Olivo Barbieri site specific_New York 07
イタリアのファイン・フォトグラファー、オリボ・バルビエリは日本ではひょんな事から3、4年前話題になりました。それは写真家・本城直季氏のミニチュア風写真が話題になったことで、元祖ミニチュア風写真家として取り上げられたからです。日本国内にはそれほど彼の写真集は出回っていなかったため、今年56歳になるオリボ氏が一部で俄然脚光を浴びることになりました。またグローバルな観光ツーリズムをテーマとした写真集も出て、なにやら新進気鋭の写真家のごとくに紹介されていますが、もともと1990年代半ば頃からでしょうか(ベニス・ビエンナーレに1993.95.97と出品)、ミニチュア・スティル・フォトグラファーの革新的テクニックをクリエイトした写真家として認識されていました。さて、それはともかく上の動画でも分かるように、単にそのテクニックを発表・展示する写真ではないことがすぐ見てとれます。このニューヨークでの展覧会は、大都会ニューヨークの都市環境(都市建築物)の意味を探るための方法として用いられているようです。パノラミックなアングルで知られるアンドレアス・グルスキーほどの強さはありませんが、グルスキーの写真をイメージしてしまう写真もなかにあります。都市の文明を考察するような入口として機能するような写真もあります。ゆえにミニチュア・テクニックを要しない地上でのイメージ映像が併置されたり、一人の人間にフォーカスし併置する作品がみられるわけです。よってテクニック以外の部分は、本城氏とは大きく異なることがよく分かります。本城氏の写真はその写真集のタイトル「スモール・プラネット」によくあらわれているように、日本文化が得意分野としてきた縮小されたものへのこだわり、そこにいとおしさや愛らしさ(カワイイも含む)を十全に感受しえる情感に届くような写真であります。その意味で、本城氏の写真も、オリボ氏と同じようにその国の文化や所属する文明の内で表現され、かつ評価もされているわけです。ただオリボ氏は、写真メディアを利用したアーチストでも
あるので、自身のテクニックをもう一度組み直して展開していっているようです。しかし最近の国内の写真を見るにつけ、どうも日本は再び孤島(いわゆるガラパゴス現象)になりかけてるんじゃないかと多少危惧するばかりです。もっともその方が、新たな「大江戸文化」が花開くかもしれませんが...
イタリアのファイン・フォトグラファー、オリボ・バルビエリは日本ではひょんな事から3、4年前話題になりました。それは写真家・本城直季氏のミニチュア風写真が話題になったことで、元祖ミニチュア風写真家として取り上げられたからです。日本国内にはそれほど彼の写真集は出回っていなかったため、今年56歳になるオリボ氏が一部で俄然脚光を浴びることになりました。またグローバルな観光ツーリズムをテーマとした写真集も出て、なにやら新進気鋭の写真家のごとくに紹介されていますが、もともと1990年代半ば頃からでしょうか(ベニス・ビエンナーレに1993.95.97と出品)、ミニチュア・スティル・フォトグラファーの革新的テクニックをクリエイトした写真家として認識されていました。さて、それはともかく上の動画でも分かるように、単にそのテクニックを発表・展示する写真ではないことがすぐ見てとれます。このニューヨークでの展覧会は、大都会ニューヨークの都市環境(都市建築物)の意味を探るための方法として用いられているようです。パノラミックなアングルで知られるアンドレアス・グルスキーほどの強さはありませんが、グルスキーの写真をイメージしてしまう写真もなかにあります。都市の文明を考察するような入口として機能するような写真もあります。ゆえにミニチュア・テクニックを要しない地上でのイメージ映像が併置されたり、一人の人間にフォーカスし併置する作品がみられるわけです。よってテクニック以外の部分は、本城氏とは大きく異なることがよく分かります。本城氏の写真はその写真集のタイトル「スモール・プラネット」によくあらわれているように、日本文化が得意分野としてきた縮小されたものへのこだわり、そこにいとおしさや愛らしさ(カワイイも含む)を十全に感受しえる情感に届くような写真であります。その意味で、本城氏の写真も、オリボ氏と同じようにその国の文化や所属する文明の内で表現され、かつ評価もされているわけです。ただオリボ氏は、写真メディアを利用したアーチストでも
あるので、自身のテクニックをもう一度組み直して展開していっているようです。しかし最近の国内の写真を見るにつけ、どうも日本は再び孤島(いわゆるガラパゴス現象)になりかけてるんじゃないかと多少危惧するばかりです。もっともその方が、新たな「大江戸文化」が花開くかもしれませんが...