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病と医術の歴史 10: 古代メソポタミア2

2013年09月22日 | 連載中 病と医術の歴史

< 没薬(もつやく):鎮静薬、鎮痛薬、ミイラの防腐剤 >

都市文明誕生の紀元前3千年紀から紀元前1千年紀中頃までのメソポタミアを見ます。




< 肥沃な三日月地帯 >



< ウルのジグラッド:神殿跡、前21世紀頃 >

医 師
国家が医療を管理し、治療者は王宮や国家に仕えていた。
治療者は三階級あり、分担が決まっていた。
最上位の聖職者が患者の診断を行い、次いで祈祷師が悪霊を追い払い、最後に医者が薬を与える。
治療者は神殿で教育を受け、粘土板文書から医学を学んだ。
彼らの多くは有名で金持ちとなった。



< 古代メソポタミアの怪物と太陽神 >

病気の認識
経験主義的な側面もあったが、病因のほとんどは神や悪魔の罰とみなされた。
治療は加持祈祷が重きをなし、薬にも魔力があると考えられていた。
重要な疾病、ペストは「ナムタルウ」、流行病は「ネルガル」などの神の名で呼ばれた。
悪魔ネルガルがハエの形をしていたのは、ハエが夏に猛威を奮う病気を媒介していると認識されていたからです。



< 医療行為 >

治 療
古くからの定式化された医学便覧を用い、結核や黄疸等のように診断を的確に把握出来たものもあった。
しかし病人を診るより、動物の内臓占いで診断されていた。
占い師は、屠った羊の肝臓の状態から患者の病気を判断し、未来の予言にも使った。
写真の肝臓模型は神官の手引き書であり、ト占学校でも使われた。
肝臓は血液に溢れ、生命や魂の中心と考えられていた。



< 羊の肝臓占いの模型:バビロニア、前19世紀頃、粘土製 >

一般的な処置として香油塗擦、マッサージ、沐浴、湿布、浣腸などがあった。
外科治療は外傷、骨折、白内障、一部には結石と膿瘍手術も行われた。
当時、青銅のメスや手術用のノコギリ、穿孔ドリルもあった。
歯科治療は盛んで、虫歯は虫によってひき起こされていると信じられた。
抜歯や歯痛止めの薬、義歯も行われていた。



< 犠牲獣奉献: マリの神殿跡、前2500年頃 >

薬 剤
薬は煎じ薬、粉薬、燻蒸剤、浣腸剤、下剤など250種類の薬草と、明礬、銅、粘土、磁鉄など120種の鉱物薬が利用された。
薬剤は多くの場合、星の運行によって決められた時刻に与えらえた。
最もよく知られた薬剤は、月桂樹、アロエ、大麻、シナモン、ヒマシ油、没薬、カラシ、オリーブなどである。
医者は疥癬(皮膚病)の殺菌に硫黄を使い、うつ病や神経痛には大麻を使い、肺炎の場合には麻の種の湿布を貼った。



< 没薬はイエス誕生時に訪れた三賢人によって黄金、乳香と共に捧げられた。 >

まとめ
メソポタミアの医術はまだ祈祷・呪術による限界があったが、膨大な知識の蓄積と実用の段階に達していた。エジプトやイスラエル、ギリシャ、インドの医術に影響を与えた。しかし前6世紀のアッシリアとバビロニア帝国の崩壊と共に停滞することになる。この地の医術が再び脚光を浴びるには1千年後のアラビア医学を待たなければならなかった。





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