ART LINK 2006 teppei × hiromichi

アートリンクプロジェクト2006 「テッちゃん」と「ひろみち」のブログです。

もう一つの会場風景

2006-05-31 15:58:44 | Weblog
もうひとつの会場がこんな感じです。違いがわかればその人は凄いです。いままでどっちがどっちと明確にわかった人はいません。

アートリンクプロジェクト開催中!!

2006-05-31 15:53:39 | Weblog
しばらく、間が空いていました。なんとか作品が形になりました。現在好評開催中です。思い描いた事を形にするのにいろいろと
試行錯誤はあったが、なんとかできた。来場者も僕とてっちゃんの部屋を何度も行き来して、どっちがどっち?と考えながら楽しんでくれてるようで、なんとか自分の見せたいことが伝わっているみたいだ。展覧会全体の内容も前回よりも質が上がっているというか、考える内容が変化してきているようにも思った。現在NHKがアートリンクのドキュメンタリー番組を制作していて、そこで、アートリンクプロジェクトの全体の視点が明らかになりそうな気がする。

作品プラン完成!!!

2006-04-19 15:07:24 | Weblog
前回のお花見の時の作品で、やっと本番に出品する作品の形態が決まった!展示内容は「全く同じ部屋を2つ作る」こと。すろおがの2階には使われていないアパートが4部屋ある。すべて間取りは一緒で左右対称。その2部屋を使って全く一緒の部屋を2部屋つくる。ゴミ箱の中のゴミまで一緒。これが今回のアートリンクで切り取った「2人の関係の性質」である。これはテッちゃんとの会話のオウム返しと人の作品を見ながら自分の作品をつくる彼のやり方からヒントを得た。前回でも書いたかもしれないが、障害者の芸術がアウトサイダーと呼ばれる理由に「表現する」ということを「認識」していないからだと僕は考えている。アーティストは「自身の表現」というものにすごく執着する生き物だ。これは決定的な違いである。テッちゃんが人の真似をして描くのは彼自身、絵を描く事が「自分を表現するもの」と「認識」していないからだ。そこには彼の世界観やイメージというものは無い。ただ、画面上に引いた線が、とてつもなく、存在感のある線、「ただそれだけ」なのである。だから彼らのことを「純粋芸術」と呼ぶ人たちいるのだ。今まで僕は彼の世界観を探ろうと試行錯誤していた。それが、失敗の原因だった。しかし、この世の無数のアーティストが「ただそれだけ」になるために必死になって作り続けている。なんとも皮肉なものだ。そんなことを考えながら着々と準備を進める。

アートリンクお花見会

2006-04-19 14:36:25 | Weblog
先日、アートリンクの皆でお花見をしようという話になって、集まったが、最近は雨続き。やっぱりその日も雨だった。
雨だと、まーぶるの森で宴会をするという予定だったので、まーぶるの森に急いだ。でも、やっぱり中は殺風景でお花見という感じじゃあ無い。なんとかならないかなあということで、僕とテッちゃんとで桜をテーマにした絵を描いた。やり方は、前回の最後のほうで完成した「僕の真似をしながら、テッちゃんが描く」方法。描き始めると、あっと言う間にできてしまう。しかも、僕が主導権を握って描くつもりが、いつの間にかテッちゃんのほうが先に描き始めている。なので僕が急いでテッちゃんの真似をして描く。主導権はその時の空気で入れ替わる。新しい発見だった。いままでのテッちゃんとはひと味違っていた。壁に貼られている作品は全部2人で描いたものです。

久々のアートリンク

2006-03-27 23:02:06 | Weblog
約1月ぶりのアートリンク。いつもは太陽の家でやっていたんだけど、今回はすろおがの2階の部屋でやった。前回までのことからテッちゃんは終わりが見えていることがいいらしいので、今回はシンプルに名画の模写をやった。何をするかや、完成もわかりやすいので、絶対飛びついてくると思いきや、意外とたんたんと描き始めた。以前は細かく、測ったりしながら描いていたのに全然その気配もない、細かい箇所等はほとんど省略。うーん、これは失敗かも。何か彼の中のスイッチがオンにならない。1回目は風景、2回目は人物、あまり進展がなかった。3回目の模写でクリムトの作品を描いたとき、てっちゃんは模写のモチーフに飽きたのか、隣で描いている僕の線を追って描きだした。しかも目が真剣で、一生懸命、線の動きを見ている。やっと来た!と感じた。僕がクリムトの作品を見て模写をして、てっちゃんはクリムトの模写をしている僕の作品の模写をしているというなんだか不思議な三角関係が生まれた。途中から模写から離れてみようと思い、僕自身のアドリブの線で描き始めたところ、一生懸命ついてきている。完全にてっちゃんにロックオンされてしまった。でも、これはなかなかいい。よく考えると、てっちゃんは会話の中でよくオウム返しに返事をする。「楽しい?」といえば「楽しい」、「楽しくない?」と聞けば「楽しくない」と応える。この線のやりとりも画面上でオウム返しに描いていると捉えられなくはない。言葉での会話と描く中での会話に共通点が見出せる。これは何かあるかもと期待してしまう。

会話が美術

2006-03-14 18:52:45 | Weblog
いろんなことを考えて、共同制作をして実践をして、という形を何度か繰り返しているうちに、「共同制作自体が僕たちにとって会話ではないのか」とふと思い始めた。言葉の会話は難しいのであるが、その分、制作を通してやってきているんじゃあないかと
感じるようになった。最初はぎこちない会話から始まり、だんだんと好きなもの、嫌いなものが見えてきて、相手の心情なども考慮するようになっている。前回の記事に「認識」する事で美術となり得ると書いたが、僕たちにとっては「会話=制作=コミュニケーション=美術」であることがわかった。そうなれば、「会話=美術」ともなり得る。これまでに描きためた作品は良かろうがわるかろうが、「会話の一部」である。これらを全部使って「会話の記録」を「作品」としていこうと思う。やっと一筋の光が見えてきた。でもこれからがアーティストとしての力量が問われるところなので気は抜けない。

前回のテッちゃんの作品

2006-03-14 18:31:09 | Weblog
前回のアートリンクプロジェクトでテッちゃんは、アーティストの人との共同制作でとてつもなく凄い作品を作り出した。タブローとしてのクオリティは彼らのペアが一番良かったように思う。前回の記事で「安易な共同制作で終わるのはいけない」と書いたが、そういった意味では彼らの作品は「徹底した共同制作」であったと思われる。前回のような凄い作品がどのようにして生まれたのか?というのも僕自身としても、とても興味を引かれるものでもあった。そして、その片鱗は今年最初の共同制作の中で見る事ができた。「ああ、これが前回の作品を生んだ方法か、これを徹底的にやれば確かにああいった作品にはなるな」と感じた。
  ただ、それを知ってしまうと、前回のペアだったアーティストのある言葉を思い出す。ここではあえて言わないがその意味が
実感として湧いた。だからといって前回の作品は作品として「成功」していることには変わりは無い。前回は前回で彼らは最高の答えを出したと言える。ただし、答えは一つではない。よって成功の方法も一つではないのだ。

二人の関係を分析

2006-03-14 17:57:27 | Weblog
てっちゃんは言葉で相手とコミュニケーションをするのが苦手である。それが自閉症の特徴でもある。前回のアートリンクプロジェクトの僕の相手はダウン症の子だった。ダウン症はコミュニケーションはきちんとできる。しかも、大概の子は陽気である。その分、コミュニケーションに対してのストレスは無かったので、それほど気にしなかったのだが、今回は多いにその難しさを実感している。もちろん、「いっしょに絵を描こう、今日はこれを描こう」と言えば、その通りにしてくれる。でも何かしっくりとこない。毎回、内容を変えているのだが、一度だけテッちゃんのテンションが上がった。それは絵本の絵を描いている途中、モチーフは描き終わって、あとは真っ青な空を塗るだけという時、空を塗り始めたら、テッちゃんは雄叫びをあげて鼻歌を歌いながら塗り出した。それは明らかに「楽しそう」だった。
  絵を描き終わると、テッちゃんはあとはもう帰るだけ、少しお母さんと3人で団欒しておしまい。そのときのテッちゃんはいつもきょとんとしている。ふだんのテッちゃんに質問を投げかけたり、話しかけたりしても、ほとんど会話にはならない。
なにか、決められたことがあって、それに無心に向かうことが好きな様子。そう考えると会話としてのコミュニケーションは次に何を言われるのか、言わなければならないのかを考えなければいけないので、苦手なのもよくわかる。

アートリンクの難しさ

2006-03-14 17:29:37 | Weblog
しばらく悩んでました。アートリンクって本当に難しい。。。まずは、「何をもってアートリンクとするのか?」というところ。単純に「一緒に絵を書きました」「二人で画面を共同制作しました。」では絶対にいけないと思う。重要なのは「作品が生まれる背景に何があるのか、あったのか」を伝えないといけない。それは完全にアーティスト側の「責任」「力量」になってくる。
 これは持論だが、障害者の描いた作品がアウトサイダーと言われる理由の一つとして、「表現をしている自覚が無い」という所にあると思う。彼らの絵は本当にすばらしい。しかし、それは「美術的な目」を持った人からの意見であり、本人や周りの人たちはその「すばらしさ」には、気づかない。美術は「認識」することで美術となる。「認識」さえすれば、何でも美術となり得る。

 そう考えるとアートリンクは「認識」をすることから始まる。一緒に絵を描くとか、共同制作とか安易な方向に走るのではなく、半年間築いてきた関係をもう一度振り返る必要があると感じた。まずはそこから始めよう!!

アートリンクプロジェクト中間報告会

2006-01-29 11:14:28 | Weblog
今日は、ギャラリーホワイトキャンバスでアートリンクプロジェクトの参加メンバーとその関係者の中間報告会、兼交流会があった。ここでみんな、どんな人が参加しているのかを初めて知る事になった。僕は前回も参加しているし、この企画のアーティストディレクションにも関わっているから、だいたいわかるんだけど、初めての人たちはこんなに関わっているんだとびっくりしたようだった。でも、全体の雰囲気が伝わると、ヴィジョンが見えてくるし、他の人と情報交換などして、自分たちの活動に参考にできるから、とても良かったんじゃあないかな、と思った。案の定、みんな進行の仕方は様々だし、方法も全く違う。なんだか隣の芝が青く見えるようなそんな感じがした。よおうし、もっとがんばらねば!と気合いが入りました。最後のほうで、あるアーティストの意見から非常に濃い内容のトークに発展。そういった事があるからこそ、このイベントの価値があるというようなことを実感させられた感じがした。テッちゃん一緒にがんばっていこうね!