昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

靖國神社の社頭掲示

2013-10-09 01:24:14 | 歴史・神秘
靖國神社の神門手前に社頭掲示がある。毎月、月替わりで英霊の遺書や遺詠が展示されコピーもいただける。
これが当時の状況を偲ばせ何とも切ない内容である事が多いのだが、この内のいくつかをご紹介してまいりたい。
なお、ネットでも閲覧できるが以下の通りです。
靖國神社社頭掲示

なお、ネットで閲覧できる期限以前のものは「英霊の言乃葉」として遊就館で販売されています。
また、チャンネル桜で女優 烏丸せつこさんによる言乃葉朗読も放映されております。
【靖國】英霊の言乃葉[桜H22/8/14]

この映像の35分過ぎに先日ご紹介した西田高光少佐も出てみえますが、今回は弟に宛てた言乃葉が朗読されております。

しかし、これらの遺書・遺詠に触れると肝の坐り方、決意の明確さに愕然としない訳にはいきません。
国を想い、故郷を想い、両親、兄弟、妻子に宛てた言葉は死を直前にした悲壮感だけでなく胸に迫るものがあります。

海軍少尉 真鍋信次郎
神風特別攻撃隊・隊名不明、昭和20年
 5月25日、南西諸島海域にて戦死、22歳
散る桜 のこる桜も 散る桜

海軍中尉 緒方 襄
神風特別攻撃隊・神雷桜花隊、昭和20年
3月21日、沖縄周辺海域にて戦死、23歳
いざさらば、われは栄えある山桜、母の御もとに帰り咲かなむ(遺詠の一部)


上記の歌を、御母堂のカバンの中にそっと入れて少佐は出撃しました。
その歌をあとになって発見し少佐の御母堂、緒方三和代の今は亡き我が子への返歌

 散る花の いさぎよきをば めでつつも
                  母のこころは かなしかりけり


我が子は国難に我と我が身をささげたんだからきっと本望だったでしょう。母も名誉に思いますがでもね、やっぱりあなたがいなくなってしまったことが悲しいんです。
そんな風な思いだったのでしょうか・・・。

母にあてたものとは別に、緒方襄氏には出撃三十分前に、鉛筆で海軍手帳に走り書きした絶筆の辞世がある。

清がすがし花の盛りにさきがけて 玉と砕けん丈夫我れは
死するともなほ死するとも吾が魂よ 永久にとどまり御国まもらせ
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