浅尾弥子のノンジャンル道

 
 富山県小矢部市のシンボルキャラクター・メルギューくんの
 お姿をお借りして、日々更新。

燕の旅(吉田町の唄・編)

2016-09-16 23:14:44 | 2016年 燕の旅
アルフィーファンのミツコにとって、
吉田拓郎という人は、特別な存在です。

拓郎(尊敬のあまりの敬称略)に衝撃を受けた坂崎さん。
本質を隠すことで、アルフィーの活動を維持する、
その道標をつくってもらった高見沢さん。
桜井さんは・・・あれ?「ただの先輩」???

拓郎さんがいなければ、
今日のアルフィーはないといってもいいでしょう。



そんな、わたしたちの恩人、拓郎さんが、
1991年(赤ヘル軍団が優勝した年だ)、
合併前の吉田町(よしだまち)に、曲を提供していました。

うむむ。
こりは、すげいことでっす。

「ふるさと創生基金」に関連して、
当時の大人たちに促されてできた「吉田町若者共和国」。
与えられた予算をどう使うのか?
若者たちは、地元の歌をつくることにしました。

同姓の縁で、吉田拓郎さんに。



「吉田町の唄」



この歌詞は、
「吉田町閉町記念誌」終わりのページ、
「吉田町民憲章」の下に掲載されています。

吉田町のあゆみを締めくくり、
新たな一歩を踏み出す「きわ」の部分。
ミツコ独自の解釈ですが、この歌こそが、
合併のモニュメント的存在ではなかろうかと感じました。



雨の日も、晴れの日も、ハレの日も、ケの日も。
吉田町はあって、分水町もあって、(旧)燕市もあって。
赤ん坊も、子どもも、若者も、おじいさんも、おばあさんもいて。
悲喜こもごも、人々のたつきは、確かに、あって。

住んでいる土地の名前が、変わることもあって。

この歌は、そうしたすべてを、ひっくるめて、
やさしく包みこんでくれます。



タイトルは「吉田町(よしだちょう)の唄」と発音するようですね。
歌詞にも「吉田」という地名がありません。

ミツコは、そこに普遍性を見いだしました。
あえて、場所を限定しないがゆえに、
こころのなかにある原風景に、戻ることができます。

拓郎さんは、すごい人だ~。

拓郎さんを選んだ若者共和国も、すごい国だ~。



1991年8月、
吉田ふれあい広場にて、
若者共和国主催のイベントが行われました。

なんと、小室等さんが、ご出演なすったそうです。
小室さんといえば、
高校生の桜井さんと坂崎さん、ほか2名の、
アルフィーの前身・コンフィデンスを高く評価して、
プロへの道を示してくだすったかた。
小室さんも、恩人でっす。


(「吉田町閉町記念誌」(発行:吉田町)をもとに作成)

観客動員数22,000人。
コンサートラストには、開催スタッフも、
警備にあたっている人など以外は、できるかぎり、
ステージに上がり、熱唱したそうです。

・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。

歌は、なくならない。さびない。こわれない。
すばらしい財産を、
吉田町は、そして、燕市は、持っていますね。

どうか、歌い継がれますように。

DREAMS COME TRUEの吉田美和さん(北海道中川郡池田町出身)、
いかがでしょうか~。
壮大な「吉田町の唄」になりそう。エヘヘ~。



長くなりました。

吉田商工会のM内さん、
貴重なお話をありがとうございました!

「坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポン GOLD」を
毎週聞いていたミツコにとって、
拓郎さんとのエピソードは、ほほえましく、
そのさまが、目に浮かぶようでした。

今から3年前、小室さんを再びお招きし、
コンサートを開催した記事(ケンオー・ドットコム)も拝見しました。
すばらしい企画ですね。


(1992年4月15日、フォーライフレコードより発売)

みんな、みんなに、幸あれ!

「フォトギャラリー・編」に、くづつ・・・のですが、
別件の記事を投稿するやもしれぬ。

明日もがんばるぞ!
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