、つまりそれだけ貧困の労働者たちが劣悪な環境で低賃金でそれらをつくっている可能性が高い」

「人々は強い“国家”と自己同一化を図ることで、自信を回復し、自分までも強くなったような感覚を覚える。非国民、他国民、他人種を差別することで、自己を特別化する優越感を求めるようになる。」

そしてまた、R帝国内の国民の言動全てが監視下におかれる状況、ヘイトスピーチや憎悪の言葉によるリンチが溢れる一方で、政治に対し無批判、無気力な国民の姿を描いています。

長い小説ですが、根底に流れているのはこれらの文章に表現されている思想であり現在の日本の持つ脆弱性です。

しかしながらこれは今に始まったことではなく、第二次大戦後、伊丹万作氏が「戦争責任者の問題」で書いているとおり、人間、日本人の持つ悪しき傾向なのかもしれません。

『つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。』(戦争責任者の問題/伊丹万作)

翻って、今の日本、世界はどうでしょう。どこに向かっているのでしょう。その先に何が待っているのでしょうか。