全く、辺境とは聞いていたが……ここまで最果ての土地だとはキジローも覚悟していなかった。
ボウズは最低限の情報しかくれなかった。宙港、宿、そこそこ食えるダイナー。着いたら連絡して、と一言だけノートがあった。
ところが、着いてみると磁気嵐で一切通信がつながらない。まだ誘導システムが使えるうちに、星に降りられただけでもラッキーだった。
宿のベッドは、マットはかび臭く、シーツは汗臭かった。これなら船で寝た方がマシだ。神経質な方ではないが、誰か他のヤローの汗だと思うと気味悪い。シーツをひっぺがして、ジャケットを敷いた上にゴロンと横になった。
階下のざわめきが聞こえてくる。
まったく俺は何をやってるんだろう。仕事をやめて、ワーム・ホールを抜けて、3日もかけてこんなとこまで。月の半分は、ここの太陽のご機嫌が良すぎて、外界から切り離される”暗黒惑星”。加えて、連邦警察の目が届かない無法地帯。
こんなところで、ボウズや姉さんとやらは何をやっているんだ?アルの言ってた”ドラゴン”の7人てのは、いったいどんな奴らなんだ?
宿の主人は、リプトン系のリザートで、銀色のうろこがぬらりと光る。話のテンションで、2本の触角が出たり入ったりする。”ドラゴン”ってのはこういうヤツらなのか? 辺境の割りにというべきか、辺境だからというべきか、いろんな人種がごった返していた。聞き分けられるだけでも、5つ6つの言語が飛び交っている。
考えているうちに、カビ臭いマットの上で眠ってしまった。
翌朝になっても、まだ通信不能だった。ラジオ波も飛ばんとはどういう嵐なんだ?
キジローは、朝メシを探しがてら、バザールまで歩いてみた。いろんな人種の露天商が、大きな天幕の下に雑多に集まっていた。とりあえず日差しが厳しいので、日除けになる布とそれを止めるバンドを買った。それから身振り手振りで、うまそうな揚げパンとバター茶にありついた。名前はわからないが、香りのいい果物を3つ買って、かじりながら市場をひやかして歩いた。
天幕の外へ続く通路を、白い影が横切った。
逆光で光に透けて見えた。アイス・ブルーの細身のチュニックとブーツ。上半身に白い布をベールのように被っている。ベールのすそをベルトに固定しているので、腰周りで白い布がスカートのようにゆれていた。布にすき間から、一房、黒い髪がこぼれた。
どういうわけか、キジローはその白い影を追って天幕から出た。市場の賑わう人込みの中、その白い姿は目立った。まるで夢でも追いかけるように、必死で追った。そして、その影を追っているのは、自分だけでないことに気がついた。野卑た笑いを浮かべた男が3人、ひそひそ打ち合わせしながら、一定の距離を保ってその女をつけていた。
彼女は、バザールのはずれの原住民のテントに入って、ベールを背にずらした。長い黒髪が肩にこぼれる。原住民の老人と、お茶を飲みながら笑ったり、薬草を仕分けしたりしている。そのうち、他の原住民も集まってきて、彼女は舌を覘いたり、肩や腰を触ったりして、何か処方せんを渡したりしている。どうやら医者らしい。
キジローは、テントの影でその女を見守りながら、さっきの男たちがどこにいるのか注意していた。
「サクヤ、3羽のカラスと黒いクマが1匹、付いて来てるよ」
「クマの方は友人よ。まだあいさつしてないけど」
「そうかい。ここに呼んでやるかい?」
「いいえ、すぐまた会えるからいいわ」
「じゃあ、テントの奥を抜けてお行き」
「ありがとう。メドゥーラ、また来週ね」
テントの中で、原住民が布を広げたり柴の束を摘んだりし始めて、見通しが悪くなった。そして、片付いた時には、白い女の姿は消えていた。
しまった。3人の方も見失ったらしい。慌てて、裏の方に駆け込んでいった。
キジローは妙な確信があった。彼女はこっちに抜けてきているはずだ。狭い路地に入ると、ちょうど女が地下室の戸から出てきたところだった。そして、キジローに眼をとめると、にこっと笑った。
「あら、クマさん」
そこへ、3人組が追いついてきた。かなり息が上がって、イラついている。
「お嬢さん、残念だなあ。せっかくうまく逃げたっていうのによ」
「この小路は行き止まりなんだよ」
「この町は女一人で歩くとこじゃないって、教育してやらんとなあ」
「女一人じゃないぜ」キジローがぬっと顔を出したので、3羽カラスは気勢を殺がれた。
「じゃ、あとはよろしく」と女は言って、壁のステップと雨どいを身軽に伝って、屋根へ逃げてしまった。
「あっ、くそっ!!」3人組はその建物の裏に走っていった。意地でも捕まえたいらしい。
今度も、キジローはどっちに行けばいいのかわかった。彼女は屋根伝いに、この破風作りの裏通りまで抜けるにちがいない。長屋の端まで走ると、ちょうど屋根から黒髪の頭がのぞいた。
「卵なの。受け取って」
上から紙袋が、ぽん、ぽん、と2つ降ってきた。
最後に紙袋を片手に抱えた女が、すたっと下りてきた。キジローがあっけに取られているところに歩いてくると、にっこり笑って右手を差し出した。
「お蔭で助かりました。南部さん、ありがとう。エクルーの姉の咲也です」
サクヤの姿を認めて、上空で待機していたヨットが砂地に下りてきた。中には小振りのドラム管にサラダ・ボールを伏せたような、旧式のロボットが1体。
「お待たせ。ゲオルグ」
「お帰りなさいまし、ミズ・サクヤ。首尾よくミスター・ナンブとお会いできたようですね」
ドームに着くと、エクルーがキッチンからひょこっと顔を出した。
「あ、うまくキジローを拾って来てくれた? 卵、卵! 他のは全部できちゃったよ」
キジローはつかつかとキッチンに入って、エクルーのえり首をつかんだ。
「お前は何だ。姉さんをあんな町にお遣いに出して、自分はのほほんと料理か!」
「また、これか。キジロー、ちょっとフライパンだけ、下ろさせてくれ」
キジローがえりを放すと、エクルーはフライパンとターナーをレンジに置いて、向き直った。
「で? 何が問題だって?」
「あの町は女一人で歩くようなところじゃないだろう!」
エクルーはサクヤの方を向いた。
「何か危なかったの?」
「ええと。まあ、いつも通りよ。南部さんが助けて下さったし、卵も無事だったし」
「キジロー、何か助けたの?」
「俺は卵を受け取っただけだ。」憮然と言って、視線をそらした。
「つまり、サクヤは一人でも切り抜けられたわけだ」
「エクルー! あなたったら、南部さんに失礼じゃないの!」
珍しく強気に出て、エクルーはキジローに指を突きつけた。
「はっきり言っとく。サクヤは確かに女だけど、素人じゃない。Ⅲxレベルのパイロットだし、ジュードーも射撃も、俺より優秀だ。マッチョなボディ・ガードなんて必要ないんだ」
2人の間で、サクヤはおろおろした。
「あの……私、毎週、バザールの日に町に出るんです。イドリアンの回診日なので。それで、変な風に名物になっちゃって、ほとんど毎週、ああいう追いかけっこになるんです。でも……危ない目にあったことないですよ?」
「当たり前だろう! そんな目にあってたまるか!」
大声を出して、キジローはキッチンから出て行ってしまった。
「どうしましょう?」
「俺、オムレツやっつけちゃうから、サクヤがフォローしてよ」
キジローは、温室の隅のあずまやでタバコをふかしていた。
「よく、ここを見つけましたね。この温室、迷路みたいなのに」
サクヤは、キジローの斜め前のベンチに座って、ふふっと笑った。
「何だかさっき、ちょっとうれしかったわ。ずっと辺境の荒れたところを廻っていたから、すっかり慣れっこになっていたけど、あんな風に誰かに心配されたり、かばわれたりする人生も幸せかも、ってちょっと思っちゃった」
それから、ひとしきりクスクス笑った。
「エクルーでも、あんな風に言い合ったりするのね。珍しいもの見ちゃった。きっと南部さんのこと、信頼して甘えているのね。男同士っていいわねえ」
「メシー!!」エクルーが折りたたみ式のテーブルを抱えて、温室に入ってきた。
「ほら、いろいろ運ぶよ。キジローも手伝って」
キジローは一瞬、どんな顔をしていいかわからなかった。エクルーはニヤリと笑った。
「どうせ、昨夜はろくなもん喰ってないんだろう?俺のディナーを喰いたくないか?」
7品のコースを食べながら、キジローは不思議な気分だった。
こんな空気は久しぶりだ。居心地がいいような、悪いような。
サクヤとエクルーは2匹の猫のように、絶えず笑い合ったり、キスしたりしてじゃれ合っている。
キジローはそわそわと落ち着かなかった。
コーヒーを飲みながら、エクルーが切り出した。
「7人に会う話だけど、明後日になりそうなんだ。今、ちょうどどこのゲートも開いてなくて」
「珍しいわよね。107、全部閉じちゃうなんて」
「ヤマワロなら、”まだ会う準備ができてないからだ。”とか言うね、きっと」
「ゲートって何だ?」
「見に行く? うちの裏にひとつあるよ。今、閉じてるけど」
エクルーがデザートのアッフォガードを配って、言った。
「ついでに、召集かけて、みんなに紹介するか」
「みんな?」
「例の”7人”以外のメンバー。最近、増殖したんだ」
「どうやって呼ぶの?嵐で通信できないわよ」とサクヤが聞いた。
「まあ、見てな。近頃、グレンは感度がいいんだ」
2時間後、グレンがジンとイリスを乗せたルパを牽きつつ、自分もルパで誘導してドームにやって来た。
「急に悪いな」
「いいや、どうせ嵐の間はヒマなんだ。婆ちゃんも客人の顔を見て来いって言うし」
「何だ。メドゥーラに聞いたのか。グレンも修行を始めたんだろう?」
「でも、客人の顔は見えたよ?」
「ほう。髪は?」
「黒くて、ボサボサ」
「当たり。眼は?」
「うーん……青?」
「ハズレ。それじゃ、キジローの方が精度いいな」
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