Daily Bubble

映画や歌舞伎、音楽などのアブクを残すアクアの日記。のんびりモードで更新中。

『ハンサム★スーツ』

2008-11-04 21:53:52 | cinema
レッツ、ハンサム!
レッツ、ハッピー!!

何も考えずに、ただただ笑って来ました。
始まりから終わりまで、くすくすと。
平日の朝いちばんの割と広めの映画館には、私の他にはあと一人しかおらず、大声で笑いたいところでしたがくすくすと、ずっとくすくすと笑っていましたよ。

世の中にはハンサムとブサイクの2つの人種があって、ハンサムが圧倒的優位に立っているわけですが、ブサイク中のブサイク・定食屋の琢郎(名前もブサイクなのはお約束)が「洋服の青山」で勧められたハンサム★スーツを着るとハンサム中のハンサム・光山杏仁(なんてステキなネーミング!)に変身して、モデルとして活躍するけど…。
というお話で、ストーリーは思ったところにちゃんと落ち着いてくれます。

スーツを着る前のブサイク琢郎に塚地武雄、ハンサム杏仁が谷原章介という最強の布陣。
谷原さんなんてどこをどう切ってもハンサムだけど、中身はブサイク・琢郎な訳ですからね、仕草とか佇まいがブサイクなんですね、完璧に。いやぁ、役者さんて凄いです。で、あのハジケっぷりもステキです。
杏仁(谷原さん)が歩くところには女の子達が群がり、くしゃみをすれば唾が掛かった女の子達は嬉しくて倒れちゃう。
スーツに岡持を提げてもカッコイイなんて、ハンサム中のハンサムならでは。

もう、映画のそこここにくすくすの種がたくさんこぼれていて、思わず書きそうになってしまいます。
別バージョンのスーツとか、声のハンサムさんとか。
おブス・モトエさん役の森三中大島さんの相方・黒沢さんがひょっこり(でも、凄いインパクトで)出てきたり、塚地さんの相方・鈴木さんがやっぱり!ってとこで出てきたり。

そうそう、忘れちゃいけないのが挿入曲。
主題歌が渡辺美里の『マイレボリューション』で、映画中のあちこちで聞くことができますが、その他に久保田利伸 with ナオミ キャンベル 『LA・LA・LA LOVE SONG』、ユニコーン『大迷惑』、佐野元春『Someday』、米米クラブ『SHAKE HIP!
』、プリンセスプリンセス『M』、EAST END X YURI『DA.YO.NE』…(順不同)。
他にもあったかもしれませんが、80~90年代のヒット曲が満載で、30代にはたまらないラインナップ。
あ、分からないという方はコチラをどうぞ。リンク先はYouTubeの『SHAKE HIP!』です。昔はよくカラオケで歌って踊ってましたよ(笑)。

僻んだ見方をすれば、商業主義的過ぎる映画なのかもしれませんが(なんてったって、ハンサム★スーツを売っているのは「洋服の青山」ですからね!)、そんなことはどうでもいいと思えるくらいたくさんのスマイルとハッピーが詰まった映画でした。
琢郎の「俺がハンサムだったら…」っていう悲痛な叫びには、考えさせられましたしね。あぁ、よみがえる愚かな過去。
バナナマン・日村さんの使われ方が気の毒な気がしてしまいましたが、どうなんでしょう?ハンサム★スーツはあった方がいいのかしらねぇ?


映画『ハンサム★スーツ』オフィシャルサイト

運命じゃない人

2008-06-28 14:11:20 | cinema
『アフター・スクール』は観ましたね?
もし、まだご覧になっていないとしたら、今すぐ映画館へ走ってください!!脚本も役者さんも最高ですから。レディース・デイでもメンズ・デイでもなくてレイトショーじゃなくって通常料金を払ったとしても、絶対損はしませんよ。

監督さんは内田けんじさんというまだ若い(私と同年代ですね。)方で、脚本も描かれてるんですね。『アフター・スクール』は2年越しの脚本とか。
あのピタピタとコマが嵌っていくのが非常に愉快でしたね。
そして、映画の根底に流れる温かな友情がとてもとても素敵で、にんまりと幸せな気分になりました。

その内田監督の初監督作品『運命じゃない人』をやっと見ました。「面白いから早く見ろ」と言われていましたが、なかなか時間を作れなくて。
『アフター・スクール』がとにかく面白かったので、期待して見てしまったんですが(そしてその期待を裏切られることが多いんですが)期待以上の面白さでした。
ピタピタとコマが嵌る感覚は『アフター・スクール』と同じですが、低予算映画(のようです)でありながらもこんなに娯楽性の高い映画は、日本映画では珍しいんじゃないでしょうか?

主人公は、どこにでもいるごく普通の会社員・宮田くん。半年前にフラれた彼女を未だに忘れられない地味目な30代。
でも、宮田くんの彼女はほんとうはプロの詐欺師で、オトコを騙して生きている悪いオンナ(アユミ、ヨーコなど複数の名前を持っているのね)。
そのオンナの正体を知りながらも宮田くんには黙ってあげている友達思いでちょっとビビリな探偵・神田。
悪女・ヨーコに逃げられたヤクザの組長・浅井。
婚約破棄して家を出てきた行き場のない女・マキ。
この5人が繰り広げる偶然のようなストーリーが、最高にイカしていて面白い!!

5人の台詞もまた面白くてね、探偵・神田が宮田くんにレストランで言う「運命の出会いとか、偶然の再会とか、友達から恋人にとか、そんなのはこの先絶対に無いんだよ!!」なんていう台詞には思わず「うん、うん。そうなのよ、宮田くん!!」なんて大きく頷いてしまう。その場に居合わせたウエイターも引き込まれていたしね。

ヤクザの組長・浅井さんも、強面で「人一人殺して処分するのにどれだけ金がかかると思う?それに値する人間だと思うか?」なんて恐ろしいことを言いながらも、組の維持費にヒーヒーしてる。
組員には絶対に見せられないお金の作り方とか、メンツを保つための駆け引きが可笑しくって情けなくってくすくすしてしまいます。

この面白さをぜひとも味わってくださいな。
脇役さんたちのシチュエーションも計算しつくされていて、きっと何回見ても楽しめるんじゃないかしら。

何よりも素敵なのは、普通の人の普通の生活を包んでいる大きくて絶対的な愛があるってこと。
娯楽映画としてこんなに楽しませてくれながら(私にとっては『インディ・ジョーンズ4』と同じかそれ以上に楽しかった!!)、とても優しくて温かな気持ちを感じさせてくれる素晴らしい映画でした。

あ、最後に一つだけ。
女の私にとっては、男同士の友情が羨ましくなりましたよ。

映画「運命じゃない人」公式サイト

月の輝く夜に

2008-04-22 23:38:46 | cinema
日曜日は満月でした。あいにく曇りがちで、ときおり雲の間から朧に姿を現すくらいでしたが。
お月見したいなぁと思いながらツタヤをふらふらしていたら、『月の輝く夜に』のDVDが目に入ったので迷わずレジへ持っていきました。
ずいぶん以前に見た記憶があるんですが、あんまりよく憶えていなかったんですね。ごめんなさい、シェール(笑)。

ところでこの映画の原題は、”moonstruck”。
goo辞書では、「夢見心地の; (月の光にうたれて)気の狂った.」とあります。月光が狂気をもたらすという信仰から生まれた言葉のようですね。
タイトルのとおり、月の光の魔法にかかったように恋におちた恋人達のお話です。
あらすじはコチラをどうぞ。

イタリア系アメリカ人を描いた映画はたくさんあって、それらに共通しているのは家族の絆の深さと人間味に溢れた個性的なキャラクターなのかなぁと思います。
シェールはイタリア系ではないようですが(でも、その濃すぎる個性はイタリア人を凌ぐかも。)、ニコラス・ケイジはイタリアンアメリカンなんですね。この映画には出ていませんが、ヴィンセント・ギャロやシルベスター・スタローン、ジョン・トラボルタなどの個性的な俳優が多いみたい。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノもね。
シェール演じるロレッタの家族がとてもキュートにエキセントリックで、中でも犬をたくさん飼っているおじいちゃんが可愛い!!半分くらいとぼけていてママからは「変人なの」なんて言われてるけど、ちゃんと息子を戒めるのね。心の優しい愛すべきおじいちゃん。
その息子(ロレッタのパパ)は浮気相手に夢中、苦悩の中にいるママはイタリアンレストランで女に振られた大学教授と意気投合。ロレッタはイケてないマザコン男と婚約中なのに、その弟に夢中。
とまぁ、愉快で複雑な一家のお話です。

まだ若いニコラス・ケイジのはじけるような上半身とふさふさヘアーにびっくりさせられましたが、なんといってもシェールの変身が素敵です。
オペラデートのために髪を染めお化粧をして、肩を出したドレスに赤い靴を履いたシェールは、前半の気難しそうな疲れた未亡人とは別人のようです。のっぽでやせっぽちのシェールがとっても可愛い。80年代ファッションもオシャレです。
私が好きなのは、ニコラス・ケイジの家から朝帰りするシェール。ピチカート・ファイブの「陽のあたる大通り」が流れ出しそう。
♪死ぬ前にたった一度だけでいい 思い切り笑ってみたい
 陽の当たる大通りを 口笛吹いて歩いていく♪
このシーンのシェールは本当にキラキラときれい。

音楽もとても素敵で、オペラ「ラ・ボエーム」(プッチーニのイタリアオペラなんですね。)も印象深く使われていますが、古いイタリア映画を連想させるアコーディオンの音色が雰囲気をぴったりです。
次の満月は5月20日。映画で月を楽しむのも悪くないです。
それとも、月の光を浴びて恋におちてみましょうか?

母べえ

2008-02-17 22:03:05 | cinema
しん、と深く心にしみる映画でした。
予め書いておきますが、かなりネタバレあります。これからご覧になる方は読まない方がいいかもしれません。
でも、とてもよい日本映画です。ぜひご覧になってください。そして、またご縁がありましたらこのブログを読んでみてください。感想なんかを教えていただけると幸いです。



「かあべえ」という呼び名は、夫が家族に付けた呼び方なんですね。とうべえ、かあべえ、はつべえ、てるべえ。夫婦と二人の娘、一家四人の小さな家族。
広島出身の父べえと岡山出身の母べえが、どこでどんなふうに出会ったのかはわかりませんが、貧しいながらも明るく楽しい家族なんです。そんな明るさに溢れた呼び名なんです。

幸せな家族を引き離すのは、思想犯として父を捕える戦時下の日本。夫を失った妻は、夫を信じ家族を守り懸命に生きていくという、一言で言ってしまえばそんなお話です。
お話は次女のてるべえの視点から描かれますから、残された母べえの奮闘のみを描いているように思われるかもしれません。母と娘、娘である母とその父、父の妹の美しい伯母、父の教え子であるとぼけたインテリ、お金が大好きな人間くさい母の伯父、日本が起こす戦争を信じる普通のご近所さん、心優しいお医者さま…。
戦争により、どんどん生活は厳しくなり、みんなが暗澹たる気持ちになっていくけれど、家族は明るさを失わず、父の帰りを信じて生き抜く。
辛く貧しい時代を生きる母には、吉永小百合。清楚で正しい日本の母そのものですね。
サユリストなぁんて人たちがいるでしょ。ちょっとね、気持ちが分かってしまう気がします(なんて大それたことを言って気分を害してしまったら、ごめんなさい)。きっと、監督は吉永小百合という女優を撮りたくてこね映画を作ったんじゃないかしら。何をしたってどこから見たって、吉永小百合であり、母なんですら。それも静謐な完璧な美しさを備えた!
気丈に凛と生きる母を支えるのは、ただただ夫を愛する気持ちなんですね。なにもかも失っても夫を愛した。だからこそ夫を信じて生き抜いた。

一方の父は、酷い酷い獄中においてもどこまでも自分の信じる思想を捨てられない。いえ、捨てるなんて発想は微塵も無いのかもしれません。
自由を奪われ人間として生きるための最低の保障さえも持たない彼に残されたものは、自分自信と自分を愛する家族(とひとかけらの友人)だけ。
父の苦悩は、暗く惨めな獄中で狂おしい程にたぎっていたのです。食べるものも食べられず、垢にまみれ体中に湿疹ができ、髪も髭も整えることができない劣悪な中でも、彼は信念を曲げられなかった。嘘をつくことも出来なかった。
嘘でもいいから「自分は間違っていた」と言うことができたら、家族と会うことができたのに。また一緒に暮らすことができたのに。
でも彼はそれをせず、手紙やたまの面会でのみ家族とつながり、刑務所の中で許された読書に耽ります。
家族という大切な存在を犠牲にしてまでも自身の信念を貫いた彼もまた、妻を深く愛していた。だから二人の幼い娘を妻に託した。彼女を、信じた。
妻にとって、自分にとって、とげとげの茨の道を避けずに真っ直ぐに歩いた。妻へ大きな負担を掛けていることを分かって、そうした。
そんなストイックな父べえには、三津五郎さん。彼は獄中で死んでしまいますが、そのあともずっと家族を見守っていたんです。

吉永小百合、坂東三津五郎、浅野忠信、壇れい、笑福亭鶴瓶、大滝秀治、笹野高史…。キャストがまた素晴らしいのです。
ここには書きませんでしたが、それぞれがそれぞれの人生をそれぞれの昭和を演じています。
昭和は随分遠くなってしまいましたが、忘れてはいけない家族の物語をこんな素敵な映画にしてくれた監督に、ありがとう。


「母べえ」公式サイト

『チョコレート』

2008-02-09 22:50:22 | cinema
最近、アメリカが気になります。
今まではまったく興味が無く、アメリカに旅行したこともしようと思ったこともないのに。
10年くらい前までのアメリカのイメージは、からっと明るくて正しくて強いものでした。休みの日には芝を刈る子供好きなパパとケーキを焼くのが得意なママ、スポーツが得意な男の子とおしゃれな女の子。隠し事なんてしないオープンな家庭。
しかし、私がイメージしたアメリカはほんの一握りに過ぎなかったんですね。中流以上のアメリカの白人家庭。それがアメリカの全てだと思っていました。マイケル・J・フォックスが高校生役として活躍していた映画の世界をそのままアメリカとして認識していたようです。

日本に住む私の生活において、日本人以外の民族と接する機会はあまりありません。毎日の食物や衣類などは外国に頼っているのに、その作り手である外国人とは関わることなく過ごしています。外国人居住率が2%以下で、98%を越える日本人の中の95%が日本民族(大和民族)であるという単一民族が占める割合の非常に高い日本においては、アメリカという巨大な国の抱える多民族国家としての問題を理解することはなかなか困難で、まだ若く愚かだった私はアメリカ人は金髪碧眼の背の高い人種だ、と決めつけていたんですね。

で、そうした明るく輝く大きなアメリカには何の興味も無かった。じめじめと曇ったイギリスや、生も死も一緒くたにしたインド、今はもう無くなってしまった文明を遺跡としてのこすペルーなどに興味の矛先は向かっていました。
しかし、2000年アメリカ大統領選挙やアメリカ同時多発テロ事件、イラク戦争、ハリケーン・カトリーナに代表される災害などの数々の事件報道を目にして、私の勝手な明るいアメリカのイメージはがらがらと崩れていったのです。
大きく正しく美しいアメリカは、もはや存在しない。巨大なアメリカという国を形作っているのは、もっとずっと奥深い闇や渦を抱えた危ういものなんじゃないか、と。

さて。前書きが長くなりましたが、映画『チョコレート』にはそうしたアメリカの持つ闇が素晴らしい脚本により、まざまざと描かれていました。そして、その闇はすこし前までアメリカの核となるものだったんじゃないかと思うのです。

死刑囚の夫と幼い息子を相次いで亡くしたレティシアは、夫の刑を執行した人種差別主義の看守・ハンクと出会う。お互いのことを知らないまま、2人は徐々に惹かれていく…。

といった、分類すれば恋愛映画というジャンルになるような内容で、ベタでメロドラマ的なシーン(主にビリー・ボブ・ソーントン担当)もあり、それはそれでくすりと笑えます。でも白人のハンスと黒人のレティシア(言うまでもなく、ハル・ベリー)の関係は、人種差別や家族の死などの深く重たいものであり、それでもお互いを求めざるを得ない魂の叫びが、二人のラブシーンからありありと浮かび上がって見えました。割と密度の濃いラブシーンだったと思うのですが、冷静でメッセージ性の強い名シーンなんじゃないでしょうか。

さてさて、せっかく長い前置きを書いたので話を戻しましょう。
アメリカの闇の部分が映画の中に紛れ込んでいると書きました。
人種差別、銃社会、車社会、貧富格差、肥満…。
人種差別問題は今でこそ社会問題として認識されていますが、ハンスの父親の世代(70代?)にとっては人種差別が当然のこととして受け止められていたんでしょう。年老いて、簡単に考えを改めることのできない彼にとっては、未だ白人と黒人が共に暮らすということは受け入れられない。

また彼は、男性主義者というか支配主義者というか、老いてなお「強く正しい父」であり続けています。体力は衰え、もはや強くも正しくもないのに。
息子もまたわが子を力で抑え、「強く正しい父」であろうとします。しかし、「銃」の力により父としての権力も息子を失ってしまう。
そして「強くも正しくもない父」と対峙することのできなくなった息子は、老人施設という名の闇に閉じ込める。

かつてアメリカが「強いアメリカ」だった所以は、父と子という脈々と続く美しい信頼によって成り立っていたんじゃないでしょうか。
父はまた国であり、子は国民であるとも言えるでしょう。
広く大きなアメリカをひとつの国としてまとめていたものは、いくつもの小さな家庭や信頼関係というもっとも小さくて純粋なものだった。それが少しずつ、でも確実に壊れていった。
それがアメリカの諸問題の発端なんじゃないか、そんなことを感じさせてくれる映画でした。

ラストシーンで、レティシアは様々な問題を飲み込んでハンクの隣に座ります。
二人の未来について含みを持たせた終わり方をしていますが、ハル・ベリーは疲弊の中にも慈愛の表情を見せてくれます。
また何年か後にこの映画を見るとき、アメリカはどんな国になっているんでしょう。

『ショコラ』

2008-02-03 23:33:12 | cinema
ポピュラーなのに、どういう訳かなかなか見ることができない映画。たまに、そういう映画ってありませんか?ビデオに録画したのに間違って重ね撮りしてしまったり、何度もツタヤで借りながらも見られずに返してしまったり…。
縁が無いのかなぁと思いながら借りた『ショコラ』をやっと見ることができました。

ジョニー・デップ見たさに見た『スウィーニー・トッド』があんまり怖くて、彼を楽しむことができないストレスもあり、借りてすぐに見ましたよ。
ところが、ジョニーはなかなか登場しないんですね。あれあれ、と思いながらもフランスの小さな村に起こるあたたかなストーリーが心地よくて、どんどん引き込まれていきました。

ご存知かもしれませんが、ストーリーはこんな。
フランスの小さな町にやってきた母娘が開店したチョコレートショップは、人々を虜にし閉ざされた心を開いていった。だが、伝統を守ろうとする町の指導者の反感を買うことに…。

チョコレートショップのオーナーで未婚の母ヴィアンヌにジュリエット・ビノシュ。娘アヌークとともに村から村へチョコレートを作って渡り歩いているんですね。
その彼女の作るチョコレートがとても魅力的でね、つやつやとなめらかに光るチョコレートにうっとりさせられてしまいます。チョコレートの魅力に取り付かれるのは、私だけじゃなくて村の人たちもまたそう。
チョコレートによって作られる小さな物語のひとつひとつが、とても愛おしくって優しい気持ちが湧いてきます。
好みのチョコレートを占う板(?)とか、娘アヌークの飼うカンガルーとか、ショップの大家で気難しがり屋の老女と孫のゴスいテイスト(これ、最高に可愛い!)とか。ヴィアンヌが娘に語る「おじいちゃんのお話」もとてもロマンティック。
大好きな映画『フライド・グリーン・トマト』のように、小さな魔法がたくさん詰まった大人のための童話のような映画です。

お話は可愛いだけじゃなくって、船で流れ着いたジプシー(ジョニー・デップ)の登場によって村の人たちとヴィアンヌとの溝が深くなり、彼女の苦しめていきます。
誰だって、きれいで明るい魔法だけで出来ているんじゃない。
よい母であり、よい女であり、よい隣人であることはタフじゃなくちゃいけなくて、どんなに逞しく見えても、やっぱり挫けてしまうことだってあるんです。

すこし不思議で逞しいヴィアンヌにジュリエット・ビノシュ。
気難しがり屋の大家さんにジョディ・デンチ。
若いジプシーの長にジョニー・デップ。
誰も彼も役にぴったりはまってますが、ギターを爪弾くジョニー・デップは必見!ミミズのお話も可愛かった。
規律を守る村長さん、ロックを愛する若い神父さん、ずっとずっと未亡人を愛したおじいさん。みんな愛すべき隣人なんです。
ヴィアンヌと対立する村長さんだって、根っからの悪人じゃなくってただただ頑なに自己のスタイルを貫き通そうとしているだけで。悪いと思ってない分、たちが悪かったりするんですけどね。

私たちが誰も抱えている小さな不安や、胸の奥につかえている固いカタマリをふわりと溶かしてくれるような、甘くてコクのある映画でした。

監督はラッセ・ハルストレム。
『ギルバート・グレイプ』の監督なんですね!ジョニー・デップのレオナルド・ディカプリオもきらきらと美しくてゆるやかに流れる青春がとても素敵な映画でした。ジョニデのヘアスタイルはあまり似合ってない気がしますが…。
そうそう、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』もハルストレム監督だったんでした。実は、この映画もちょっと縁が薄いんですよね。きちんと見られていない。今度こそちゃんと見てみよう。

アイデン&ティティ

2008-01-25 22:06:36 | cinema
去年の年末、『イカ天2007復活祭』を興奮しながら見ていた人は相当多いはず。懐かしかったですねぇ。
放送当時高校生だった私も、もちろん夢中で見ていた一人です。
フライング・キッズ、スイマーズ、オーラ、宮尾ススムと日本の社長、ビギン、人間椅子、たま、マルコシアス・バンプ…。
今にして思えばあのバンドフィーバーは一体何だったのかよく分からないのですが、日本の若者はみんなバンドに憧れ、自分もバンドが出来ると信じ、素人がほんとうにデビューしてしまうことが夢ではなかった時代でした。田舎女子だった私の目にも「イカ天」に出るバンドの男の子たちはどんなへんてこな格好をしてても、めちゃめちゃな演奏をしていてもかっこよく見えたもの。
その「イカ天」にも登場したバンド「大島渚」を率いたみうらじゅんさんの漫画『アイデン&ティティ』を田口トモロヲさんが初監督した映画『アイデン&ティティ』をDVDで見ました。
以前、原作を読んで()ガツーンと殴られたような感動を覚えたことがあるけれど、その原作のイメージを損なわないどころかむしろよりリアルにあの時代の空気を描いた映画で、面白かった!

映画の冒頭に、みうらさんが出てくるのね。「たま」や「宮尾ススムと日本の社長」のメンバーや大槻ケンヂも。
放送当時の若者も今やいい大人になっていて、でもあの当時の雰囲気を備えていてその懐かしさがちょっと酸っぱくて嬉しかったなぁ。まったくの余談だけど、なぜか私は「宮尾ススムと日本の社長」と「たま」が大好きで、特にたまの「らんちう」がたまらなく好きでした。すごく不思議な哀切に満ちた曲だったと思う。「宮尾ススム…」の「二枚でどうだ!」もまたヘタウマというか力の抜けきったファンクでステキでしたよ。

さてさて、先に原作を読んでいたのでどうしても比較するようになってしまうけど、原作では「俺はロックだぜ!ロックとは生きることだぜ!!」というみうらさんの魂の叫びのような凝縮されたメッセージが響いてきたけれど、映画はそのメッセージを失うことなくさらにディティールまで丁寧に描かれていて、田口トモロヲ監督の映画と音楽(ロック)をこよなく愛する気持ちそのものの映画のように感じました。
主人公はロックバンド「SPEED WAY」のギタリスト中島。銀杏BOYSの峯田くんが演じているんだけど、まるで演技をしていないかのような存在感がすごく中島の雰囲気でよかった。彼女を大事に思いながらも女の子たちに手を出しちゃう弱さとか、なによりもロックを愛しているのにそれを見失いそうになってしまう危うさとか、中島そのものでしたね。夏フェスでパンツ脱いじゃう危うさとどこかかぶるのね。
その中島の彼女に麻生久美子。「時効警察」のイメージしかなかったけど、美人で頭が良くてクールで中島のいちばんの理解者っていう原作のイメージを壊さないこのキャスティングは凄い。
原作ではあまり描かれていないほかのバンドメンバーも中村獅童、大森南朋、マギーと個性と魅力に溢れる顔ぶれで、映画により深いリアリティを与えているんですね。

ロックに生きることに悩む中島の前には、ボブ・ディランが現れるのね。でも、ディランは中島にしか見えない。あ、原作ではディランは自らディランを名乗るけど、映画ではディランであることを否定していました。
ハーモニカを吹いて中島にロックを語るディランは、もちろん現実ではあり得ないんだけど、彼の言葉や存在がすーっと心に響くんですね。
ディランの言葉と彼女の存在が、中島を支える。頼りなげでちっぽけな中島だけど、ディランと彼女という大切な存在があるから悩んだり転んだりしながらも前を向いて生きているのね。

散文的な原作の世界観をそのままに、分かりやすいストーリーを展開する脚本は宮藤官九郎。

ロックとは、ありのままの自分を生きること
じゃ、ありのままの自分ってなんだ

私には、ロックに生きることは出来ないのかもしれないなぁ。だから、ロックな人に憧れるのかもしれない。

劇中歌「アイデン&ティティ」がコチラ↓で聴けますよ。映像もGOOD!
YouTube-アイデン&ティティ 君がロック!!完全版

やじきた道中 てれすこ

2007-12-05 00:01:14 | cinema
のんびりとコタツに入って蜜柑を剥きながら、家族中で楽しめる映画だなぁとのほほんと楽しみました。
むかし、年末の深夜に必ず放送していた「猿の惑星」みたいに、夏休みの昼間に必ずやっていた「グーニーズ」みたいに、もうすこし経ったらきっとテレビの定番映画になるんじゃないかなぁ。とりたてた主張の無いちょっと変わった人たちの善意に満ちた道中。くすくす笑って、安心して見られる娯楽映画でした。私は、好きだなぁ。

実はね、ちょっと心配したんですよ。
だってほら、弥次さんと喜多さんって男色な間柄でしょ。勘三郎さんと柄本さんのボーイズラブ(と言うのか…)なんて想像したくない。でも、平気。「真夜中の弥次さん喜多さん」とは違い、弥次さんと喜多さんは単なるお友達として描かれていました(笑)。

まず目に付いたのが勘三郎さんの顔の大きさ、いや、キョンキョンの顔の小ささか。そしてそれを凌ぐ柄本さんの顔の大きさ。
設定年齢不詳のまま、バランスがいいのか悪いのか分からない3人の旅が始まります。
キョンキョンと勘三郎さんは30代で十分通じてしまいそうなお顔の張りだけど、柄本さんは40代でもちょっと辛い?
でも、まぁそんなのどうでもよくなってきます。

コケティッシュなキョンキョンは、おきゃんなお女郎さん。くったくの無いちょい悪乙女って役どころは、キョンキョンにぴったり。
勘三郎さんの江戸っ子っぷりは天下一品!どこまでも人が良くてちょこっと間抜けでちょこっと切ながりなのもいいですね。
柄本さんの酒乱の大根役者も最高!キレたときの表情、ヤバイよ。

品川の廓からお話は始まりますが、この廓の雰囲気がまた良かったですね。先日「吉原手引草」を読んだせいか、岡場所を案内されているみたいで面白かった。柿色の壁が素敵でしたよ。
品川の遊郭を足抜けして静岡へ向かう道中も、宿場町やら杉並木やら懐かしくてするりと和む風景がまた楽しい。
箱根の杉並木で、じゃんけんをする3人のカットがとても良かったよ。

ところで、「てれすこ」というのは落語の演目なんだそうです(てれすこ-Wikipedia)。
3人の道中も落語の演目が織り込まれているそうなので、落語ファンには二倍おいしい映画なんでしょうね。生憎、落語の分からない私にはさっぱりさっぱりでしたよ。

あ、ワタシ的ツボは藤原直美さん。舞台の陰で慌てていた彌十郎さんも可笑しかったな。

やじきた道中 てれすこ

『河童のクゥと夏休み』

2007-08-30 00:33:17 | cinema
映画『河童のクゥと夏休み』をようやく観てきました。
アニメかぁ、河童かぁ、とも思ったんですが、よしおさんご推薦だけあって、ほんとにスバラシイ!!!
ええ、泣きましたよ。何度も何度も。でもね、その涙も悲しい涙や孤独な涙、悔し涙に喜びの涙と、たくさんの感情が溢れてきて、「お子様向けの夏休みアニメ」なんて括りはできない、いろいろと考えさせられる美しい映画でした。
映画館には、リピーターの子供たちも多かったらしく、映画が始まると「クゥちゃんだよ、クゥちゃんとお父さんだよ」なんて会話が聞こえてきましたよ。
私に子供がいたら、連れていくのになぁ。

さて、ストーリーを掻い摘むと、江戸時代の地震によって地中深く閉じ込められた子供カッパ(クゥ)が、小学生の男の子(コウイチ)によって偶然現代に蘇り男の子の家族と交流し、仲間カッパを見つける旅に出るが見つからず、やがてマスコミに巻き込まれて大騒動に…(詳しくは、下のリンクからどうぞ)。

クゥとコウイチの種を越えて芽生える友情を軸に、物語は子供たちのイジメや淡い恋心なんかを描いていきます。そして、マスコミに踊らされて舞い上がる人間の弱さや、他者を傷つけることでアイデンティティーを保とうとする醜さ、絶対的な孤独の中で打ちひしがれそれでも立ち向かってゆく強さを、全くあざとさを感じさせない展開でしかし強く心に訴えかけてきます。

もう一つの大きな軸は、人間が犯し続けてきた自然環境の破壊と土地の支配でしょう。
クゥが呟く「人間は、沼や池を潰して畑を作り家を建てる。その内に、空も山も川もみんな手に入れて、その代わりに魂を失う。」という言葉がいつまでも残りました。
さらに、ラストの「この土地の神様、しばらくの間ここに居させて下さい。そして、お腹を満たす魚を与えて下さい。」というクゥのお祈りもまた正しいのだなぁと思いました。

私は特定の宗教を持ちませんが、最近ちょっと考えているのは、無理矢理に宗教を選ぶとしたら、私が信仰するのは「八百万の神様」なんじゃないかってことです。「神道」というわけではなくて、もっと原始的なアニミズム的な意味合いの神様。
山や川や植物や動物のみならず、音や香りや空気なんかのそこかしこに神様(のようなもの)は居て、私たちを見守ってくれている。
小さな小さな神様達を大切にすることは、できるだけ自然のままであろうとすることでしょう。そういう風に、過ごしたいなと考えています。

大分話が逸れましたが、「自然を破壊して、魂を失う」というのはとても悲しい真実だと思います。
どこかの市長さん(だったと思う)が「縦割りの分業化された工業型社会では、決して幸せなまちは作れない。みんなが力を合わせる農業型社会へ戻るべきだ」と言っていたのを思い出しました。農業型社会なら、人と人との繫がりが回復して社会の歪みもなくなるのかもしれない、なんてスバラシイ市長なんだろう!と勝手に盛り上がっていました。
私たち人間が行ってきた文明という名の自然破壊は、もう戻し様がないのかもしれません。クゥたちにとっては、農業型社会も十分に自然破壊だったんですから。

なぜ自然を壊すことが心を病むことになるのか、上手く説明することはできません。
でもね、これって紛れもない真実ですよ。だって、美しい空を見ることや川の流れる音を聞くことでとても心が落ち着くでしょう。
その美しい自然を破壊して平気で居られるのは、どこかがおかしく捩れているからよ、きっと。その捩れが生む隙間から、心は少しずつ抜け落ちていくのかもしれません。

話があちこちしてしまい、まったくまとまりのない感想になってしまいました。どうも、自然環境がテーマだと燃えてしまうようです…。
『河童のクゥと夏休み』では、人間と自然とを鋭い目で見つめながらもとても優しく丁寧に描いています。最初は、若干気持ち悪いかも、と思ったクゥもとてもキュートに可愛く思えてきますよ!
夏休みも残り僅かですが、もし時間があったらぜひご覧になってくださいね!

『河童のクゥと夏休み』公式HP

『空中庭園』

2007-07-23 23:15:04 | cinema
角田光代さんの小説は、読んでいないのです。直木賞を受賞した『対岸の彼女』は、何度か手にしたことがありますが結局読まずじまい。本を開くこともなく図書館へ返却してしまいました。
同年代のなんとなく親近感を覚える彼女の小説を読んで、共感してしまうことが怖かった。ベストセラーとなった小説の読者の一人になることが、公園の砂場の一粒になってしまうことのようで嫌悪感があったんですね。まったくくだらない虚栄心。
原作を読むことなく映画『空中庭園』を観たんですが、非常に良かった。言葉の選び方やキャラクターにはやっぱり近しい感覚があって、きっとそれは原作者と私との類似性なのかな。
冒頭の、ゆらりゆらりと俯瞰する新しく清潔で明るい街のシーンから、美しいのに不安定で定まらないフィルムに完全に魅了されていました。

東京郊外の大きなダンチに住む、どこにでもいる普通の母親が主人公。「家族の間で隠し事をしない」というルールのある明るくオープンな家族。会社員のパパとガーデニングが趣味のパートタイマーのママ、高校生のお姉ちゃんと中学生で少し引きこもり気味の弟。
朝から、自分が授かった場所を尋ねるお姉ちゃんと、テレながらもちゃんと答えるママ。
何の悩みも無いように見える家族が実はそれぞれに秘密を抱えていて、その秘密が徐々に家族の上に形を成していき、やがて家族は…。

というなんとなくどこかで聞いたことのあるようなストーリーなんですが、これが面白い。
俳優さんたちが、いいんですね。
女にだらしない駄目サラリーマンのパパに、板尾創路。仕事をそっちのけで欲望のままに女に走る(しかも、足フェチのM)。うだつの上がらない風のくたびれたサラリーマンがぴったり。話はそれますが、芸人としての板尾さんも好きでしたー。今となっては懐かしい「ごっつええ感じ」の「板尾係長」が好きでね。そうそう、あの「板尾係長」を思い出させてくれるパパ役でした。
いじめられっ子と引きこもりの過去を持つ明るいママが、小泉今日子。キョンキョンの母親役なんてまるでイメージになかったけど、よかった!後半の虚ろな目や、雨の中のラストシーンが印象的。
パパの愛人(22歳)には、ソニン。彼女の気の強そうな顔や肉感的な体が、愛人にぴったり。家族の前でパパをこっそりいたぶるのが、すごく楽しそうでよかった。
ストーカーじみた危ないパパのセフレ(お祖母ちゃんがパパの携帯に出て「セフレさんからお電話よー。フランス人かしら?」なぁんてとぼけてるのがおっかしかった!)に、永作博美(特別出演)。フォークソング(なのかな?)を大音量で流して現れる黄色いニュービートルが最高!
お姉ちゃんは鈴木杏ちゃんで、弟くんは広田雅裕。杏ちゃんの少し鄙たいお顔、好きなんですよね。
お祖母ちゃんには、大楠道代。こんなカッコイイお祖母ちゃん、他にいないよ。刺青姿の瑛太も、キレてていい。

舞台になるのは、家族の住むマンションと、ニュータウンと、ラブホテル「野猿」。
シュールにクレイジーなんですよ。
パパとママが子供を作ったラブホテルに、今はそのお姉ちゃんとボーイフレンドが、パパとセフレさんが、パパの愛人と弟(とお祖母ちゃん)が。
お姉ちゃんの裸が載っている雑誌をパパは見てるし、パパの愛人は家庭教師として弟くんを教えてるし。
小さな歪みがどんどん大きくなって、やがて暴発してしまうのね。

でもね、大丈夫なんです。
多少歪んでいて不恰好でも、やっぱり家族なんですね。
ずぶ濡れでくたびれたパパが、子供たちに言う台詞が素敵です。
ほら、女好きで遊び人のパパでしょ。もう、どうしようもなくいい加減な人なんですよ。愛人を追いかけてばかりいるような人なのね。
そんな彼でも、彼なりに家族を守っているんです。
潔癖な人には受け入れられないかもしれないけど、いい加減なパパがいい加減の枠の中で、精一杯家族を思っているんです。
だから、いい加減な私は「ま、いっか。」って飲み込んでしまうんです。

映像が、なかなか刺激的でした。
冒頭のゆれる街並みから、マンションが回転して空に描かれる「空中庭園」のタイトルがとても素敵で、ママの育てているベランダの植物や青い空なんかもほのぼのときれいで、癒されてしまいます。
一方で、マンションに流れる黒い血のような雨とか、ママに降り注ぐ血の雨とか、ぞぉっとするようなシーンも出てきて、対比が怖かったです。
ストーリーをなぞるだけじゃない説得力がありましたね。

音楽も良くって、主題歌はUAでした。
公開前に監督が覚醒剤所持で逮捕されてしまったんですね。で、公開がドタバタしてしまったようですが、もったいなかったなぁ。
いい映画ですよ。
この映画のいい部分が、薬物使用とは関係なく創造されたものであるものと願いたいです。

空中庭園HP


ところで、少し前にマイケル・ウィンターボトム監督の『24アワー・パーティー・ピープル』を観たんですが、こちらはバリバリにドラッグを映像化した映画でしたね。
マンチェスター・ムーブメントを疑似体験させてもらいました。音とクスリと女とダンス!それだけで一時代を飛んでしまったパーティー・ピープルたちの強烈な光を浴びて、ノックアウトされました。
サントラ欲しいなぁ。