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仏像を巡って 28: 中国の神像の始まり 6

2015年07月25日 | 連載中 仏像を巡って

< 1. 道教の聖地茅山、大きな尊像が見える >

今回は、道教の尊像が誕生する瞬間を追います。
それは仏教が盛んになった後に起こりました。


道教の尊像の誕生


< 2. 三尊像 >
実は、この内、一つは仏像で他は道教像なのです。
見分けがつかないぐらいよく似ています。

図J: 道教三尊像、北魏、6世紀初め。
単独の像としては初期のもの。

図K: 道教三尊像、北周、6世紀中頃。

図L: 仏教三尊像、北魏、4~6世紀。

道教像の特徴は、頭上の冠、団扇状の払子、脚三本の曲がった机にあります(図KとOで明瞭)。




< 3. 道教の三尊像 >

仏教では如来が三つ並ぶことはありませんが、道教ではほぼ同格の「天」(最高神)が並びます。
但し、やはり真ん中は一番格が高い。
尊像の種類は道教の宗派や道観(寺院)によって数多くあります。
日本なら、中心にあるのは釈迦像が決まりですが、中国では様々なようです。

図M: 龍山石窟、山西省、唐、8世紀。
仏教には巨大な石窟は多いが、道教のものは小さく少ない。
この石窟は9窟のみだが、仏教の龍門石窟(前回の図I)には1400窟もある。

図N: 龍山石窟第5窟、8世紀。
冠を除けば如来像と同じ。

図O: 道教三尊像、太清宮、上海。
左から太清道徳天尊(老子の神格化)、玉清元始天尊(最高神)、上清霊宝天尊(「道」を神格化)です(三清の場合)。


大きな信仰の変化が起きていた
紀元1世紀に仏教は伝わっていたが、当初、あまり受け入れられませんでした。
それは仏教が漢民族の死生観に対立する輪廻転生説と異民族の宗教だからでした。
ところが、後3世紀頃以降、三国時代(魏蜀呉)の戦乱とその後の異民族(北方騎馬民族)による戦乱が続くと、信仰に変化が起こりました。
官吏の道徳を説くだけの儒教は衰退し、祈祷による不老長寿や病気平癒を説く道教に人気が出て来ました(太平道、五斗米道)。
同時に、中国北部に幾多の国を興した北方民族(北魏など)は理路整然とした仏教を取り入れました。

その後、仏教と道教は競い合いながら信者を増やしていき、幾多の王朝がそれぞれを国教や禁教にしてきました。
このようにして、渡来した仏像が先行し普及し、それを真似て道教像も造られていきました。


次回は、神像誕生の背景にある信仰と宗教の不思議を見ます。





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