ART LINK 2006 teppei × hiromichi

アートリンクプロジェクト2006 「テッちゃん」と「ひろみち」のブログです。

久々のアートリンク

2006-03-27 23:02:06 | Weblog
約1月ぶりのアートリンク。いつもは太陽の家でやっていたんだけど、今回はすろおがの2階の部屋でやった。前回までのことからテッちゃんは終わりが見えていることがいいらしいので、今回はシンプルに名画の模写をやった。何をするかや、完成もわかりやすいので、絶対飛びついてくると思いきや、意外とたんたんと描き始めた。以前は細かく、測ったりしながら描いていたのに全然その気配もない、細かい箇所等はほとんど省略。うーん、これは失敗かも。何か彼の中のスイッチがオンにならない。1回目は風景、2回目は人物、あまり進展がなかった。3回目の模写でクリムトの作品を描いたとき、てっちゃんは模写のモチーフに飽きたのか、隣で描いている僕の線を追って描きだした。しかも目が真剣で、一生懸命、線の動きを見ている。やっと来た!と感じた。僕がクリムトの作品を見て模写をして、てっちゃんはクリムトの模写をしている僕の作品の模写をしているというなんだか不思議な三角関係が生まれた。途中から模写から離れてみようと思い、僕自身のアドリブの線で描き始めたところ、一生懸命ついてきている。完全にてっちゃんにロックオンされてしまった。でも、これはなかなかいい。よく考えると、てっちゃんは会話の中でよくオウム返しに返事をする。「楽しい?」といえば「楽しい」、「楽しくない?」と聞けば「楽しくない」と応える。この線のやりとりも画面上でオウム返しに描いていると捉えられなくはない。言葉での会話と描く中での会話に共通点が見出せる。これは何かあるかもと期待してしまう。

会話が美術

2006-03-14 18:52:45 | Weblog
いろんなことを考えて、共同制作をして実践をして、という形を何度か繰り返しているうちに、「共同制作自体が僕たちにとって会話ではないのか」とふと思い始めた。言葉の会話は難しいのであるが、その分、制作を通してやってきているんじゃあないかと
感じるようになった。最初はぎこちない会話から始まり、だんだんと好きなもの、嫌いなものが見えてきて、相手の心情なども考慮するようになっている。前回の記事に「認識」する事で美術となり得ると書いたが、僕たちにとっては「会話=制作=コミュニケーション=美術」であることがわかった。そうなれば、「会話=美術」ともなり得る。これまでに描きためた作品は良かろうがわるかろうが、「会話の一部」である。これらを全部使って「会話の記録」を「作品」としていこうと思う。やっと一筋の光が見えてきた。でもこれからがアーティストとしての力量が問われるところなので気は抜けない。

前回のテッちゃんの作品

2006-03-14 18:31:09 | Weblog
前回のアートリンクプロジェクトでテッちゃんは、アーティストの人との共同制作でとてつもなく凄い作品を作り出した。タブローとしてのクオリティは彼らのペアが一番良かったように思う。前回の記事で「安易な共同制作で終わるのはいけない」と書いたが、そういった意味では彼らの作品は「徹底した共同制作」であったと思われる。前回のような凄い作品がどのようにして生まれたのか?というのも僕自身としても、とても興味を引かれるものでもあった。そして、その片鱗は今年最初の共同制作の中で見る事ができた。「ああ、これが前回の作品を生んだ方法か、これを徹底的にやれば確かにああいった作品にはなるな」と感じた。
  ただ、それを知ってしまうと、前回のペアだったアーティストのある言葉を思い出す。ここではあえて言わないがその意味が
実感として湧いた。だからといって前回の作品は作品として「成功」していることには変わりは無い。前回は前回で彼らは最高の答えを出したと言える。ただし、答えは一つではない。よって成功の方法も一つではないのだ。

二人の関係を分析

2006-03-14 17:57:27 | Weblog
てっちゃんは言葉で相手とコミュニケーションをするのが苦手である。それが自閉症の特徴でもある。前回のアートリンクプロジェクトの僕の相手はダウン症の子だった。ダウン症はコミュニケーションはきちんとできる。しかも、大概の子は陽気である。その分、コミュニケーションに対してのストレスは無かったので、それほど気にしなかったのだが、今回は多いにその難しさを実感している。もちろん、「いっしょに絵を描こう、今日はこれを描こう」と言えば、その通りにしてくれる。でも何かしっくりとこない。毎回、内容を変えているのだが、一度だけテッちゃんのテンションが上がった。それは絵本の絵を描いている途中、モチーフは描き終わって、あとは真っ青な空を塗るだけという時、空を塗り始めたら、テッちゃんは雄叫びをあげて鼻歌を歌いながら塗り出した。それは明らかに「楽しそう」だった。
  絵を描き終わると、テッちゃんはあとはもう帰るだけ、少しお母さんと3人で団欒しておしまい。そのときのテッちゃんはいつもきょとんとしている。ふだんのテッちゃんに質問を投げかけたり、話しかけたりしても、ほとんど会話にはならない。
なにか、決められたことがあって、それに無心に向かうことが好きな様子。そう考えると会話としてのコミュニケーションは次に何を言われるのか、言わなければならないのかを考えなければいけないので、苦手なのもよくわかる。

アートリンクの難しさ

2006-03-14 17:29:37 | Weblog
しばらく悩んでました。アートリンクって本当に難しい。。。まずは、「何をもってアートリンクとするのか?」というところ。単純に「一緒に絵を書きました」「二人で画面を共同制作しました。」では絶対にいけないと思う。重要なのは「作品が生まれる背景に何があるのか、あったのか」を伝えないといけない。それは完全にアーティスト側の「責任」「力量」になってくる。
 これは持論だが、障害者の描いた作品がアウトサイダーと言われる理由の一つとして、「表現をしている自覚が無い」という所にあると思う。彼らの絵は本当にすばらしい。しかし、それは「美術的な目」を持った人からの意見であり、本人や周りの人たちはその「すばらしさ」には、気づかない。美術は「認識」することで美術となる。「認識」さえすれば、何でも美術となり得る。

 そう考えるとアートリンクは「認識」をすることから始まる。一緒に絵を描くとか、共同制作とか安易な方向に走るのではなく、半年間築いてきた関係をもう一度振り返る必要があると感じた。まずはそこから始めよう!!