孔泉と王毅の将来を勝手に考える

訂正(09:42):コメント欄をご覧下さい。一読者さんがエントリーの訂正をしてくださっています。どうも申し訳ありませんです。


2人とも日本ではすっかりおなじみとなりました。片や毎日のように吼えている映像を流され、もう一方は暑苦しい顔(あれのどこが端整なんだ)、顔は浮かびましたね。3日連続で孔泉ネタもどうかと思いますが、王毅と一緒なので少しは薄まるかと(濃くなるかも)。今日は勝手に2人の将来を考えてみたいと思います。

(注意;この話題を振っておいてなんですが、あまり元のサイトは見ないほうがいいかと。なにせ劉建超のド迫力画像が押し寄せてきます)

最近中国が一方的にキレだし、外交部報道官の顔をニュースで目にする機会が増えました。私が気付いたころには既にあの虫唾が走る顔ナンバー1の孔泉がのさばっていたんですが、現在の外相で昨年「日本のODAは無くても中国はやっていける」と言いつつ報道官に「やっぱり欲しい」みたいな事を言わせ、二枚舌をアピールした李肇星も昔は報道官だった(88年~90年)ようです。当時から二枚舌だったみたいですよ。

それ以前にも銭其琛(76~82年)の名前がありますし、もしかして外相になるための登竜門なのかも。しかし、前任の唐家璇は名前がありませんしし、現在の副部長で報道官の経験者は補佐の沈国放だけなので、最近の流行ではないかもしれません。前任者の経歴を見ると大体4年で転出してます。一時期全然会見に出てこなかったんですが、もう4年もやってるのでそろそろ転出もあるのかな。

そういえば対外連絡部というのもありました。現在第一副部長である戴秉国が王家瑞の前任だったんですが、そこから考えると、対外連絡部は同じ部でも外交部よりは格下なんですかね。と思って対外連絡部のサイトを見てみると、歴代の部長には喬石がいたりして、微妙なライン。まあ少なくとも出世コースではないでしょう。こっちに飛ばされると出世が遅くなると。

というか、何のためにあるのか全然知らなかったんですが、政党間の外交について業務を取り仕切っているようです。なるほど、与党の幹事長と会うのも仕事です。


もちろん外交部門ですから、どこに行くにしても外国語の一つも話せない(通常は英語)と大使としては厳しいんですが、孔泉の経歴は微妙です。何語が話せるとは書いてありませんが、国外経験があまり無いようですし、一度外交畑を離れているのも気になります。やはり中等国の大使から部長補佐程度が限界でしょうか。同年代の王毅とは完全に差がつきました。

=====

王毅は最近もちょくちょく見かけますね。おばちゃんの帰国(逃走)にもなぜか居合わせたり、京都で開かれた外相会談にも参加していたりと最近は単独での露出は控え気味みたいですが、六カ国協議をやっていた頃は外国部副部長として中国の代表でした。何をやったという記憶はありませんが(そういえば、去年のODA交換公文書署名式をドタキャンしました。ドタキャンは抗議のつもりなんですね)。

機能しなくなった会議から外れ、専門である日本に来たのは「中国が日本を重視している証拠だ」と言われていましたが、副部長序列第二位の揚潔篪が今年まで在アメリカ大使だったので、あながち間違いでもなさそうです。ただ、あんまり日中関係で役に立ってるとはいえませんけどねえ。

王毅の今後ですが、おっさんはちょうど下放されていたので入部が遅かった(82年)んですが、かなりのスピード出世ですでに在日本大使。もしかしたら、武大偉の次くらいには部長になれるかもしれません。その頃まで共産党があれば、ですが。

王毅といえばまたバカな発言をしたみたいですね。連絡もなしに逃げておいて「中国政府の対日政策は何も変わっていない」と言えるこの面の厚さ、こうでないと出世しません。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
« 孔泉、お前の... 英雄ってなん... »
 
コメント
 
 
 
同じ部でも (一読者)
2005-05-27 08:56:59
 外交部は中国国務院(政府)の部(省)であり、外務省に相当します。一方、対外聯絡部は、中共中央の直属機関であり、似て非なるものでしょう。

 中国の憲法は、「中国は共産党が指導する」と決めており、党と国家はかなりイコールであり、軍機関のように、党中央軍事委と国家中央軍事委のようにほぼ重なるものもありますが、対外聯絡部と外交部の任務はまったく異なるもののようです。

表向きは、外交部は国家間外交、対外聯絡部は党際外交を担う、との位置付けですが、対外聯絡部には、諜報機関としての裏の顔もあるようで・・・
 
 
 
Unknown (aquarellisute)
2005-05-27 09:40:12
一読者さん、やんわりとご指摘ありがとうございます。



思い込みで書いてしまいました。対外聯絡部のサイトにしっかり「中央直属」と書いてありますね。自分で党外交がなんたらと書いているのに…
 
 
 
まさに表と裏 (dongze)
2005-05-28 09:33:07
そういえば、昔、旧社会党に属する人から対外聯絡部のある人物の人へ紹介状を書いてもらった記憶が、、多分中国共産党と深い付き合いのある人にはそちらが外交部みたいなもんだったのでしょうね。当時の政権幹部とのお約束の集合写真もそういうツアーのように対外聯絡部がアレンジしていたようでした。
 
 
 
さすが社会党 (aquarellisute)
2005-05-28 23:56:53
dongzeさん、こんばんは。素晴らしい経験をお持ちですね。



自民党が対外聯絡部との正式な関係を構築したのはSARSの頃、まだ2年しかたっていないらしいです。その前はずーーっと万年野党の社会党がお相手してたそうで。当然北朝鮮の対外連絡部にもパイプは通じてるんでしょうね。
 
 
 
いやしょーもない話で (dongze)
2005-05-31 22:33:13
もう記憶の彼方の20年ほど前です(当然天安門事変前)。

その人は日中(こちらでは中日)友好協会と対外聯絡部の知人に紹介状を(と言っても他愛のない、何かあったらよろしく程度の内容、当時留学生の私への緊急時の「御札」のような意味合いでくれたものでしょう)書いてくれました。

で、(若くて怖いもの知らず=勉強不足で)バカな私は書いてもらったんなら一度会いに行ってみようかと思い立ち、(幸運なことに)先に友好協会の方へ。。。。

当然ケンもホロロの対応。。。聯絡部には行く気も失せたんですが、これが逆で先に聯絡部に行っていたら。。。。

今頃こんな文章書いていないかも(笑)
 
 
 
いやーそういう話が (aquarellisute)
2005-06-01 18:19:22
dongzeさん、そういう経験をしていない者にとっては貴重ですよ。



私が留学していたのは最近ですので、御家人さんみたいに当局に追いかけられたこともありませんし、SARS大流行の時期に北京にいた友人の話を聞くとうらやましく思います。あ、そういう話じゃなかったですね。
 
コメントを投稿する
 
現在、コメントを受け取らないよう設定されております。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。