ふきの指定席

「無知の痛み」

沖縄が返還された年
私は地方都市に住む学生で18歳だった
沖縄出身の同級生もいて
「パスポートがいらなくなる ドル紙幣ともおさらば」と言っていたのを
他人事のように聞いていた
それまで
沖縄の人が本土に来る時
パスポートが必要である事も知らず 
日々の生活がドルだてであった事も知らなかった
初めて覚える「無知の痛み」だった
その同級生の顔は覚えているが
名前は失念している
あれから50年も経ってしまったのだ
痛みは羞恥にかわりそして忘却となり
抜け殻になった



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読んでいただきありがとうございます♡♡♡

コメント一覧

masa
ふきさん こんにちは♬。
バイデンさんの日韓訪問順序は、早い・遅いは何の意図は無いと米国の方からコメントがあって居たようです
韓国が変方向に向いたのを早く修正しないと米国も困るでしょう
根回しをお願いしなくてはいけません
世知辛い世の中になっていくようです。
ふき
masaさん

バイデンさんが
日本よりも先に 韓国を訪問しますが
その駆け引きにも一喜一憂する
日米関係です 
なんかバカバカしく思いますが
日本の周りの国が異常なのだから 
日本も神経をとがらせるしかありません
なんだかねー

プーチンのアホ
ナントカはバカ

リコメでは辛辣な事を書いてしまう私ですが
当サイトでは
色々規制があるようでチェックが入るようです
私は全然平気ですが
なんかどこかの国みたいで世知辛いご時勢ですね



 
masa
ふきさん おはようございます♬。
世界が日本を見る目が、湾岸戦争あたりから変わって来た様に思います
先の戦争から、監視されていた時期が終わり、戦力として大丈夫の烙印を押されたのでしょう?
日本の基地も、日本防衛の役目もありますが、アメリカの自国防衛の前線基地と思われます
戦後独立したと言っても
アメリカに宣戦布告して、無条件降伏した日本は、言う事を聞く以外無いと思います、
日本は「ニイタカヤマノボレ」を発して、喧嘩売った方ですから、これは忘れてはいけません
海外派兵は、今まで武器を持たせて貰われなかったのでお金と基地提供で良かったですが
今迄はマッカーサーの法律で出来ませんが、今からは、海外派兵の誘いが出て来ると思います
先ずは憲法改正からでしょう
ウクライナ戦争が終われば、ウクライナの復興特需が出て来るでしょう?、勝ち組にならないといけません。
ふき
masaさん

安保は
アメリカが前面に出て敵と戦う
日本が「出す」のはお金と基地だけ的な
ザッパに判断すればそんな決まり事であるはず
でも
湾岸戦争あたりから
そんなものはまやかしであることを
認めていますが
でも日米同盟は継続中
しかたがありません
周りの国が怖いもんね

やっぱり「酒ては」通れない猫母ちゃんダー❕
masa
ふきさん おはようございます♬。
>いざとの時 アメリカは日本を守ってくれますかね・・・
守ってくれないでしょう?
アメリカが、アメリカ国民を犠牲にしてまで、日本を守ってくれる義理は無いと思います
口約束、紙切れのサインで1国民の命と引き換えないでしょう
突き詰めれば、日本は自国防衛だと思います
防衛力・反撃力を強化しないと、ウクライナの二の舞になるのは明らか
北の方から侵攻されるのではないかと、気になってしょうがありません
基本、自分の国は自分で守らなければいけません
いざのアメリカは、ウクライナの様に武器は渡しても命までは渡さないと思います。
日本は歴史が歴史だけに、自国防衛・反撃は難しいですね。

猫母ちゃん 頑張れ!。
ふき
masaさん

日本とアメリカの間には
安保条約(日米同盟)がありますが
いざとの時 アメリカは日本を守ってくれますかね
私は心もとないです

愚かな事に
精魂尽き果てる人間社会とは何なのでしょう

masaさん
「酒ては」通れない 猫母ちゃんであります
masa
ふきさん おはようございます♬。
戦中・戦後の沖縄県人の痛みは充分分かります
だから手を差し伸べようとしても、反対・反対では先に進みません
あれはあれ・これはこれと割り切って考えられないのかと、頭が痛いです
辺野古基地異動で、普天間基地の土地が返還される
それを待っている人もいる事を忘れてはいけません
自国防衛の為には基地は必要なのです、今回のウクライナ侵攻で見せ示められました
タダで置くとは言っていません、経済の浮揚に協力すると言っています
政府も根回しはしています、次回県知事選挙が見ものです
我が街も基地の街、自衛隊の陸自・海自あり米軍の基地もあります、共存共栄をして来ました
豊とは言えませんが、あっちこっちに恩恵の施設を見掛けます
沖縄県人には、豊かになって貰いとと誰しもが願っていると思います
と思っていますが・・・。
ふき
ローズさま

18歳の時
沖縄出身の同級生が発した言葉 その時の光景を
鮮明に記憶しています
その日から 半世紀経ってしまった事が信じられません

数年前沖縄旅行をしましたが
人々の温かき事
軍機が2機 連帯を組んで上空を飛んでいきましたが
その時
私は空を見上げ 地元の方は口をつぐまれました
はっとしました
生きる事の責任と重みを感じたのです

平和であればこその今です
ふき
くりさん

今ウクライナが大変な事になっていますが
何故人間はこんな事ばかり繰り返すのでしょう
人間がよくわかりません
くりさんや私にとって
平和に生きる事は一番簡単ですよね
勿論生きていれば色々ありますが
それでも人間稼業は捨てたものではないと思えます
でも
沖縄で生まれ
戦中戦後をまた違った意味で経験していたなら
平和で生きる事は簡単とは言い切れない
棘がささったようなもどかしさを覚えるのではないでしょうか

人に迷惑をかけず意地悪せずを心掛け 
何よりも自由を尊び 
私はのほほんと生きてきてしまいました
なんかこんな生き方で よかったのかな…
ローズ
こんにちは、
朝ドラの暢子と同い年?
50年!それで朝ドラしたり「ちゅらさん」の総集編放送したりだったんですね。
沖縄県の方々は沢山の苦労をされ、それは今も進行形なのでしょうか…
無知の痛み…本当にね、もっと知らなければいけませんね。
昔、球児たちが甲子園の土を持って帰れなかったとかってのは先日報道で知りましたけどね。
くりまんじゅう
沖縄が日本に復帰して50年となり 沖縄に関するさまざまな番組が組まれ
私もそのいくつかを 興味深く観ました。

50年前 日本の紙幣とコインが船で運ばれ それまで当たり前に
自動車の右側走行だったものが突然左側通行になり 当時はずいぶん
交通事故が起きたことや 沖縄出身の人が都会に出てアパートを借りるとき
沖縄人はお断りとされ 出身を隠し ばれないよう沖縄の言葉を使わず
犯罪者のように生きたと話す人たちのご苦労を 今まで私は知りませんでした。

そしてまた沖縄に住む人たちには 避けられない基地問題があります。
無知の痛み は私も同じです。  
ふき
飛鳥さん

18歳の私には沖縄は遠い存在で
歴史をおもんぱかる余裕はありませんでした

何も知らないでいることに
身の置き場がないような情けなさを覚えました

私も北陸の寒村から出てき 
木造のボロアパートに身を置いたばかり

沖縄は自分にとって 遠いまま 今日にいたります

自分だけがよければいい
そんな
独り善がりな人生であったことを 否めません
pon0045
ふきさんの記事で初めて沖縄返還50年って知りました。
会社に沖縄出身の人がいましたが、彼女は返還直後くらいに生まれたようです。そうするとドルは知らない世代なのか。
近所に住むママ友は、20年くらい前に沖縄に家族旅行に行く時、旅行会社の人に「パスポートは?」と聞いてしまい大恥をかいたと言ってました。さすがにそれは・・と思ったことを今思い出しました。
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