玉川堂を辞去し、
サンロード宮町(アーケード商店街)にある戸隠神社へ。
つば九郎は、今年の春季祭礼に参加していました。
商店街に、突如、神社が現れます。
というか、神社の周囲を商店街にしたのでしょうね。
地元民の生活に、根づいているような、親しみやすい雰囲気です。
ハハーッ。
9月14日、15日と、秋季祭礼を行うため、おんちゃんたちが、
暑いなか、準備作業をしていました。
その近くで、ぱちりぱちりとキャメラを構え、失礼しましたが、
とても好意的に迎えてくれて、嬉しかったです。
当日は、露店が並んだり、御神輿が出たりと、大賑わいなんだろうな。
成功をお祈り申し上げまっす。
サンロード宮町も、とっても和みました。
地元のケーキ屋さん、お菓子屋さんで、お土産を購入。
戸隠神社、ありがとうございました!
くづつ。
燕市のみなさん、たいへん長らくお待たせいたしました。
「ヤクルトスワローズ人気マスコットかつ燕市PR隊長(鳥)・つば九郎の足跡をたどりつつ、
浅尾弥子の「弥」と、世界4「彦」が組み合わさった地名「弥彦」を堪能する旅」
略して、
「つば九郎の足跡&弥彦の旅」のルポを再開しま~す。
進行役の、富山県小矢部市シンボルキャラクター・メルギューでっす。
よろしくメル。
さて、旅程3日目は、JR弥彦線で弥彦駅から燕駅へ。
鎚起銅器(ついきどうき)の「玉川堂」(ぎょくせんどう)を見学します。
つば九郎の訪問地です。
燕駅から、徒歩5分弱。
トントントン・・・カンカンカン・・・。
銅を叩く、小気味いい音が聞こえてきました。
初めて訪ねたにも関わらず、懐かしい感じがします。
夏休みに、田舎のおじいちゃん家に来たような気分。
文化庁の登録有形文化財ですと!
当時の建物を保存しつつ、きちんと手入れをして、今も現役で活躍中なのですね。
ごめんくださ~い。
奥からいらしたのは~。
「おーの、メル坊。よくきんしゃったね。サイダー冷えちょるき、飲みや」
という、ばんばではなく、
スタイルバッチシ、都会的な、おねぃさんでした。
にいがた県央マイスターのGさんが、作業場で、銅器ができるまでを教えてくれます。
1枚の銅板を槌で打ち起こし、立体に仕上げる、
その過程の現物をズラリと並べ、一目で分かるようになっています。
この板が、槌でもって、このように美しく形成されるとは・・・。
むろん、手作業です。
ちょっとした角度、力加減、道具のチョイスなど、まさに職人技。
解説をお聞きしている間も、作業場では、他の職人さんたちは、
それぞれの器に向き合って、槌を振るっています。
そして、形成されたものは、
すいへーりーべ、ぼくのふね。どうしよう、銅Cu、の化学反応を利用した
独自の方法で、着色し、完成。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4b/c2/17a1e28563c6650a4aebc4c47fe95455.jpg)
そもそも、なじぇに、燕で鎚起銅器が発展したのでしょうか。
江戸時代初期に和釘づくりが始まり、
江戸時代後期には、仙台の職人から製法の技術が伝えられ、
近くの弥彦山から、銅が産出されるという地の利に恵まれたから。
県民性(藩民性)や、気候、玉川堂の祖・玉川覚兵衛さんという天才がいらしたから、
というのもあるのでしょうね。
現在も、湯沸、急須、茶器揃、鍋、花瓶、ティーケトル、ワインクーラー等、
生活に密着したものから、和釘まで、
無形文化財を極め、伝承しようと、職人さんたちが銅器製作に勤しんでいます。
茶器でお茶をご馳走になったり、
あっという間の1時間でした。
9月18日(水)~24日(火) 新宿伊勢丹 本館5階にて、
「新潟県・無形文化財指定 玉川堂 鎚起銅器展」が開催されます。
都内近郊にお住まいの方、このチャンスをお見逃しなく~。
玉川堂のみなさん、ありがとうございました!
ブラボー、玉川堂!
くづつ。