有田芳生の『酔醒漫録』

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「むきだしの暴力」による無効採決

2015-09-20 13:44:51 | 日記
 【15年安保闘争の記録 1】

 騒乱のなかから抜け出すと、そこには黒灰色の物体が残っていた。怪しげな姿態だ。それはむしゃむしゃと何物かをむさぼっている正体不明の甲殻動物のようでもあった。もぞもぞと動いている。とっさにカフカの「変身」が浮かんだ。「どうしたのかな、おれは、と彼は思った。夢ではなかった」。ある朝青年ザ厶ザが目覚めると、自分がバカでかい毒虫に変わっていることに気づいた、というあの小説である。ここまで生きてきて、かくも奇妙で愚劣なモノを見せられるとは思わなかった。不気味でもある。よく観察すれば触覚のようなモノが、どこまでも暝い穴のなかに向って灯を発している。その物体の中をついさきほどまでのぞいていた。見てはならないものを見てしまったのだ。

 穴のなかには小柄な男がいた。その背中に溶け込んでいるかのように密着しているのは剣道6段で宗教を精神的支柱とする大男だった。くしゃくしゃになった紙片の束を小柄な男が手にしている。そのうち左手上方からオレンジ色をした小型懐中電灯が細い光を発して紙片を照らしだした。うめきもおののきもない。音がない。暝い穴のなかにあるのは人間疎外と孤独だった。ここにいてはならない。そう思い物体から離れた。音が戻ってきた。多くの人間が叫んでいる。バネが壊れたブリキ人形のように、ひょこひょこと立ったり座ったりしている人間がいる。どうもぎこちない。能面のように表情がない。さっきまでいた物体から合図があると自動的に動いている。まるでモグラたたきゲームのようだ。立ったり、座ったり。何ともせわしない。

 さっきまで物体のすぐ近くにいたのは「内閣総理大臣」とこの国で呼ばれる男だった。いつの間にか姿を消している。挙措がコソコソなのか、颯爽なのかも見ることができなかった。ましてや内心のざわめきが怯えなのかどうかも知る由はない。おそらく遁走したのだろう。その前に見た顔貌は、眼の周囲が赤味を帯びて膨らんでいた。眼をつむっては薄目を開ける。その繰り返しだ。どこまでも落ち着きがない。最後まで残って物体のなかで何が蠢いてるかを見たかったのだろうか。計画は知らされていただろう。しかし怪しげな物体が誕生するとまでは通知されていないはずだ。ひょこひょこと立ったり、座ったりの機械人形が、歓声をあげた。うれしそうかというとそうでもない。報道機関出身で黒塗り車を愛用する小男は、どんぐりのまなこを見開いて罵声を発しつつ、そそくさと出口に急いでいる。小毒虫だ。

 物体を動かす卑劣な司令塔たちは、抗議者たちの厳しい叱声から視線を逸らしていた。「行けー!」と暴力命令を発した男も視線を逸らすだけだ。なべてみんな眼が泳いでいる。いつしか物体は溶けている。崩壊し、ばらけた。なかにいた小男は大男たちに囲まれて、そそくさと引きずられるように姿を隠した。残骸があちこちに散らばっていた。卑劣と屈辱と、何よりも人間としての恥である。もしも恥と自覚していたならばである。それも覚束ない。ーーこれが2015年9月17日夕刻に参議院安全保障特別委員会で起きた「むきだしの暴力」である。参議院記録部の公式記録にはこうある。「議場騒然、聴取不能」。

 物体からばらけた男たちはいま何を思っているだろうか。誇らしげなのだろうか、それとも恥の欠片ぐらい生じただろうか。スポーツ選手だった男は「ああ、気持ちよかった」と口にしていた。そこには恥の欠片さえなかった。「自分が他人から物と見なされる経験をしたものは、自分の人間性が破壊されるのだ」(プリーモ・レーヴィー)。アウシュビッツの極限から生還した作家の言でいえば、参議院で物体となってしまった男たちは、人間性がどこかで破壊されてしまったはずだ。「鉛のように無神経なもの」(武田泰淳、「審判」)を無理やりか率先して呑み込んだからだ。国家権力の本質は暴力である。そのシステムの小さな駒として物体と化すことを命じられ、拝跪した男たちに真の人間的回復はあるのだろうか。わたしの人間観はわずかな時間で大きく変更を余儀なくされた。

 2015年の安保闘争は、1960年や1970年のそれとは異なる様相を呈した。そこにいたひとりの抗議者として、印象に残ったことどもを随時記録しておきたい。現代史の記録として次はSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)について記す。(2015/9/20)

 

時代の先端に押し出されたSEALDs(シールズ)の歴史的意味

2015-09-05 10:43:19 | 日記
 
     時代の先端に押し出されたSEALDs(シールズ)の歴史的意味

                   有田芳生(参議院議員)

 SEALDs(シールズ:Students Emergency Action for Liberal Democracy/自由と民主主義のための学生緊急行動)が話題になっている。ところがその実態をよく知らず、あるいは知ろうとせずさまざまな憶測が流されている。意図的で歪められた内容の報道やツイッターの書き込みもある。たとえばSEALDsを背後で動かしている組織があるなどという報道は、悪意ある典型だ。「調査なくして発言権なし」。評価は自由だが、まず基礎的知識として事実から出発することだ。

 この団体は2015年5月3日に行動をはじめた。もともと政治に関わりのなかった大学生が中心となり、高校生もふくめ、10代後半から20代前半の有志のメンバーによって結成された。SEALDsには、いまでは関東に約180人、関西に約150人、東北に30人、沖縄に20人が所属している。関東のSEALDsに代表はいないが、広報、映像、会計、デモなど15ほどの班があり、責任者を「副司令官」と呼んでいる。「人民こそが司令官」だとするメキシコのサバティスタ民族解放軍の影響だという。このメンバーがSNSを通じて集会を呼びかけると、少なくとも数千人の人たちが集まるようになった。

わたしは何人かの中心メンバーに話を聞いた。これまで政治に関わったことはあるかという問いに、24歳の女子学生はこう語った。「人生で最初の経験です」。さらにご両親はと聞くと「父も母も政治には関わってきませんでした」という。同席した男子学生もうなずいた。メンバーの中心に、ヘイトスピーチ(差別の煽動)に抗議する現場でみた顔もあった。それとてことさらに取り立てて言うことではない。メンバーは千差万別、先天的に政治性をおびていたわけではない。

 公安当局はSEALDsの人脈を調べたという。背後に組織やセクトがいないかーーそれが調査対象だった。結果は「シロ」。しばしばメディアの取材を受けている奥田愛基(23歳)はこう語っている。「僕はツイッターでも書いていますが、民青も共産党も嫌いだし、シールズを立ち上げるときに周辺に革マルや中核がいないかって調べて、そのへんの人たちとは距離を置きましたよ。だって怖くないすか、そういうの」(「週刊文春」9月10日号)。

 SEALDsは、日本の戦後70年間の自由と民主主義の伝統を尊重し、日本国憲法のもつ価値を守りたいという理念を共有している。特定のイシュー(問題、論争点)に特化するのではなく、立憲主義、安全保障、生活保障など、包括的なアクションを目指して活動している。いわゆる「改憲か護憲か」という議論ではなく「立憲主義」という近代国家に不可欠な価値を根拠に、自民党改憲草案や解釈改憲に反対していくという。

 SEALDsの前身団体がSASPL(サスプル:Students Against Secret Protection Law/特定秘密保護法に反対する学生有志の会)だ。彼らは街頭での抗議行動だけでなく、映像や文章による宣伝、イベントや解説サイトの作成などを行ってきた。2014年10月に主催した渋谷のデモでは学生を中心に2000人が集まっている。法施行日前日から抗議の声を上げ合計3000人を越える人たちが集まり、数十年ぶりに大手新聞3社で学生デモが新聞の一面を飾った。以上の基礎的データは、SEALDsが記者会見のために準備した文書とその後の取材による。

 SEALDsは、2015年6月27日に東京・渋谷のハチ公前で集団的自衛権行使の解釈改憲に反対する集会を開いた。わたしは写真家の藤原新也さんたちと現場に行った。藤原さんの関心は、どんな若者がそこに集まってくるかにあった。香港の「雨傘革命」を目撃した藤原さんは、日本での兆候を自分の眼で確認したかったのだろう。8月30日に国会周辺で行われた集会に行った藤原さんによれば、集会参加者でもなく、取材者でもなく、「空気」のような立場で現場に立ち会ったという。渋谷でもそうした視点だったのだろう。

「どうでしたか」と聞くと、「集会の周りを歩いているような若者がもっといるかと思った」という感想が戻ってきた。渋谷集会でマイクを持ち、スピーチをする学生たちには、明らかに知性を感じさせた。就職前の学生もいただろう。彼らは自ら名乗って堂々と、あるいは大きな深呼吸をしてスピーチをしていた。政治家たちに交じって語る彼らを見ていて小さな発見があった。スピーチ内容を紙に書いて手にしていたのはたった一人。みんなスマートフォンを左手に持ち、ときおりそこに眼をやりながら語っている。わたしは院内集会で一度だけスマートフォンを手にスピーチをしてみた。難しいというより、おそらく新しい機器に対する世代感覚と慣れの違いなのだろう。発言内容を事前にメモして語る旧来の方法がずっとやりやすかった。

組合など組織が前面に出たデモや集会では、いまもかつてもこんな光景が日常的だ。「シュプレヒコール!」「おーっ!」「われわれは○○を許さないぞー!」ーーこうしたアピールは、戦前、戦後から変わることなく続いてきた。ところがSEALDsはそうではない。ラップ調のリズム感あふれたかけ声はとても新鮮だ。渋谷で行われた高校生のデモ(8月2日)で、中年女性がそのスタイルを真似していたが、テンポがとても追いつかない。近くで聞いていて御愛嬌だった。SEALDsは戦後の日本で続いてきた社会運動の文化を確実に変えている。

6月24日に参議院議員議員会館でSEALDsが記者会見を開いたとき、入り口でパンフレットを配っていた。そこには細かい文字でなぜ集団的自衛権行使の解釈改憲に反対するのかが、詳細に分析されていた。余談だが記者会見の開始が遅れた。しばらくして中心メンバーが慌ただしく会議室に入ってきた。どうしたのかと問うメンバーに彼は答えたーー「授業だったんだから仕方ないだろ」。SEALDsの象徴的な素顔だ。国会正門前で毎週金曜日の19時半から21時半まで行われている集会の様子を聞いて、ときに過激な発言があることをことさら批判するむきもある。運動とはそういうものだ。問題があれば批判をすればいい。誤解してはならないのは、感情の発露の背後には彼らなりの分析と理論があるということである。

 スローガンやシュプレヒコールは論文ではない。現場の言葉は「なまもの」であって「干物」ではない。ひとの心に届く言葉とは単純にして明解でなければならない。確信ある言葉でなければ届く前に揮発してしまう。SEALDsの多くの学生たちが本気で運動に参加していることは、その様子を観察していればすぐにわかる。国会前の集会でムードを作ってきたのは、SEALDsの持つ時代の流れに沿った勢いなのだ。もちろん戦後の長きにわたって、いまでは中高老年の年齢になった世代の、何十年にもわたる民主主義を実現するための地道な営みがあったことを忘れてはならない。その土壌のなかから新しい社会運動としてのSEALDsが誕生した。意図せずして時代の先端に押し上げられたSEALDsの歴史的意味を、たとえ嫉妬や批判があったにしても、過小評価するべきではない。

2015・8・30。国会正門前でスピーチをしました。

2015-09-01 22:54:50 | 日記
国会正門前で「過剰警備監視」をする国会議員(約20人)として次のようなスピーチをしました。人生ではじめて経験する規模の集会です。
 戦後70年のなかでもっとも歴史的瞬間であるこの日に国会周辺にお集まりのみなさん。お疲れさまです。今日は憲法違反の「安保法制」、すなわち戦争法案に反対する「立憲フォーラム」の呼びかけで20人のほどの議員がこのたすきをかけています。「過剰警備監視」と書かれています。
 じつはこんな経過がありました。安倍政権に反対する人たちがこの国会正門前に集まってくるとき、しばしば過剰な警備が行われ、参加者との間でトラブルが起きてきたのです。たとえば7月24日のことです。「シールズ」の行動に呼応して多くの人たちがこの国会正門前に来るために桜田門の駅で降りました。その人たちが道路を渡たったところで、警察官によって通行をとめられてしまったのです。
 参加者は「通してくれ」と要求しました。警察官は「ダメだ」と繰り返すばかりです。その騒動のなかで逮捕者まで出てしまいました。明らかに過剰警備です。今日もそうですが、現場の警察官は指示されたとおりに行動します。つまり指揮官が柔軟な対応をしないかぎり問題が起きてきたのです。
 この過剰警備に対して弁護士たちが警視庁に改善の申し入れを行ってきました。そして戦争法案の行方がもっとも緊迫する9月を前にして、この国会周辺の10万人集会、そして全国100万人の集会が行われています。この重要な日に過剰警備が行われないようわたしたちは監視を行っています。いまのところ問題は起きていないことをここにご報告いたします。
 みなさん。今朝の「東京新聞」の社説は「デモの民主主義」と書きました。そう、わたしたちが国会周辺で、そして全国で憲法違反の「安保法制」に反対しているのは、民主主義を破壊しようとしている者たちへの強い抗議なのです。これまでにも組織の動員ではなく、自由で独立した個人が続々と声を上げてきました。中学生や高校生、シールズの大学生、そして女性の姿が多いのも大きな特徴です。天下の半分は女性です。女性が動けば社会は変わります。男性も頑張ります。93歳の瀬戸内寂聴さんも、100歳になったジャーナリストのむのたけじさんも戦争法案に反対しています。「戦後70年」の平和をまるごと消滅させようとする安倍政権にさらに抗議の声を高めていきましょう。
 残された1時間、弁護士とともにわたしたち国会議員は「過剰警備」を監視します。そして明日からの院内の闘いでも悪法を廃案にさせるよう全力を尽してまいります。みなさんかつてスペインでファシズムに反対するひとたちが「奴らを通すな」を合言葉にしました。この日本でも戦争法案を推進する勢力に対して「奴らを通すな」という声をさらに高めようではありませんか。奴らを通すな!ありがとうございました。