夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

鳩山元首相と民主党の「世界市民主義」

2012年11月09日 | 政治・経済

 

人間が、その思考力によって、その抽象化する能力によって、個別的なフランス人や日本人、ドイツ人、アメリカ人などの個別的な人間を越えて、人間一般として捉えるようになったことの意義と限界をヘーゲルは『法の哲学』のなかの一節に述べている。

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「万 人同一な一般人として「私」が把握されるのは、教養に、すなわち個人を一 般性の形式によって意識する立場としての思考に属することである。人間がこのように一般人とみなされるのは、彼が人間であるからであって、彼がユダヤ教 徒、旧教徒、新教徒、ドイツ人、イタリア人等であるからではない。

―― この一般人という意識、これが思想の段階なのであるが、これの重要性についてはどれほど言葉を尽くしても過言では ない。――ただこの意識に欠陥があるとすれば、それが世界市民主義となって、具体的国家生活に対立するように固定される場合のみである。」『法の哲 学§209』

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こ のヘーゲルのいわゆる「世界市民主義」が具体的国家生活としての日本の国益を阻害するものとして現れた具体的な事例として、鳩山由起夫や菅直人、岡田克也 氏ら、民主党の外交政策に見ることができる。戦後民主主義の現行憲法の許に教育された民主党の政治家たちの「世界市民主義」 が日本の国益を損ねている現状を確認できるのではないだろうか。

とくに鳩山由紀夫氏の「世界市民主義」は、氏独自の「友愛」と して現れ、それはさらに無分別な「東アジア共同体」構想 として現象して、日米安保同盟にヒビを入れて、日本の国益を大きく損なうことになった。中国の尖閣諸島侵犯に対する菅直人氏の屈従的姿勢の背後にも、この 「世界市民主義」がある。

この人間の思考による自己把握、抽象的把握の結果として生じる「世界市民主義」に関連する観念として、「人権」の問題がある。それについては「世界市民主義」と同じく、さまざまな問題点を含んでいると思われるけれども、また別の機会に考察してみたい。

 

 

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