そらのはじまり

昔オノヨーコが書いてた。「そらはどこから始まると思う?」「わたしたちの足元からよ。アリにとってはここがもうそらなのよ。」

人っ子一人いないように見えても

2013年08月17日 | 日記
わが部族の考えでは、この土地のありとあらゆる部分が神聖である。
どの丘、どの谷、どの草原や木立も、遠い昔の悲喜こもごものできごとを経つつ、神聖なものとされてきたのだ。
あなたがたの踏んでいるその土は、われわれの足に踏まれたときの方がうれしそうだ。
なぜなら、この土はわが祖先の血によって肥やされているし、われわれの裸足は優しい触れかたを知っているからである。
しばしここで暮らし、喜びを感じたなら、幼子たちでさえこの土地の仄暗くひっそりとした感じに心ひかれ、夕べにはこの世に戻ってきた影のような精霊たちと出会うだろう。
いつか最後の赤い人が死に、わが部族の歴史が白人の間で神話になるときが来たら、この岸辺には、部族の目に見えない死者たちがたむろしているだろう。
あなた方の子孫が、野原だろうが街道の店の中だろうが、あるいは道なき森の静けさの中だろうが、自分たちしかいないと思っていても、けっしてそうではない。
夜、あなた方の町や村の道路が静まりかえって人っ子一人いないように見えても、かつてここにこぞり、今なおこの美しい土地を愛する主たちが戻ってきて、群れをなすだろう。
白人しかいないということには絶対ならない。

わが部族には公正に、親切に接していただきたい。
死者は無力ではないのだから。
私は「死者」と言ったか?
実はわれわれには「死」などない。
ただ住む世界を替えるだけだ。

ーシアトル  ドウォミシュ族

( 「INDIAN SPIRIT」 めるくまーる)より

にわとりを食べる

2013年08月17日 | 日記
トリを殺した

みんなで殺した

茶色いにわとりは 動かなかった

2人がかりで押さえ込まれ(温かかった)

静かに待っていた

自分が殺されるのを


ひとりがとうとう

やるよ、と小さくいって 長い腕でその首をひねった

包丁で首を切った (なかなか切れなかった)

血を抜こうとしたが 

まだ死ななかった

ばたばたもがいた

早く殺してあげて!と 誰かが口走った

バケツの中でKの手が(みんなの手が) バタつくにわとりの首をもう一度必死でとどめをさした


死んだ

誰も何も言わなかった


あの長い沈黙を みんな忘れないだろう

  
*****

学外実習でトリを殺した。
庭を追いかけて捕まえ、殺し、解体し、腸をていねいに洗った。
殺してしまってからはみんな楽しそうだった。

内蔵はすぐに煮つけておいしくいただき、肉は一晩おいてから、直火で焼いたりダッチオーブンで野菜と一緒に蒸し煮で食べた。

一番美味しいのはスープだった。
肉は固かった。
親鳥だったからかもしれない。
わたしたちのやり方が悪かったからかもしれない。

スーパーのお肉はどうしてあんなに柔らかいんだろうと思った。

とても固かったが誰も文句を言わずに楽しく食べた。

みんなでつくって食べるのはとても楽しかった。




こんな世界をつくりたい

2013年08月16日 | 日記
私はこんな世界を作りたい   K

教育は先生と生徒の区別がない。大人と子どもがお互いに学びあう場所。
大人はこどもをそんけいし、子どもは大人にかんしゃする。
そんな世界をつくりたい。
自然はいつも美しく、人は自然にいやされる。
自然はいつも恵みをくれるから、人は自然の一部となる。
そんな世界をつくりたい。
人は人を愛すが、一つとして同じ愛の形はない。
人が人を愛すのに何も理由はいらない。


〈解題〉
とかいに住むのも田舎に住むのもオレにとってはあまり変わらない。
オレはやりたいことをやるだけで、やりたくないことはやらない。
自分を表現する。そのためのフィールドを求めて人は動くのだと思う。
オレはまだ周りを気にせず自分を表現しきれるほど強くはない。
とかいじゃ学歴がないと不自由。
いなかじゃ男らしくないといけない。
今の世の中、もしくは自分は、だれかの下につかなきゃ生きられない。
そんけいしていない人にけいごをつかいたくない。
自分だけが正しいと思って人を否定して自論をふりまわす大人をなぐりたい。
だれもが自由な、自分の生き方ができればいい。
理想の生き方をオレに問うな、自分で考えろ。


*****
今年もESD学外実習の最後に創作叙事詩とその解題を書いてもらった。
これはK君の詩。許可を得て転載。






浪板海岸2~バス停のおばあさん

2013年08月15日 | 日記
浪板海岸バス停。

おばあさんがひとり。
一緒にバスを待ちながら、この辺も大変だったんですか?と声をかけると、にこにこしながらいっぱい話してくれた。

いっぱい話してくれるが、まるで外国語を聞いてるよう。
ところどころ単語がわかるのであとは想像しながら聞く。

このあたりまで波がきた。2回来た。
波がくる前はあの島(指差してくれたがずーっと向こうの島)まで海が引いた。そんなことは初めて。
海の底は真っ黒だった。恐ろしかった。

あそこ(近くの島)には弁天さまがいた。
(弁天さまがどうなったのか、わかりそうでわからなかった。ごめんなさい。)

バスが来た。

おばあさんは、「中央公民館入り口」で降りた。
バス停の前には、プレハブのそば屋と自動販売機が1台。

おばあさんはどこに行ったろう。

ただの旅人のわたしには、おばあさんの地図が見えない。







浪板海岸

2013年08月15日 | 日記
岩手県大槌町の浪板海岸を見下ろす民宿に泊まった。

夜遅く着いたので、朝起きて海岸を歩いた。
正確に言えば、海岸はもうなくて、よく花火を見るためにしつらえてあるようなコンクリートの広い階段に腰をおろし、打ち寄せる波を眺めた。

宿に戻ってご主人に、ずいぶん沈んだんですねえというと、小さな写真を手のひらに包むように見せてくれた。

前はこんなだったんだよ~。

人でにぎわう松原の海水浴場だった。

色褪せてひびがいっぱい入った、あまりに小さな写真なので、昭和40年代の写真と思ってみたが、あとで考えると、これしか残らなかったのかもしれない。
もしかしたら数年前の写真なのかもしれない。


何が言いたいわけでもない。

ただ、その穏やかなご主人と写真の小ささが胸に残っているだけ。