白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

80. 桜月夜

2014年05月22日 00時34分10秒 | 紫と銀の荒野で
F.D.2535 (エクルー11歳)


 

 オプシディアンの夕暮れは紫色だ。
 空気に枯れ草の甘い香りが漂っている。乾燥に強いセージやヒースしか生えない荒れた大地。美しいが厳しい土地だった。このギリギリの土地でサクヤはずっとエネルギーの泉としてこの小さな町の人々を支えていた。そして支えきれず倒れたのだ。
 イドラで療養していたアルはスオミと一緒にオプシディアンにやってきた。この土地の水脈を調え、サクヤを目覚めさせるために。

 ポーチでレモネードを飲んでいると、アルが呼ばれた。かすかな口笛のような響きが聞こえて、アルは振り返った。
「どうしたの」とスオミが聞いた。
「うん。ちょっと……」と言いながら、アルは屋内に入った。
 二階に上ると、廊下にエクルーが待っていた。
「サクヤがまだ目覚めないんだ」
「え、じゃあ……」とアルが言いかけた。
「役得を譲ってやる。サクヤを起こしてくれないか」
 エクルーは、親指で寝室のドアを差した。
「姉さんを泣かせたくないんだ。これで思い切ってくれ。それで、あんな歯切れの悪いのじゃなくて、ちゃんとプロポーズしろよ」
 そう言って、エクルーは廊下に下りていった。

 アルはしばらく廊下で頭をかいていた。
「ガキがまったく生意気に……。まあでもせっかくだから本気でやるか」
 寝室では、サクヤが眠っていた。顔が陶器のように白く青ざめて、唇と瞼だけが薄いピンクだった。
 窓から外を見ると、ポーチのすぐ下あたりまでエネルギーの流れが来ている。後は、少し、家まで流れを引き込むだけだ。
「サイフォンの最後の一息だな」
 アルはサクヤのかたわらに立って、しばらく呼吸を整えていた。
 それから、両脇で握りしめていた拳をすうっと胸の前に伸ばし両手のひらを開いた。 指一本一本の先に光が灯った。
 まるで水をかくように、両手をゆっくり水平に広げた。アルの体全体が白く光っている。
 しばらく、何かを抱えるように、支えるように両腕を広げたまま立って、エネルギーが流れこんでくるのを待った。
 それから、ゆっくりと右手を頭に伸ばし、左手は胸の前に持ってきた。

 ポーチでは、スオミとキジローが同時に、頭上の光に気が付いた。
 キジローが二階にかけ上がろうとするのを、エクルーが止めた。
「アルに工事の仕上げをしてもらってるんだよ」
 アルは光り輝く右手で、眠っているサクヤの手をとると、静かにキスをした。氷が解けるように指先から、ぬくもりがサクヤの全身にゆっくりと広がった。

 階下にいた人間は、一瞬、モノが二重に見えるような振動とも、衝撃ともつかない揺れを感じた。そして、家の中がみるみる一変するのを体感した。古ぼけたフレスコ画が、修復されて本来の鮮やかさを取り戻すように、全てが生き生きと温かみを見せていた。

 アルが階段をゆっくり下りて来た。
「ちょっと座らせて」ふらつきながらソファに延びた。
「気張りすぎたかも。泉の水がサクヤまで届いたから、もう1、2時間して起こしてやって。俺もちょっと……休憩」言いながら眠ってしまった。
「トンでもないヤツだな。全く途方もない」
 キジローが感嘆した。
 それから、エクルーを襟首でつるして言った。
「お前はちょっと物分かりが良すぎないか? 人の女房を勝手に貸し出すな」
「まあ、医者に見せるようなものじゃないか。それに、まあ、サクヤはある意味、共有財産というか……」
「何が共有財産だ」
 二人でサクヤの寝室に入って、圧倒された。
 髪がしっとりと濡れて顔の回りに広がり、肌も艶めいて輝いていた。
 指先や唇がピンクに色付いて、薄く開いた口から甘い息がこぼれている。 全身が香り立つようだった。

「ん……」と言って、サクヤが寝返りを打った時、エクルーが真っ赤になって、消えてしまった。
「若いねえ」とキジローはため息をついた。
 イスを引き寄せて、キジローはベッドの側に座った。イスの背をベッドに向けて、そこに両腕を顎を休めた。
「お姫さんは、どういうわけか寝てると色っぽいんだよなあ。でも今日は格別だ」
「弱ってた桜の木に、久しぶりに花が咲いたな。あんたが目覚めるまで、ここで花見をさせてもらおう」


 夜半になってアルが目覚めた時、リビングは暗かった。
「まだクラクラする。ちょっとやりすぎたかな」とつぶやきながら、伸びをしていてギクッとした。
 斜め向かいのソファに黒い影がうずくまっている。
「びっくるさせるなよ。エクルーか。どうしたんだこんな暗い部屋で」
 エクルーは答えなかった。
「サクヤは目覚めたのかな。知らないか」
「一度、目覚めてスープ飲んでまた寝たみたいだ」
 アルはため息をついた。
「何だ、じゃあ、あんまり利かなかったのかな」
「効きすぎだよ。あんなにつやつやの端々しいサクヤ初めてみた。エネルギーの泉の中で天女みたいに湯浴みしてた」
「それで、何で、エクルーがしょげてるんだ?」
「しょげてないよ。サクヤが元気になって良かった」
 エクルーはソファの上で膝を抱えたままだった。

 アルが首をひねりながら頭をポリポリかいた。
「お前、あんまり気にしなくていいんじゃない? 母親の寝姿でコーフンしちゃったぐらいで……」
「なっ、何で……!」
「わかるさ、そのぐらい。お前にとってサクヤは母親だけど、母親じゃない。ずっと大切にしてきたんだろう。それでいいじゃないか」
「……笑わないの?」
「笑わないさ。腹減ったな。台所に何かないかな。お前もどうせ、夕飯抜きでどっかでイジケてたんだろう。一緒に食おうぜ」
 台所には二人分の食事が整えてあった。
「温めようか?」
「いや、いい。俺、今、モーレツに腹減ってるんだ」とアルは冷たいまま、食べ出した。

 エクルーは自分の皿をマイクロウェイブで温めながら、コップ2つに白ワインをついだ。
「おお、サンキュウ」
 エクルーは、自分の分を黙ってもそもそ食べ始めた。目の回りが赤かった。
「お前、ホントに気にすんなよ」
 食べながらアルが言った。
「お前を取り戻すために、サクヤはあんなに弱るくらい身を削ったわけだろう。そのことでお前が悩んじゃったら、何か、本末転倒じゃないか」
「うん、要は俺が邪念を捨てられないのが悪いんだ」
「違うよ。逆だよ。お前が母親だからと罪悪感もつのをやめればいいんだ。お前はサクヤが好きなんだろう。欲しいと思うんだろう。それでいいじゃないか。人を好きになるのに、いいも悪いもない」
 エクルーは食べるのをやめて、しばらくアルの方を見ていた。
「好きでいていいのかな」
「いいんじゃないかな」
「こんな気持ち、消さなきゃって……ずっと苦しかったんだ」
「お前、食うか泣くかどっちかにしろよ。鼻水入るぞ。汚ねーなー」



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