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【動画紹介】ヒトコトリのコトノハ vol.51

2024年04月19日 | 動画紹介
☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
 ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!

 ●本日のコトノハ●
  それだから、古典ギリシアの文学を現在の私どもの感覚によって判断することは危険この上ないことで、
  できるならば、なによりもまずその作品がつくられた時代の環境のうちに作品を置いて、当時の人の心で
  これを鑑賞し評価しなければならない。その上でさらに現代の人として評価し批評することは結構だが、
  いきなり手数をはぶいて、ギリシアの作品を日本人として鑑賞するなどということは、許されない。
  これはギリシアやローマだけではなくて、他の外国の作品を通じて主張されるべきことで、十九世紀以来の
  古典文献学の目標はまさにこの点にあった。

 『ギリシアの詩』高津春繫(1956)岩波書店より


 日本において普通に生活している一般の人が、外国の文化とどう向き合うべきかについて、日本に住む外国の人が増えている今、考えなければいけない機会があるかもしれません。
 ここは日本なのだから、外国の人の方が日本の文化や社会を理解して合わせるべきだと考える人もいるでしょう。
 また、外国で生活したことがある人は、その国の生活事情や習慣に合わせて、日本で過ごす場合とは違うやり方で暮らした経験があると思います。

 国際社会の中では、日本は他国に対して比較的、友好的で親切な国だと思われているようです。
 国によって政策が違うのは当然ですが、日本では外国の人に対して差別的な態度をとってはいけないと考える傾向にあり、世間的には異文化を受け入れ、国際交流を活発にすることは、社会にとって良いことだとされています。
 しかし、それはあくまでも表向きのことであって、実際は、昔から住んでいる日本人と新しく移り住んできた外国人との間で、相互理解が追いつかず、問題が生じてしまう場合が少なくないようです。

 学問の現場で、外国の文化を理解するには主観的な視点があまり必要とされず、研究対象である文化のありようについて、忠実に把握しようという姿勢が重視されます。
 自分が日本人であること、生まれた時から日本の社会で生きてきたことを否定したり、忘れよというわけではなくむしろ、他国の文化、他国の人々の考え方との違いは何か、その違いは何故生じるのかを、冷静に考えるべきなのだと思います。

 決して、一方的に譲歩する、あるいはさせるのではなく、お互いが譲り合って成立する関係が求められているのです。
 これは日本人同士でもよく指摘されていることで、自分さえ良ければ相手のことはどうでもよかったり、自分の価値観を押し付け相手に我慢させることで関係を続けようとする身勝手な人間の行いが不和を引き起こし、良くない結果を招くという話はよく聞かれます。

 ある国の音楽や美術、食文化、気候風土に触れることは、その国に生まれ育った人々の人間性を知ると同時に、自分の国との違いに気づくプロセスだと私は思います。
 とはいえ、料理について言えば、本場の味そのままのエスニック料理店もありますが、日本人の味覚に合わせて、本国では用いられない方法で調理されることも少なくないようです。
 これは、日本の寿司についても言えることで、外国で見かけるsushiに違和感を覚える日本人は私だけではないはずです。

 相手を理解すること、自分との違いに気づくこと、そして多少の柔軟性を持つことの三つが今後さらに進むであろう国際化社会の中で生きていかなければならない私たちに求められる対応なのでしょう。
 ただ、私たち日本人の中にも犯罪に手を染める人がいるように、世界共通で、悪いことをする人はどこの国にもいるということも忘れてはいけないと思います。
 相手の親切心を利用して不当に利益を得ようとする人は、日本人の中にも、外国の人の中にもいるのだということは分かっておいた方がよさそうです。



ヒトコトリのコトノハ vol.51


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