浅井久仁臣 『今日の中東』

1971年のパレスチナ初取材から、30有余年中近東を見続けてきたジャーナリストが独自の視点をお届けします。

“誤爆”の責任者

2006年07月28日 | Weblog
 イスラエル空軍機からの国連停戦監視所への“誤爆”は、イスラエルの「凶暴な顔」を世界に見せ付けたというだけでなく、米国のイスラエルに対する溺愛ぶりを強く印象付けた。

 アメリカは27日、国連安保理議長に対して中国が求めた、対イスラエル非難声明を「表現が不適切」だとして強硬に反対、協議そのものを暗礁に乗り上げさせてしまった。

 今回の攻撃は、アメリカ寄りのアナン事務総長でさえ、「イスラエルの攻撃は意図的であった」と言うほど、言い訳のしようのないものだ。国連によれば、イスラエル軍は「誤爆」の前、約6時間にわたって監視所周辺を砲撃していたという。それに対して国連側は厳しく警告していたとのことだ。それでも空から爆弾を落とす行為を、殺人と言わずして、他に言い様があるだろうか。現場映像を見ると、監視所は丘の上にポツンと置かれており、空軍機がヒズボッラーの拠点と見間違うということはありえない。そして、使われたのがレイザー誘導装置付きの爆弾であったというのだから呆れてものが言えないというのはまさにこのことだ。

 イスラエルは、それではなぜ、世界を敵に回すような、爆撃を行なったのか。穿った見方と言われようが、私は、イスラエルが国連を筆頭とする国際的な関与を嫌って、このような卑劣な手法で、国際社会にみせしめをしたのだと思う。イスラエルよりの人たちは、そんなことはありえない、と口を揃えて抗議されるだろうが、イスラエルにはこれまでそれを裏付ける「血の歴史」がある。

 10年前の「カナの悲劇」を思い出した。カナとはレバノン南部にあるイスラーム教シーア派の聖地の一つだ。カナには、その日も多くの巡礼者が訪れていた。

 カナ周辺にイスラエル側から砲撃が加えられた。逃げ惑う巡礼者や地元住民は国連施設なら比較的安全と、カナの停戦監視所に逃げ込んだ。その数、約800人であった。

 しかし、そこも安全ではなかった。監視所にイスラエル軍から砲撃が加えられたのだ。砲弾が落ち、100人を超える民間人が命を落とし、数百人が負傷した。監視所に詰めるフィジー兵も4人負傷した。

 一報を聞きつけ、当時のガリ事務総長は直ちに調査団を現地に派遣した。そして、イスラエルに対して厳しい表現で非難を浴びせ、イスラエル政府から「二度とこのようなことが起きないよう最善の努力をする」との約束を引き出した。だが、そのガリ氏はこの年、事務総長再選を米国に阻まれた。米国の拒否権発動は、この件が直接のきっかけではなかったとされているが、いずれにしてもその一因であったことは間違いない。

  その時のイスラエルの首相が、今副首相を務めるシモン・ペレス氏であったことも指摘しておかねばならない。ペレス氏は外相時代、PLOとの和平にこぎ着け、ラビン首相、アラファト議長と共にノーベル平和賞を受賞した人物だ。国連は今回の「誤爆」に対して、10年前首班を務めていたペレス氏にきちんとした「落とし前」を取らせるべきだ。だが、今のところ、そのような声は国連事務総長室周辺からは聞こえてこない。

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