トンヤイの個人ブログ 立正佼成会館山教会の一会員

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立正佼成会仙台教会からの声-2(20110312)

2011年04月16日 17時24分27秒 | 震災日記

<3月12日>

停電は続いていた。電話は通じない。周りで何が起きているのか分からない。
ラジオでは大津波があった事を伝えていた。被害詳細は不明だ。
朝、必要な物を買いにスーパーに行った。街は静かだった。
停電で店内には入れず、食料品を店頭に運び出していた。
ならばずに欲しい物をいくらでも買えた。不安から何でも欲しくなり
カートにたくさん入れた。娘にそんなに要らないと戒められた。
自宅の分で1カゴ、実家の分で1カゴだけにして残りは返した。
帰り道、他のスーパーはどこも長蛇の列ができていた。
2日目の午後になり、皆大変だと気づいたのだ。

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立正佼成会仙台教会からの声-1(20110311)

2011年04月16日 17時19分02秒 | 震災日記

<地震発生>

今日は岩手への出張が中止になり、午前中は市内のお客さん、昼は教会に
お参りに行った。法座席では100人以上のお役の方が研修を受けていた。
会社に戻りパソコンに向かっていると、携帯電話の緊急地震速報の
ビービーという音と同時にフロアが大きく揺れ始めた。イスから離れ
激しく揺れる机につかまり、抑えながら耐えた。何もできなった。
皆、机にもぐったりしゃがみ込んでいた。
地震は恐ろしく長く感じた。ビルが壊れるかもと思った頃にやっと
止まった。間もなく電気が消え非常灯に切り替わった。
フロアは倒れた物は無く、けが人もいなかった。
「避難場所へ移動だ」誰かが叫んだ。


避難場所は近くの小学校。外に出ると隣のビルの外壁が全部はがれ落ち、
歩道をふさいでいた。小学校の校庭は避難する人でみるみる一杯になった。
余震で校庭が揺れる。まわりのビルが揺れる。携帯電話のテレビをつけた。
お台場で黒煙があがる映像に津波警報のテロップが重なって映し出されていた。
やっと大災害である事を認識した。1時間ほどで社員の安否確認が終わった。
解散の指示がでた。寒い。雪が降ってきた。


災害時は携帯電話の通話は使わない。非常時は家族は自宅の近くの小学校
に集まる事に決めてある。携帯電話のメールを使ってみると通じた。
すぐに全員の無事が確認できた。ありがとうございます。
息子は自宅にいた。交通網は麻痺しているので車で迎えを頼んだ。
途中で娘も拾えた。人々は雪の中、黙々と歩いて自宅を目指していた。
信号は消えていたが、大きな地震のわりには被害は少ないことが予想された。
このときは、あの津波の大惨事はまだカーラジオで報道されていなかった。
その日は停電の不安な夜を過ごした。みんな無事だろうか・・・

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立正佼成会仙台教会からの声-33

2011年04月12日 08時00分23秒 | 震災日記

4月11日

<悲しみ>

今日は津波で亡くなった仲間の告別式だった。炊き出しで笑顔でお給仕をしていた学生部さんのお父さんだ。お別れの言葉は大好きなお父さんを慕う気持ちに溢れていた。辛く悲しい式だった。
私のそばでは、同じ地区で、まだご主人の行方が分からないご婦人が壁に顔を押し付けて静かに泣いていた。
今回の災害で何千、何万の悲しみが生まれた事だろう。
今までは被害の大きさにただ圧倒されていたが、これからは悲しみが津波のように押し寄せてくる。
何もできない。一緒に悲しみ、そばに寄り添うことだけだ。

 

トンヤイさん
今日は地震が多いです。
千葉も揺れてますね。
お互いさま気をつけましょう。

今日のコメントはどうしても今日
書きたかったのです。

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立正佼成会仙台教会からの声-32

2011年04月10日 23時31分07秒 | 震災日記

4月10日

2011年3月11日14時46分

その時、仙台教会では主任教育、スタッフ研鑽会が行われていた。
通常は別々の教育がこの日は合同で実施された。
主任、会計、支部長、各部長、各部スタッフが一堂に会し、
教会長さんのご指導を頂戴していた。
仙台を救う菩薩たちが勢ぞろいして、仏さまの説法を聴いていたのだ。
そして、地震が発生した。皆お題目を唱えて無事を念じた。
地震が治まると、菩薩たちは皆さんをお救いするために各地に飛んだ。
仙台教会が地震の直後から会員さんの安否確認や近隣への炊き出し等、
人さまのための行動ができたのは、成るべくして成ったのだ。
その働きは1ヶ月経った現在も途切れることなく続いている。
そして今後もずっと仏さまの世界が展開されていくだろう。

トンヤイさんありがとう

明日で1ヶ月です。あの地震を経験し、津波の被災地の近くにいるものとして、
善友であるトンヤイさんに現状や自分の気持ちを毎日お伝えさせて頂きました。
お陰さまで、お伝えする事で自分の1日を反省し、心を見つめ直すことができました。
ありがとうございます。お伝えしたい事実はまだまだあります。
これからは不定期になりますが、気づかせて頂いた事をお話させて頂きます。

又、日本中の人や、世界のさまざまな地域の方から東北地方に応援を頂いている
ことがありがたくて、ありがたくてなりません。

まだ多くの方たちが災害の真っ只中にいます。復興は本当にこれからです。
この震災を一時的な災害として捉えるのではなく、これからもずっと自分の修行の
場とさせて頂きます。

トンヤイさん、毎日聞いて下さり本当にありがとうございました。

教会長さんご指導

「衆生劫尽きて 大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして 天人常に充満せり」
現象として目の前に見える世界はどう変わっても、仏さまの世界は常に平和な浄土です。

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立正佼成会仙台教会からの声-31

2011年04月10日 10時04分51秒 | 震災日記

4月9日

<弱さ>

コンビニが24時間営業に戻った。商品の種類は以前の9割程度。
スーパーは閉店が20時に延長された。商品の種類、量共にほぼ震災前と同じ。
鮮魚、お刺身も同じ量で価格も変わらない。皆、普段通りの買い物の風景になった。
商品がそろうと久しぶりなので買いたくなる。
一昨日の余震でJRが又不通になった。復旧は4月中旬になるという。
一度復旧して便利を取り戻すと、動かないことが不満になる。
さっきまで被災地の真ん中にいたのに、そこを離れると貪欲と不満が顔を出す。
心は弱い。だから祈りが大切なんだ。

<お陰さま>

同じ支部の公務員の後輩。来週から福島県の原発避難地域の自治体に支援を
命ぜられた。普通に話しているけど不安だろう。家族も大変な思いだろう。
仲間としても心配だ。私は危険の過ぎた場所に支援に行かせて頂いた。
彼は危険と言われる場所に向かって行く。
自衛隊、警察、消防そして役所。公務員の献身的な行動がありがたい。
普段からやって当然とお礼を言われることも少ない。
本当にご苦労様です。皆さんのお陰さまで何万人もの人が助かっています。

<新婚>

3月8日、青年部同士が結婚した。3日後に大地震だ。
新妻はその日から教会に泊り込みで炊き出し、ボランティアさんの食事作りだ。
夫は平日は介護の仕事。休日は会員さんのお宅の復旧作業に精を出す。
まだ、ゆっくりとした二人だけの時間はない。
若い二人に頭が下がる。ごくろうさま、そしてありがとう。

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立正佼成会仙台教会からの声-30

2011年04月09日 07時30分03秒 | 震災日記

4月8日

<震度6>

最大級の余震。
我が家は物が多少落ちた、そして再び停電。
仙台は東部が被害が大きい。
心配な場所を訪問した。実家の母は肋骨を骨折した。知人の家は全部倒れてごちゃごちゃだ。
前回は耐えたが、今回で土台にひびが入った家もある。
前回の地震より大きく揺れた所もが多い。
津波が来なくて良かった。
海の近くの人はどんなに怖かったことか。
明日からは会員さんの被害状況確認に歩かせて頂く。
皆さん、大きな被害が無いように祈らせて頂きます。

<不安>

今朝、ガソリンスタンドに行列ができた。
いつもなら、まだ気づかないのかと批判する。
今回は並ぶ人の気持ちが分かる。
みんな不安なんだ。怖いんだ。
不安だから、恐怖だから、
みんな助け合って生きていこう。

 

そちらは大丈夫でしたか?
いつ、何が来ても良いように、
対策はしておきましょうね。

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立正佼成会仙台教会からの声-29

2011年04月08日 08時10分10秒 | 震災日記
4月7日
<感謝>
 昨日訪問したお客様から連絡がきた!
無事でいたとの事。家族も無事。良かった。
3月11日の約束延期も覚えていてくれた。
釜石に来なくて良かったですねと言ってくれた。
心からお礼を言わせて頂いた。ありがとうございます。
会社は被害甚大で犠牲になった社員もいるそうだ。
今後は内陸の事業所に本部機能を移して復興に取り掛かるという。
精一杯の支援をさせて頂く。
トンヤイさんにも無事を祈って頂いた。
ほんとうに、ほんとうにありがとうございます。
 
<安否確認
私の家族は全員で岩手から仙台に引っ越してきた。
だから身内で岩手にいる人はいない。
昨日やっと母と兄に頼まれていた安否確認を行った。

母の友人
電話連絡がとれないでいた。一人暮らしのお年寄りで心配だ。
母とはご法の仲間で、私も幼い頃、お世話になった。
町役場に行った。安否、住居、融資等々の相談で被災された方が一杯だ。
役場の名簿で避難所が分かった。小学校だった。急いで行った。
各教室は本部、診察室、薬局、売店、住居になっている。
方々探したが、いない・・・
本部に訊ねると、「ああ、その人なら自宅に戻りました」と資料も見ずに言った。
名簿やパソコンの情報は、刻々変化する状況に対応が追いつかない。
人間同士の触れ合いと思いやりが役に立つネットワークをつくるんだ。
自宅を訪ねた。懐かしい顔があった。昨日帰ったという。無事でよかった。

兄の友人
一般公開されている安否確認システムで「不明」となっていた。
奥さんが探しているとのコメントもあった。
もうだめだろうと思いながら経営する薬局を訪ねた。
町から離れた店は無事で、中から「いらっしゃいませ」と人が出てきた。
兄の友人だった。
「いつ戻ったのですか?」と聞いたら「ずっといる」と言う。
同じ町の同姓同名の方が「不明」だったんだ。奥さんと3人で無事を喜び合った。
被災地にはたくさんの悲劇と同じくらい喜びが隣り合っている。
 
<変化
昨日、我が家にガスが来た。これで水、電気、ガスが元に戻った。
震災前より家庭が豊かになった気がする。
子供たちに「お父さん、地震から変わったね」とほめられた。
地震後、自分の食べた食器は自分で下げるなど小さな手伝いをさせて頂いている。
そんなことでも、家庭は大きく変わる。
みんな、ありがとう。
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立正佼成会仙台教会からの声-28

2011年04月07日 08時00分34秒 | 震災日記

4月6日

<三度目の釜石>

今日は釜石に行った。お役ではない。個人的に行ってきた。
地震の日、訪問予定だった会社で「都合が悪くなったから別の日にして下さい」と言ってくれた人に会いたかった。
会社を訪れた。建物はかろうじて残っていた。三階まで水に浸かった跡がある。中はぼろぼろ。いつも打ち合わせしていたソファーが窓から飛び出している。
取り壊しの印の×が赤いペンキで書いてある。
近くには20メートルの高さの貨物船が打ち上げられ、道路を半分ふさいでいる。
海はうそのように静かだ。この海が町を破壊したとは思えない。
大きな悪魔が牙をむいて通り過ぎた跡のようだ。
今、この町には会社員はいない。いるのは復興の業者と警察、自衛隊員だけだ。
一言お礼が言いたくて来た。どうぞ無事でいて下さい。

<釜石教会山田法座所>

釜石から私の生まれ育った町、山田町に向かった。
途中はリアス式海岸の湾がいくつも続く。どの町も湾の海と山の間の狭い土地にへばりつくように家が建っている。その全ての町が破壊されていた。
悲しいことに、町がないから国道から海が良く見える。陸中海岸国立公園の美しい海だ。
岩手県から茨城県までの沿岸の町は延々とこんな状態なんだろうか。
山田町に着いた。津波の後に火災が発生し町の半分は瓦礫、半分は焼け跡だ。
町の8割の方がいまだに行方不明という。3週間経った今も災害真っ只中だ。
スーパーに物が少ないとか、ガソリンスタンドに行列ができるとかの問題ではない。
全てが無い。
山田法座所は、町の山側にある。火事は20メートル位前で止まっていた。津波は隣の家まで来ていた。階段3段分だけ高くなっていて浸水はまぬがれた。
法座所には支部長さんと本部の青年が打合せをしていた。青年は大阪から来たという。
こんな小さな町にも、開祖さま、会長先生の心をお伝えする菩薩がいらっしゃる。
ありがとうございます。

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立正佼成会仙台教会からの声-27

2011年04月06日 07時45分17秒 | 震災日記

4月5日

<焦土>

今日は仕事で仙台新港に行った。フェリーや貨物船が入る大きな工業港だ。
住宅地の被災状況とは様子が違う。たくさんある大きな工場や倉庫は1階部分の骨組みだけ残して傾いている。10トンや20トンのトレーラーが腹を出して横たわっている。
車は至るところに引っ掛かっている。何百台、いや何千台も傷だらけで死んでいるようだ。
もっと海に近い所は危険なため、警察、自衛隊の検問で立ち入りできない。
港に隣接して、昔からの町がある。仙台でも犠牲になった人の多い地区だ。
町が一つ消えた。小学校の大きな木が根こそぎ、海と反対側を向いて倒れている。
コンクリートの建物をポツンポツンと残し、あとは瓦礫がどこまでも続く。
どこかで見たことのある風景だ。広島の原爆の跡、東京大空襲の跡の風景だ。
写真やテレビと違うのは、独特の臭い、冷たい海風、巻き上がる砂埃がより
風景を殺伐と見せる。川の土手で母親と幼い子がいつまでも消えた町を見ていた。
何百人もの方が犠牲になった場所で合掌し、心からご冥福をお祈りした。

<ありがとう>

私は、ケニア・ナイロビの難民キャンプの子供たちのために、
日本のドクターという呼び名で、子供たちが大きくなるまで
医療費の支援活動をさせて頂いている。
先日、ナイロビから便りが届いたので紹介いたします。

「 チャイルドドクターOri様、

いつもご支援頂き本当にありがとうございます。

今日は、子ども達が通う学校から届いていたメッセージボードを、
ドクターにお届けしたいと思いご連絡させて頂きました。

震災から約3週間が経過しましたが、
チャイドクでは、子ども達からの多くのメッセージを
被災地域在住のドクターを中心に届けさせて頂きました。

チャイルドからのメッセージには、こんな言葉も綴られていました。

「Japan sorry we love you very much, but we have nothing to do.Only we give you prayers.」
(日本が大変なことになっていてごめんなさい、でも私達には何も出来ません。ただただあなたの為に祈るだけです。)

また震災に合われたドクターからのお便りには、こんな言葉も綴られていました。

「元気な笑顔をありがとう。あなたの笑顔が何よりのプレゼントです。私も頑張りますので、
あなたも頑張ってね。」

「私が住んでいる土地で、大きな地震がありました。今、みんなで力を合わせて頑張っています。
そんなときのあなたからのメッセージ、本当に嬉しかった。どうもありがとう。
これからも、勉強頑張ってね!日本より愛を込めて」

子ども達の言葉を借りるまでもなく、
遠く離れたこの国で、私達や子ども達が出来ることは
本当に限られています。

そして今は、むしろ被災地の人々の力強い言葉に、連日、
私達自身が勇気付けられているようにも感じています。

私達に出来ることは少ないですが、
ドクターの思いを、チャイルドの思いを、
出来る限りお届けすることが出来ればと思っています。


ナイロビより

チャイルドドクタージャパン
ケニア事務所 」

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立正佼成会仙台教会からの声-26

2011年04月05日 20時14分34秒 | 震災日記

4月4日

<できることを精一杯>

2011年度がスタートした。
4月1日、わが社は新入社員を迎え入社式が行われた。
社長の挨拶は私の心にも響いた。
「・・・被災地のことを思うと、心が痛みます。安全な場所で仕事をすることに、罪悪感さえ覚える人もいるかもしれません。しかし、復興を願いつつ、あえて今は目の前のことに集中してほしいと思います。
自分に与えられた環境の中で、最大限の努力をしてください。・・・」
すぐそこで困難に直面している人がいるのに、仕事をしてて良いのかと思う気持ちがあった。
全国にも、何かのお役にたちたいが、できない人がたくさんいる。
自分のできることを精一杯させて頂こう。
入社式ができる会社はまだ幸せだ。入社式はおろか、会社が無くなった人たちがたくさんいる。
現在も東北のお客様、約1000社のうち20社の連絡がとれていない。
これから、東北の経済復興に尽力していかなければならない。

<気づき>

JRのローカル線が一部復旧した。仙台から東西南北の路線、各々30分圏内の復旧だ。
今まで普通に乗っていた電車がありがたい。仙台駅はまだ復興中で照明も薄暗い。
以前は朝から開いていた店も閉まっている。
帰りは21時頃になった。街の様子は震災前の真夜中より暗い。
店はほとんど閉まっている。人も車も少ない。でも不便も不安も感じない。
私の幼い頃の夜だ。
コンビニ、ドラッグストア、パチンコ店でギラギラしてた夜は異常だったんだ。
みんな気づいたはずだ。この震災を機に生活を見直すことを。

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