そらのはじまり

昔オノヨーコが書いてた。「そらはどこから始まると思う?」「わたしたちの足元からよ。アリにとってはここがもうそらなのよ。」

玉ねぎ

2011年09月27日 | 日記
今日は、藤田地区のESD活動で、3つの小学校一斉のフィールドワークがあった。
昨年度に続いて2回目の取り組み。

社会科で日本の農業について学ぶ5年生が、藤田地区の農業についても調べ、インタビュー内容を考えて、学区のさまざまな農家にグループごとにインタビューに行く。
農業高校である興陽高校の生徒や岡山大学の教育学部の学生、保護者や地域の人たちもサポートする。

以前も書いたが、藤田は明治以降、食糧増産のためつくられた広大な干拓地で、今の小学生のおじいちゃんたちは、干拓地の苦労を子どもの頃に体験している。
しかし、たった3世代で、社会は大きく様変わりしてしまった。
おじいちゃんたちは現役でがんばっているが、子どもたちは田んぼの手伝いをしたこともない。

この子たちがおとなになるころはどうなっているだろう。
藤田の未来、農業の未来はどうすればいいのか。
地域の人と一緒に考えよう。
それが藤田のESDのテーマ。

私は第二藤田小学校のグループについて行った。
訪ねるのは、この地域の代表的な農産物である玉ねぎ農家の茅原さん。
藤田の玉ねぎは柔らかくて甘いのが特徴。

農業に縁のなかった私は知らないことばかり。

ーどうして玉ねぎをつくっているんですか?
その方が儲かるから。

玉ねぎは米の裏作としてつくる。
11月に植え付けて、4月から6月に収穫。

米は1俵7000円だが、麦は1500円。(今年は雨が多くて品質がよくなかったため)
10アール(1反)の田んぼの裏作に麦をつくっても5万6千円にしかならない。
(この中から肥料や農薬代を出す。これでは誰もつくらないので、政府から補助があるそうだ。)

ー玉ねぎだと、10アールあたりいくらになるでしょう?
答え・・56万円。

その代わり、朝は3時半に起きて作業して、朝ご飯を食べるのは8時半。
1日10時間は働く。

ーこれからの藤田をどうしたいですか?
麦と玉ねぎで藤田をグリーンのじゅうたんにしたい。
昔はそうだった。
金甲山から見ると、春には麦の若穂で一面淡い緑に染まっていた。
いつかまたそうしたい。

ーどんな思いで玉ねぎをつくっているんですか?
野菜はすべてかわいい。
手をかければかけるだけ応えてくれる。
人間だと反抗期もあるが、野菜はつくる人の気持ちになって応えてくれる。


ー玉ねぎは、むいてもむいてもまた皮。マトリョーシカみたい。どうしてですか?
玉ねぎはユリ科の植物。
葉っぱがふくらんだところが玉ねぎです。
玉ねぎはたいてい7-8枚の葉でできるから、8枚むいたらなくなるよ。
私は9枚だが、10枚つくれる人もいる。
10枚の人の玉ねぎは1個300g。

昔は米が足らなかったから米に麦を入れて食べていた。
今は身体を動かさなくなったので量を食べなくなった。
(私が5年生の頃は5杯おかわりしてました。今のように立派なおかずはなかったから)

米は大事にしなければならないけど、米と麦だけではもうだめ。
いろんな野菜をつくって地産地消して、余ったら関西に送ればいいと思う。

そう言って、茅原さんは丹誠込めた自分の畑に案内してくださった。

淡い緑の糸のような苗がみんな空を向いてきれいに並んでいた。



子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク 代表中手聖一さんのお話

2011年09月26日 | 日記
子ども未来・愛ネットワークの活動で、「放射能から子どもたちを守る福島ネットワーク」の代表中手聖一さんのお話をお聞きしたので報告します。

以下中手さんのお話

まず、多くの困難を乗り越えて岡山に避難して来られた方々とそれを支えてくださっている方々にありがとうございますといいたいです。子どもたちのために。

これまで6万人以上が県外に避難したと思われます。
そのうち半分が子どもたちとすると、3-4万人が子どもたち。
圧倒的に母子疎開が多いです。
しかし、もともと汚染地帯(こういう言い方は自分でも苦しいのですが)には30万人の子どもたちがいたので、9割は取り残されている状態です。

3月4月は、不安ではあるが避難の必要があるかどうかわからないという状況で、その中で避難する人は変人扱いでした。しかし5月6月とだんだん避難する人が増えてきました。

自分で一番予想がはずれたことは、こんなにも人は避難できないものなんだということです。
そして、それがおそらく放射能事故の特徴でもあり、自分が甘かったなと思っていることです。
津波ならば目の前に見えるので誰でも逃げるのですが。

みなさんに言いたいことは、まだ全国にこれだけ原発があります。
もし事故が起きたら、とにかく、わけのわからない段階で逃げてください。
そして、外から自分の土地を眺めてください。
その結果、ああ取り越し苦労だったなあと思えば戻ったらいいのですから。
中にいるとわからないです。
大丈夫と思いたい圧力がすごく強いのです。

双葉町というところは、町がまるごと埼玉県に引っ越しました。
町長さんに先日お会いしましたが、自分は間違っていなかった、外から眺めてよかったと言っておられました。

今でも福島では、子どもが外で遊ぶ姿は見られません。
この夏休み、6-8万人の子どもたちがキャンプなどで県外に出たと言われています。
プールに行くと、福島の子どもはすぐにわかったそうです。真っ白だから。
外で遊べず体力がないので、最初は現地の子と対等に遊べなかったそうですが、帰るころには同じように遊べるようになったそうです。

2学期が始まりまた通常の生活に戻りました。
凍結されていた人事異動があり、若い校長先生に代わったところでは、体育や運動会を強行する学校もあり、それに対して一部の親が抗議したり、体育を見学させるなどの動きもあります。

半年経って、もういまさら避難する人はいないだろうと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。
親たちは悩みの中にいます。
避難させたいと考える親はむしろ増えています。

内部被ばくや健康被害のこともあり、今まで以上に切ない話をしなくてはならなくなりました。

グリーンピースのイリーナ・ラブンスカさんや、チェルノブイリ救援・中部の方を招いて勉強会も行いました。

イリーナさんはキエフで研究されている方ですが、子どもたちに健康被害がいつごろから、どこで出始めたかはわからないそうです。
ただ、2年も経った頃には、これはおかしいと、誰もが気がつくようになったそうです。
気がつくと子どもたちの半分以上が病気になっていた。
それは、風邪がなかなか治らなくて肺炎になる、体力がなくなっていくというような現れ方だったそうです。

事故当時のソ連は、30キロ圏内は強制避難をさせましたが、30キロ以遠には全く知らせなかったので、3年間というもの、そこに住む人たちは全く何の対処もしなかったそうです。
これはおかしいということになり、政府の役人が来て調べる、あっちでも調べる、こっちでも調べるという風にして汚染マップが作られたそうです。

チェルノブイリ救援・中部が支援しているウクライナのナロジチ地区では、事故の2年後と事故の3年前を比べると子どもの有病率は8倍になったそうです。
(ナロジチ地区の汚染レベルは福島の中通りと同じレベルです。)
病気といってもガンや先天性障害はわずか、一部でしかありません。

5人で10個の病気を持っている。
5人にひとりしか健康な子どもがいない。
5人子どもがいるとして、ひとりめは健康だが、2人目は1つの病気、3人目は2つ、4人目は3つ、5人目は4つの病気を持っているというような状態です。

福島も何もせずにいると(それはありえないですが)そうなってしまうかもしれません。

あれだけおとなしくて、我慢するだけが取り柄のような福島人が、これではいけないと声を上げ始めました。
一日も早く避難政策の拡充を実現させなくてはなりません。

私の家のまわり(渡利地区)は1マイクロシーベルト/時、家の中でも0.6マイクロシーベルトで、
自分は家にこもるのが好きなタイプですが、それでも3月からだと10ミリシーベルトはくだらないかもしれません。
チェルノブイリでは、5ミリシーベルト/年以上で強制避難でした。
しかし、本来、日本ではどこに住んでいても1ミリシーベルト以下で安全にくらす権利が誰にでもあるのです。

汚染は福島だけではありません。
関東も無縁ではありません。
食べ物はもう全国に流通しています。

福島では、医者が誰も協力できない状況にあります。
ですから私たち市民の手で健康被害を明らかにしなければなりません。

次の避難のピークは、年度替わりではないかと思われます。
それまでにどんな支援ができるか、それまで食べ物はどうするか、手を打っていかなければなりません。

広島には「語り部」の方達がいます。
この原発事故の語り部は、全国に散らばって避難した人たちだと思います。
地元の人と力を合わせて一緒に取り組んでほしいです。

食べ物の汚染ですが、目指すところはもちろんゼロです。
しかしそれはもう不可能になってしまいました。
産地はあてになりません。
放射能そのものを管理しなければならないのです。
生協などで、独自に調査して販売しているところも出ています。

不安から身を寄せるようにして集まった私たちの会のメンバー間にももちろん温度差はありました。
すぐ避難させるという人から、まず勉強してという人から・・
でも私たちは、何も優先させないということを原則にしました。
何でもすべてすぐ今から取り組もうと決めました。

支援も同じでよいと私は思います。
いろんなことを考えるときりがない。
難しく考えなくていい。

福島に岡山の農産物を送ると福島の農家の人たちを苦しめるのではないかというご心配もいただきましたが、気にしないでください。
送ってもらった野菜を食べた子どもがその分汚染から守られるということです。
人間ですから多少はいろいろあるでしょうが、基本は福島の農家も誰もみんな安全な食べ物を食べさせたいだけです。

ただし、行政が住民の流出を止めるために始めた除染は別です。
思うようには下がらないし、だからといって2回目はもうできません。
1回目に出た廃棄物をこっそり市の処分場に持って行ったのがばれて、住民が怒りました。
今仮置き場ということにしていますが、処分法がないのです。

放射能がれきの搬入もきっぱり断ってください。
発生した放射能はその場所で処理するのが原則です。
拡散させないでください。

子どもたちの健康被害の訴えは、今はあまりないです。
5月頃、鼻血が止まらないという時期がありましたが、あれがピークでした。今は体力低下の方が多いかもしれません。
よく聞くのは、外から入った人や久しぶりに戻った人が、肌がぴりぴりするとか、喉が痛いとか、違和感があるという話です。
気のせいとも言われますが、みんな同じことを言われるので何かあるのではないかと思います。

岡山の人が福島に行ってできることは何かという質問ですが、むしろ、福島に来て、肌で感じてほしいです。
こんなに見た目は普通で他と変わらない町がこうなっていること。
現地の人と話し、想像力を働かせてつながりあっていくことが大事だと思います。

地元でできることはという質問ですが、このようなことに関心のある方はこれまでも何かされていた方が多いと思います。
そのことを何よりがんばってくださいと言いたいです。
そして、目の前の原発を止めるようにしてください。

私は今では、脱原発すら対立軸ではないと思っています。
欲やお金でつながった人たちと、それに反対する市民が対立軸です。


(文責:原 明子)

グリーンエコノミー(リオ+20つづき)

2011年09月15日 | 日記
この会議に一部参加させてもらって、大半はいろんな意見が出るのをなるほど~と聞いてるだけなんですが、ところどころ心に残ったことを落ち穂拾いのように書きますね。

経済のグリーン化(グリーンエコノミー)というのが、リオ+20の大きなテーマです。
グリーンエコノミーって何でしょう?
環境を守り、貧困をなくす経済活動・・??

この会議の事務局となっている三菱総研の方に言わせると「20年前はよい時代だった」そうです。
今は当時とは比べものにならないほど経済にも課題が山積。
(環境問題も山積。社会問題も山積・・。一体世の中ってどんどん悪くなってるんでしょうか・・?)

そんな中で出て来たのがグリーンエコノミーという言葉のようですが、正直なところ、私にはよくわからないのです。
一見きれいな言葉ですが、具体的にはどんなこと?(まるでESDと同じですね!)

と思っていたら先日の会議で、日本水フォーラムというところの方がこんな発言をされていました。
自分も今までグリーンエコノミーというのがよくわからなかったが、最近腑に落ちたことがある。
それは、インドの事例。
インドにはたくさん大金持ちがいて、その人の家にはさまざまなインフラが整っている。水事情も同じ。
ところが、そういうインフラが整ったところのまわりには貧しい人たちが集まってくる。水を求めて。
そして盗水をする。
すると、せっかくのインフラが破壊されていく。

困ったあげくに、貧しい人たちから、わずかだがお金を払ってもらうことにした。
すると、対価を払うことで、その人たちは盗人でなくなり、インフラも守られるようになった。
それは実は、その人たちの、人としての尊厳を守ることだった。
これがグリーンエコノミーということかなと思ったと。

ちょっときれいすぎの気もするけど、そういう話でした。

みなさんはどう思いますか?

私は、6年前にESDに携わるようになってから、ESDって何だろう、何をすればESDなんだろうとずっと毎日考えていました。(会う人ごとに聞かれるから)

今では私なりの考えがありますが、今思うことは、
すぐに答えが出なくてもいい。
わからないことを考え続けることが大切。
なんだろう、どうすればいいのだろうと問い続けることに意味がある。
(そのうちいつか、新しい地平に立っている、少し変わった自分に気がつくが、まだ問いは遠く続いている。)

ESDって、そういう風に問い続ける人を増やす取り組みとも言えるかもしれません。

グリーンエコノミーもそういう類いの言葉かなと思います。

リオ+20

2011年09月14日 | 日記
「リオ+20」という国際会議が2012年6月4~6日、ブラジルのリオデジャネイロで開かれます。

これは、1992年に同地で開かれた「環境と開発に関する国連会議(通称:地球サミット)」から20年後の来年、同地で開催されることとなった国連の会議のことです。

(地球サミットといえば、カナダのセヴァン・スズキという12歳の少女が、「どうやって直すかわからないものをこわし続けるのはやめてください」と、居並ぶ「エライ」おとなたちに向かってスピーチしたので有名です。http://www.youtube.com/watch?v=C2g473JWAEg)

この会議で採択された「リオ宣言」を行動に移すための500ページにわたる行動計画を「アジェンダ21」(「21世紀への課題」という意味)といい、その36章で、持続可能な開発のための教育(ESD)の重要性が明記されたのです。
http://www.erc.pref.fukui.jp/info/a21.html

その10年後の2002年には、南アフリカのヨハネスブルグで「持続可能な開発サミット」が開かれ、日本のNGOの提言を受けた日本政府が、「持続可能な開発のための教育(ESD)の10年」を提唱し、それが国連総会で採択され、今に至ります。

「リオ+20」に意見を言うためには、今年の11月1日までに国連に提出しなければなりません。
国連というのは、「国」が参加する機関なので、それぞれの国が意見を言うのはもちろんですが、それ以外にも意見を募集しています。
バラバラに送るより、まとめて提出する方が読んでもらえる可能性が高いからだと思うのですが(?)、日本の民間の意見を1本にまとめるため、「リオ+20国内準備委員会」というのが、9つの主な分野(グループ)から43団体を集めてつくられています。
http://www.mri.co.jp/SERVICE/thinktank/kankyou/2030913_1458.html
(日本からは、政府とこの準備委員会からとの2本立てで意見が提出されることになります。しかし、もちろん国が言うのが一番だそうです。)

その準備委員会に岡山市は「RCE(国連大学の認定するESDを進める地域拠点)」の中から「地方自治体」として推薦され委員となっており、この間2回ほど上司の代理で参加したので、少し報告させていただきますね。
(前置きが長くてすみません^^)

ちなみに、9つの主な分野(major group)というのは、国連が意見を聞くこととしている分け方で、
1 企業・産業
2 子ども・若者
3 農業者
4 先住民
5 地方自治体
6 NGO
7 科学技術コミュニティ
8 女性
9 労働者・労働組合
です。

(つづく)



満月

2011年09月12日 | 日記
今夜は中秋の名月。
明るく光を受けた鏡のようです。

私と月とは、物質としては、想像できないくらい遠く遠く離れているというのに、
人は月を見るとき、まるでそれが自分だけの大切な友人であるかのように胸の中に感じているでしょう。
不思議ですね。
太陽はみんなのものなのに。


何億光年の宇宙の中で
鈴虫がリンリン鳴いて静かな夜です。