洛中在住

京都暮らし

子どもが授かるまで5

2013-01-31 | 日常
京都に帰ることになっても、今までの治療に消極的な私ではありません。
「先生!京都で良い不妊治療の病院を紹介してください!!」
と紹介状を書いてもらい、京都に帰ってさっそく通いはじめました。
偶然にも大阪に行く前に通っていた医院の近くで、京都市イチ人気の産婦人科病院でした。

この病院でははじめからステップアップ、つまり体外受精を望んでいることを先生に伝えました。
人工授精は1~2万で済みますが、体外受精は一度に数十万~。
ちょっとした薬や注射に万というお金が簡単に飛んでいく世界です。
でもタイミングと人工授精で一年を費やした私は、もう体外受精しかないと追いつめられていました。

排卵誘発剤を使って卵巣を刺激し、複数の成熟卵胞を育てます。
痛い採卵・胚移植など、体と心と財布の負担は半端なかったです。
10個以上採卵できたのに、受精卵になったのは二個とか…一個のタマゴ高すぎ。
いえいえ、それでも受精してくれたのです!カモン!私のもとに帰って来い!頑張れー!

しかし現実は甘くない。
…ことごとく玉砕。

わが家は不妊治療貧乏と化していきました。銀行からどんどんお金がなくなっていく。
それよりも心と体が悲鳴をあげていました。
毎朝測る体温に一喜一憂し、月のものが遅れると舞い上がり、来るとドン底に落ちる。
早く診てもらいたいために早起きして病院に行き、毎回注射注射の薬漬け。
不妊治療は本当に辛いです。
お金を撒き散らし、暗闇の中をもがきながら爆走している感じです。

2011年、凍結した受精卵を戻す日が近づいてきた3月11日、東日本大震災がおこりました。
「こんなときに、なんで私は大金かけて贅沢なことをしてるんやろう」
と自問自答しながら、それでも不妊治療は待ってくれないので、地震からまだ一週間も経っていない
混乱の中の胚移植。

結果、妊娠に至らず。


世の中が節電とか大変だった時期に、妊娠に至らなかったと告げた医師が当然のように言いました。
「では、次の採卵は…」
いやいや待って先生、簡単に言うけど、もうさすがに資金も尽きた。
いま世の中も大変だし、少し休憩したい…。
「いえ、ちょっとステップダウンしようと思います…」
そう言いながらも限界を感じていました。疲れきっていました。
もう子どもは諦めよう。

私は昔から「やらなかった後悔」より「やった後悔」を選びます。
もう充分やったと納得できるまでになっていました。後悔はしない。

優しい旦那と、可愛い文太・小梅と生きて行くんだ。
また頑張って働いてお金を稼いで、皆で旅行なんかしたいな。美味しいものも食べよう。
将来、町家でなにかお店をするのも面白いかも。とことん趣味を極めるんだ。
子どもだけが幸せじゃない。
うん、もう大丈夫!

そうやって新しい生き方に一歩踏み出そうとした次の月、何故か妊娠しました。
小文太がやってきたのです。

あんなに気にしていた体温は測ってないし、あんなに気にしていた月のものが来るのも意識して
いませんでした。いつもは期待して妊娠検査薬フライングしまくりだったのに、
「あれ?いつ来る日やったっけ?」
…気が付けば数日過ぎていました。

妊娠検査薬で憧れの「陽性」ラインが出たとき、やたら冷静な声でトイレから旦那を呼びました。
私 「○○ー(旦那の名前)」
旦那「んー?」
私 「あんなー、私なー妊娠したみたいー」
旦那「…そうかー」
旦那も冷静に答えました。二人とも数年前のように浮かれていません。静かなものでした。

不妊治療をはじめて5年ちょい、その間ガッツリ治療したのは三年間。使ったお金は百万単位。
そこまでやって疲れ果て、諦め、新しい未来に思いを馳せた時、小文太はやってきました。
「諦めたら赤ちゃんがやってくる」の典型です。
不妊治療がながいと言葉は悪いけど、えらく安上がりできたなーと苦笑してしまいます。
いままでの使ったお金と時間はなんだったんだ。
いや、泥臭くもがきながらもここまでやったから授かったのかもしれない。

今日で一歳一ヵ月になった小文太くん、私たちのところへ来てくれて有難う。
旦那さん、落ち込む私をいつも優しく力強く支えてくれて本当に有難う。
生後30分の小文太と、おとん歴30分の旦那



子どもが授かるまでのお話、はじめて書いてみました。
本当は小文太の誕生日前(年末)に書きたかったのですが、小文太と私の体調不良のため後回しに…。
できるだけ正直に書いたつもりですが、ナイーブな問題なので、もし内容で不快な思いを
された方がいらっしゃったら、本当に申し訳ありません。
長くなってしまいましたが、読んでくださって有難うございます。


追伸

小文太が生まれたことにより、今年は生活を見直し大きく変化しようとしています。
具体的なお話は、また後日。(多分、二月半ば頃に)
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子どもが授かるまで4

2013-01-30 | 日常
あまりにも無知でしたが、妊娠したら必ず赤ちゃんが生まれてくるものだと思っていました。
まさか自分が「不妊」に続き「流産」するなんて、想像もしなかったのです。

「稽留流産」という医者の言葉を受け入れられなくて、大阪の大病院にも行きましたが診断は同じです。
わかってはいるのだけど、それでも受け入れられませんでした。


旦那と私とお腹で成長をとめた子供との思い出が欲しくて、ふらりと電車に乗り神戸まで行きました。
家族で海が見たくなったのです。

神戸の港で私たちは泣きました。



退院した日、机に置いてあった旦那からの手紙。


体力が回復するまでほぼ一か月かかりましたが、人生で最も気持ちが落ちた時期かもしれません。
泣いて泣いて、泣き暮らしていました。


でも、短い間だったけど赤ちゃんは私たちのところに確実に来たんです。
ほぼ無理だと思っていた自然妊娠で。
きっとまた妊娠できる!
…と火がついて、大阪の梅田付近にある不妊治療専門のクリニックへ通いはじめました。

ここから私は本気を出します。
今まで赤ちゃんが欲しいという思いは、周囲の声や年齢に焦っていたのがほとんどでした。
でも、短い間ではあるけど、お腹に子供がやってきて母となった私は、まったく考えが変わりました。

周囲なんか関係ない。
私は純粋に子供が欲しい!!
と。


後半の大阪時代は、ほぼ治療に時間とお金を費やしました。
一年間でタイミングと、人工授精を5~6回やったけど、なかなか妊娠には至らないので、
そろそろステップアップ(体外受精)を考えていた矢先、今度は転勤で京都に帰ることになりました。


つづく
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子どもが授かるまで3

2013-01-29 | 日常
大阪生活に入りました。


大阪の生活に馴染むことに必死で、知らない街で新しい病院を探す気にもなれず、
不妊治療はやめてしまいました。
「病院探そう」
と誘う旦那に
「ううん、もう、いい」
とグズグズする私。
あまりの環境の変化に、「不妊治療、辛くても頑張ろう!」という前向きな気持ちが
ポッキリ折れてしまっていたんです。


大阪生活が一年過ぎたころ、
「これ、飲み」
と旦那から袋を渡されます。
一人でわざわざ京都に帰って、漢方の店で高い薬を一か月分買ってきてくれました。
いつも私の意見を尊重してくれる旦那ですが、きっととても子供が欲しかったんだと思います。
ごめんね…旦那さん。

漢方が効いたのかよくわかりませんが、飲みはじめて一カ月後、なんとなんとっ
自然妊娠しました!もう私も旦那もビックリ!!信じられん…。
病院に行ったら、小さな胎芽が見えて、確かに妊娠していました。
まさか自分のお腹に赤ちゃんがいるなんて!!

出産本を買ってきて読み漁り、健康的なものを食べて、赤ちゃんの肌着を買ってきたり
毎日夫婦で舞い上がって寝てもさめてもフワフワなんだかとても幸せな気持ちでした。


それが数週間で奈落の底に落ちます。
赤ちゃんの成長がとまっていました。

初期の流産でした。


つづく
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子どもが授かるまで2

2013-01-28 | 日常
子どもって、つくろうと思ったら、すぐできるものだと思ってました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

不妊に気がついても、やっぱり自分の趣味や仕事に必死で、なかなか病院に行くことはしませんでした。
たまに大喧嘩もするけど旦那は優しいし、仕事も評価してもらってる。
子どもはつくるものではなく、授かるもの。
うん、無理してつくることはない、できなかったらそれでもいい、私はとっても幸せだ。

…と、言い聞かせていたのかもしれません。


でも正直、自分のことに時間を費やすのもそろそろ満腹になってきた。
なにか空しい。
いや、さみしい。
充実しているし幸せなのに、涙なんか出たりする。

相変わらず祖母の「子供つくれ」攻撃に
姉の「子供は可愛いでー早よつくりー」攻撃に
母の「友人たちは孫育てに忙しいのに、(孫はアメリカだから)私はなにもなくて虚しい」攻撃。

皆、悪気なく(むしろ心配して)私を傷つける。
ほっといてよ。
不妊に悩んだことないから、こういうことが平気で言えるんだな。
こんなに切なくさみしい思いをしているのに、誰もわかってくれない。

私は本当にわがままに生きていたなぁと今思いますが、その時は色々と限界でした。
余裕なんか全然ない。

ある夏の終わりの夜、私は泣きながら旦那に言いました。
「不妊治療したい。明日○○婦人科医院に予約する」

それから私のながい不妊治療がはじまりました。


なかなか予約の取れない人気の医院に通い、数か月かけて痛い思いをし、いろいろ調べましたが、
(ホルモン検査・卵管造影検査・ヒューナーテストなどなど)
私も旦那もとくに大きな問題はナシ。
タイミングでなんとかやっていこうと進みだしたときに、旦那の大阪転勤が決まりました。


つづく
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子どもが授かるまで1

2013-01-27 | 日常
子どもを授かるまでの話を、ブログでまだしていませんでした。
ナイーブな問題なので別に書かなくてもいいことかもしれないけど、子育てに追われる毎日で
過去の、あの時代の気持ちを忘れないよう、記録しておきます。
ものすごく個人的な考えや暗い部分を不快に思われる方は、読むのを控えてくださいませ。


えっと。

20代で結婚したんですが、まだ私も仕事や趣味でやりたいことがいっぱいだし、旦那に
「子供はどうする?」
と聞かれても
「今はいらん」
と答えていました。
旦那は子供が好きだし扱いもじょうずですが、私は子供が苦手でした。
嫌い、ではなく苦手。

子どもの佇まい、姿かたちは可愛いと思っていて、昔からよく絵の題材にはしていましたが、
何度か書いたように自分が子供を産むまで赤ちゃんを抱くどころか触ったことさえなかったです。
ただ単に周囲に子どものいる環境ではなかったので、どう接したらいいかわからなかったんですね。

結婚しても自由奔放に遊んで生活し、稼いだお金はすべて自分のお小遣い、自分への時間たっぷり。
し・か・し。
年数が経つと周囲(主に親族)からちょいちょいいらんことを言われます。
「子供はまだか」
これこれ。
とくに昔の女代表、祖母の「子供は産まなアカン」攻撃が凄まじく、辟易していました。
この問題で一番困った存在なのは、たいてい親族です。何気ない言葉でも、矢になって突き刺さります。
親戚の集まりも苦痛で、できるだけ避けるようになっていき、余計「自由を奪う子供はいらん」と頑なに。
その時期は旦那にも「子供はいらん」とハッキリ伝えていたぐらいです。
だって、夫婦だけで充分幸せだったし。

満たされている、と思っていました。

そんな考えが少し変わるキッカケになったのは、姉の出産でした。
アメリカから一時帰国してきた生後数か月の甥っ子にご対面。
はじめて身近で見る血のつながった赤ちゃん。
いえ、その時もどう扱ったらいいかわからず、一度も抱っこせず遠くから見ているだけだったと思います。
それが次の年に帰国してきたときだったかな、姉と1~2歳の甥っ子が数日わが家に泊まることに。
もうバタバタ大騒ぎで、子どもを中心に何事も進む現実を見て、
「こりゃー想像以上に大変や、やっぱり子供はいらんなぁ」
とグッタリしたんですが、姉家族がアメリカに帰った夜、シン…と急に静かになった町家。
いつもの静かな空間。

ふーやれやれ、という安堵感以上に、心にぽっかりあいた寂しさ、いや、切なさ?
こんな気持ちははじめてでした。
旦那もしょんぼりしてしまいました。
小さなぽよぽよの怪獣は、私たちにとってものすごい存在感だったようです。



年齢的にも子ども、そろそろ考えるときかなぁ…、積極的にではないけど自然にできたらいいかぁと
考えるようになって数年、
「あれ?あれあれ?私なんで子供できひんのや?」
いきなり気が付いたのです。

まさか。
いや、そんなハズはない。
いやでも…。

もしかして私、不妊症


つづく
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待つ・見守る

2013-01-25 | 日常
ショッピングモールの子どもが遊ぶスペースにて。

後ろで見守るオカーサンたちをよく見ますが、今日は私もその風景に仲間入りです。

私の手助けナシで、よいしょよいしょと階段を上って、滑り台の一番上で反対向き、
慎重にお尻からスルスル滑る小文太。
生まれてたった一年なのに、ちゃんと考えて行動している。
すごいなぁ、成長してるんだなぁ。


そんな小文太を、ただひたすら待つ、見守る。
子育てってこういうことなんだなぁ。
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お下がり人生

2013-01-24 | 日常
ぶらりと寄った雑貨屋さんで、旦那このカバンを買う。

そして、このカバンの前に使っていたスーホルムカフェバッグを私がもらう。
やったー!
…じゃ、な・く・て!
お古じゃなくて新品買ってくれーっっっ!
妹だから、ずっとお下がり人生だったけど、夫婦間でもそうだなんて。(旦那は長男)
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ベイクドチーズケーキ

2013-01-23 | 日常
小文太がお昼寝したので、バババッとベイクドチーズケーキを焼きました。
混ぜるだけだから楽ちん♪よそ見してて、ちょっと焼きすぎちゃったけど…ははは。

クリームチーズについてたレシピを参考につくったんだけど、もう少しクリームチーズ多めで
卵少な目の方が好きだったかも。
砂糖少なくして、生クリームはカロリーオフのだったから結構サッパリしたお味でした。

残った生クリーム(砂糖ナシ)にイチゴジャムを添えて、三時のおやつ。
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ポリオ三回目

2013-01-22 | 日常
小文太、ポリオ三回目でした。
これで一歳前後までに受ける予防接種終わったーと思っていたけど、年末のこともあるし(私の帯状庖疹)
「みずぼうそう(水痘)」と「おたふくかぜは」受けておこうかなぁと思います。
任意だからちょっと高いけど、二月の児童手当からいただいて。大切なお金、こういうことに使わなきゃ。

あ、年末年始のドタバタで、すっかり忘れていた一歳健診も行かねば!


最近の小文太は登ったり下りたりすることが楽しいようで…テレビみえませーん。

そしてかたいおもちゃでテレビを叩くから、液晶画面に何本も線が入っております。
…はぁ。
小文太にある程度「良い・悪い」がわかるまでは、いい家電や家具が買えないなぁ。
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男の後姿

2013-01-21 | 日常
後姿の立ち方も、なんだかしっかりしてきました。

「赤ちゃん」っぽさが抜けてきて、かーちゃんうれしさみしいよ!
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クレーンゲーム

2013-01-20 | 日常
「小文太にアンパンマン取ってやる!」
と旦那がやる気満々で言いました。
う~ん、キャラクターもの、あんまり家に持ち込まないで…と思いながら、好きにさせておりました。
お金を入れて、スイッチを押す。
「よし!よし!…あれ?」
アンパンマン、取れず。

旦那はいつもやたらとクレーンゲームに自信を持っていて、昔はいっぱい取ったそうですが、
私の前では一度も成功したことありません。だから好きにさせておいたのです。
ふふふ…未熟者めが!
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掘りごたつ探検

2013-01-19 | 日常
最近、掘りごたつに入って探検したりテレビをみるのがお気に入りの小文太。


やっぱりたあたたかくて快適なのかな。

でも危険なので、入っている間は目が離せません。
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コストコ一月の会

2013-01-16 | 日常
Yさんとコストコへ。
京都と大阪の府境にあるのですが、今回は高速でバビューン☆と走ったら一瞬で着いた!
12時頃着いて、二人でキャッキャと試食や買い物し、ハッと気づけばもう二時近い!!
まだ一時間ぐらいしか経ってないと思っていたのに、楽しいことは一瞬ですね。
レジ待ちの図。

Yさん爆買い!

また高速乗ってバビューン☆とわが家へ帰り、恒例の肉・パンなど分け分け。
この間Yさんはレシートと格闘し、電卓で各家庭の値段を出します。

今回もでかでかピザ(1200円)を買いました。
でかすぎて置く場所がなく三口コンロの上で切りましたが、コンロがまんま隠れるぐらいの大きさです。
ナイフじゃないよ、普通サイズの包丁よ。

これを12等分ぐらいにして冷凍庫へ!軽く一か月はピザを楽しめます。

そうそう、Yさんが小文太にプレゼントしてくださった、おもちゃのパソコンです!

パソコン触りたがって困る、実際触られて年末ぶっ壊れたことを知ってのおもちゃセレクト。
その気遣いがなんとも嬉しいのです。有難うございました!
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離乳食

2013-01-14 | 日常
離乳食です。いや、もうほぼ大人ご飯。


・わかめごはん(おかゆ)
・肉じゃが
・白和え
・切り干し大根

椅子で食べるなんて、はじめの2~3さじぐらいですよ。
椅子から出せ出せと騒ぎ、うろうろ動き(遊び)ながら、ぺろりと完食されました。
小文太、まーとにかくよぉ食べます。
大好物はヨーグルトなどの乳製品とバナナ。
今まで「うえ…」と口から出したのは納豆と肉団子だけです。

ちゃんと手作りしているように見えますが、市販のベビーフードもめちゃくちゃ使います。
毎食手作りは無ー理ー!
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真冬のドッグラン!

2013-01-13 | 
あまり寒く感じなかったので、久々に高尾のドッグランへ行きましたー!
それでも一月の山だし、かなり防寒して行きましたが、山もそんなに寒くなかった。

まずはみんなお尻クンクンでご挨拶!


おじいちゃんみたいな風貌(ミニチュア・シュナウザー)に興味深々の小梅。

服を着せているのは防寒というより他の犬のヨダレよけです。

こちらは親バカ旦那がビデオ撮影中。


小文太も二度目のドックランにご機嫌でパチパチパチ~☆


みんなと遊びながらも、なんとなく私たちの近くにいる文太と小梅が愛おしい。
呼んだらすぐに飛んできますよ。とくに小梅は。


小文太もよちよちグルグルと、ずっとつたい歩きしてました。


次に来る頃は歩いてるんだろうなぁ。


旦那がみんなに焼き芋を食べさせているときの文太と小梅が可愛かった。


普段はわかりにくいと思いますが、こんなに大きさが違います。


遊び疲れて、帰り道は文太・小梅・小文太爆眠!
みんな、楽しかったね~♪
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